一章〜非望〜 四百九十九話 警戒で気を引き締めながら
馬車での道中は、実に穏やかなものだった。ステパンの言葉通りに、シープヒル周辺は整備された街道から外れなければならない為に元々の人通りがそう多くない。そうなると、魔物との遭遇率が高まりそうなものだが、瑠璃によるとかなり気配は少ないとの事だった。
そこに、何やら人為的なものを感じたアレルだったが、そういえばアンデッドの討伐に来ておきながら何もせずに帰った元気一杯の討伐隊がいたなと、エリオット達の存在を思い出す。行きか帰りかは判らないが、周辺の安全確保を兼ねた訓練がてらに魔物を間引いていったんだろうと、アレルは考える。
しかし、そうなると警戒へあまり力を入れなくても大丈夫かなとも思ったアレルは、少し瑠璃を休ませて自身の感知の修練を始める。その際に使用するのは、戦闘中の使用には向かないが現状でアレルの使える感知の中で最も範囲の広い精神感知だ。
(瑠璃、感知に関して何かコツみたいなものはないか?)
──コツ、ですか? う〜ん、何とご説明すれば良いのか······どう言えば良いのか判りませんが、ワサワサしたりトゲトゲしたりと取り敢えず妙な感覚がしたらそれに少し意識を集中する事でしょうか。
うん成る程解らんと、アレルは瑠璃が感覚派なのは理解出来たものの、感知に関しては未だに瑠璃と同じ感覚に辿り着けていないのでよく理解が出来なかった。なので、アレルは瑠璃にお礼だけ伝えて、感知に関しては手探りでやっていくしかないなと諦める。
その間、隣のメリルは実に静かなもので、幌一枚の隔たりとはいえアリシアとミリアから離れたのが久しぶりだったのだろう。穏やかというよりも、どこか気の抜けた表情を増やしながらも流れていく周囲の景色に目を向けていた。
その一方で、荷台のアリシアとミリアも静かなもので、先程一度だけアリシアが声を掛けてきたっきり何の音沙汰も無い。アレルは、もしかして二人して寝てるのかとも思ったが、それならそれで良いかと特に気になりはしなかった。
追手の気配も無ければ、魔物の襲撃の心配も無い。その上、例えよそ見をしていても、ある程度は馬達が自己判断で動いてくれる。そんな、どこか間延びした時間の中でアレルは、ここまでのんびりした気分になれるのも久しぶりだなと、前方に広がる蒼い空を眺めながら馬車を走らせるのであった。
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途中、休憩を挟みつつ馬車を走らせていたアレルは、瑠璃と相談して昼食をとる場所を決めて馬車を停めた。メリルも、何度目かの休憩で御者台から荷台へと戻り、気にしていた態度の悪さをアリシアへ詫びたみたいで今は仲良く談笑している。
ただ、その中でミリアだけはまだ心ここにあらずみたいな様子で、口を半開きにしたまま馬達に水と餌を与えていた。
(大丈夫なのか、ミリアのやつ?)
──大丈夫ですよ、主様が心配される様な事ではありませんから。
(とは言ってもな······)
結局、アリシアに一つぐらいならナポリタンバゲットを食べさせても構わないとは言ってあったものの、ミリアは食べなかったみたいで籠の中は朝に見たままになっている。ただ、自身とミリアならともかく、そのままではアリシアとメリルは食べづらいかと思ったアレルは、食事の準備がてらナポリタンバゲットを食べやすい大きさに切っておく。そうして、瑠璃の蜂蜜水も用意出来たので、全員に手を洗わせてから昼食にする事にした。
昼食が終わると、アリシアは瑠璃に公用文字を教え始め、メリルは洗い物ぐらいはやりますからと水仕事を買って出てくれた。だが、ミリアだけは食休み的な感じで呆然としていた。とはいえ、食事で少しは気を持ち直した様に見えるので、あともう少し様子を見てやればロバートから受けた精神攻撃の影響から脱するだろうとアレルは考える。
それ故に、手の空いたアレルは今の内にと地図で現在地を確認する。昼食前は、勾配のある道が多くて予定よりもかなり時間がかかった。道自体も、真っ直ぐではなく蛇行していた為に、移動した時間に対して地図上ではあまり先に進んでいない印象を受ける。そして、午後からはアリシアと話していた例の旧道へと足を踏み入れる事になる。
(正直、その前にミリアには立ち直って欲しかったけど、無理だったなら仕方ない。警戒を強めにして、魔物に出会した場合は馬車を狙われない立ち回りを意識しよう)
そう、旧道は街道警備から外された道であるが故に、魔物との遭遇率が高いと考えられる。だからこそ、ミリアには馬車を守る防衛戦力として期待していたのだが、アレルはその期待を見事に裏切られてしまう。実の所、ミリアを戦力として復帰させる為に昼食前の最後の方は旧道に入る前に休みが取れる様に進みを調節していたまであった。
しかし、その目論見はものの見事に打ち砕かれて、アレルは瑠璃と二人でどうにかする方法を考え始める。ただ、こんな時間が経っているのにも関わらず立ち直れないなんて、ロバートは一体ミリアに何をしたのだろうとアレルは首を傾げる。
でも、そんな事を気にしている場合でないアレルは直ぐに頭を切り替えて視線を地図へと落とす。取り敢えずの目的地をヘッケルに設定している現状で、今はヘッケルまでの道程の二割程しか進めていない。出来る事なら、明日の夕方にはヘッケルに入りたいと考えるアレルは今日中に六割近くは進んでおきたいと思っている。しかし、今から入る旧道は道がどんな状態か判らない上に、もしも悪路と化していたら更に進みは遅くなってしまう。
それでも、監視されてる危険を覚悟で街道へ戻るにしても、既にこのまま進むのと大差無い時間が掛かる為に今更の経路変更は考えられない。よって、アレルが考えるべきはどう時間を短縮するかに絞られる。幸いにして、旧道へ入れば程なくして丘陵地帯が終わり周囲が平坦な土地になる。それでアレルは、いくつか近道出来そうな地点を印して実際に目にした際にいけそうであるなら近道を、最悪でも今日の野営は確定なので日が落ちた後も少し馬車を走らせる覚悟をする。
(あとは、魔物の心配だけか······まあ、避ける事が出来るだけマシか。それに、クリムエーラの羽根達が使っている道なら、それ程までに荒れているなんて事も考えにくいとは思うんだよな)
そこまで考えると、アレルは地図をしまって今日一番働いている馬達の前にやって来る。休憩を挟みながらだったとはいえ、それなりに疲労しているかと思っていたアレルだったが、百や二百は余裕と豪語していただけあって二頭共元気そうだった。
そんな二頭の鼻面を撫でた後で、各々に食後を過ごしていたアリシア達にアレルは出発しようと声を掛ける。すると、アリシアとメリルは返事を返して荷台へと乗り込み、続いてゆっくりとした足取りでミリアが後に続く。最後に、自らの役目を自覚している瑠璃が、アレルの外套のフードへその身を滑り込ませてくる。
──主様、ここからはルリにお任せ下さい!
「ああ、頼りにしている」
昼食時から、精神感知を切っていたアレルがそう返すと、瑠璃は張り切っているのか堪らずフードから出て来てアレルの顔の周囲を元気に飛び回る。そんな瑠璃を落ち着かせ、アレルは御者台に腰掛けると旧道へ向かって馬車を走らせた。
昼食をとった場所からしばらくは、シープヒル周辺と然程変わらない景色が続く。視界を遮る程ではない起伏が点在し、稀に遠くの方で林か森かが見えたりする。そんな長閑な道をしばらく走ると、分かれ道の分岐の所に立て札の様な物が見えてくる。
『←この先魔物に注意されたし! 立ち入るべからず』と、旅の者でも解る様に公用文字で書かれており、慣れていないアレルは読むのに少し時間がかかる。しかし、そう言われてもそこを通る予定のアレルには意味など無く、アレルは一度だけ荷台の三人にこれから旧道へ入る事の注意を促してから馬車をそちらの道へ走らせる。
(······入りたてのせいか、なんか意外と変な感じもしないな)
──はい、結構先まで瘴気の気配もしないです。
などと、旧道に入る前から精神感知を使っているアレルに、瑠璃も言葉を返してくる。ただ、それも整備されている道に近いのが理由なだけで、更に奥へと踏み入れれば同じかどうかは判らない。それでもアレルは、ヘッケルへ向かう為に旧道の奥へと馬車を進めていく。




