一章〜非望〜 四百九十五話 出発
荷台側から、幌部分を迂回して宿の外へと向けられている馬車の前方へアレルは歩いていく。しかし、先に出たはずのメリルの姿が見えない事から、アレルは馬車を挟んで逆を選んでしまったかと思う。
そうして、御者台まで歩くと御者台を挟んで向こう側にメリルの姿を見つける。そんなメリルは、やはり俯きがちで何やらため息まで吐いていた。
(もしかして、さっきのアリシアへの態度を後悔してんのかな?)
──まあ、そうでしょうね。後悔するなら、やらなければ良いだけなのにとルリは思います。
(先に立たないから、後悔って言うんだぞ)
などと、やり取りをしつつも瑠璃はアレルの肩からフードの中へと移動する。
それを、瑠璃なりの出発準備だと捉えたアレルは、そのまま一度御者台を通り過ぎて馬車に繋がれた二頭の馬の前にやって来る。それから、今日からまたよろしくなと二頭の鼻面を撫でていく。
──百や二百は余裕だから、任せてくれって言ってます。
百や二百って、単位はkmで考えて良いのかと疑問に思いながらも、アレルは無理はするなよと自身の事を棚上げした様な言葉を掛ける。続いて、アレルはメリルの方へは足を向けずに、再びメリルとは逆側から御者台に乗る。
御者台に腰掛けてからは、まず長剣などの位置を邪魔にならない様に調節し、御者台に隠してあるクロスボウの確認もしておく。更に、手綱の方にも劣化や傷などがないかを確認した後で、腰掛けたまま腰を滑らせて御者台の横で立っているメリルへ手を差し出す。
「待たせて悪かったな。乗り心地は良くないかもしれないが、まあ気分転換ぐらいにはなるだろ?」
アレルは、先程のメリルの様子から自身の準備など待っていなかった事は知っている。知った上で、敢えてそんな事を口にしてメリルが手を取りやすい様に御膳立てする。
すると、メリルは明らかな戸惑いを見せ一度はアレルが差し出した手を取ろうとするも躊躇して、それまで被っていなかったフードを被ってしまう。
「別に、イバレラだったらフードを被る必要もないだろ?」
「そ、それもそうなんですが······良いんですか?」
「何が?」
そう訊き返すと、メリルは解ってるくせにとジト目を向けてくる。なので、アレルは仕方なく強引にメリルの手を取り、そのまま御者台へと引っ張り上げる。
「ちょっと!? 何を──」
「いいから、いいから。言ったろ? 気晴らしってさ」
そうして、多少無理矢理メリルを隣に座らせたアレルは、手綱を握って馬車を出発させる。
出発した馬車は、中庭から宿の正面に出るアーチ状の通り抜けを抜けて、宿の正面入口の隣を通る。すると、宿の入口にはクラウスとロバートが並んでおり、何も言わずに揃って頭を下げてくる。白と黒とが、互い違いになっている二人が並ぶ光景に、アレルはツッコミを入れたくなるも軽く手を上げて西門へと進路を取る。
その直後、見送りの二人に背を向けたところで、アレルは見送りなんて必要ないとロバートが言っていた事を思い出す。大方、クラウスに言われて嫌嫌並んでいたのだろうとアレルはほくそ笑む。ただ、通りに入ったので少し馬車の速度を増した影響なのか、浅く被っていたメリルのフードは風の抵抗で脱げてしまう。
「あっ!?」
「別に良いって言っただろ? 気晴らしの時ぐらい、フードなんて脱いでろよ」
すると、不意に心地良い風が御者台の二人へと吹き抜けていく。それに、軽く乱れる髪を抑えながらも、メリルはその心地良さに自然と笑みを浮かべる。
「なっ? その方が、気分いいだろ?」
ヘヘッと、アレルはしてやったりとでも言いそうな表情で笑う。それには、少しムッとしていたメリルも釣られてクスッと笑いをこぼす。
「もうっ、あなたは······仕方ありませんね」
僅かに眉尻を下げながらも、メリルはいつもの様に柔らかく微笑む。艶のある髪は、そよぐ風にサラサラと揺れて陽光の反射による光沢で栗色が更に淡く見える。
そんなメリルの様子を横目に見つつ、アレルは話を切り出すべきかを検討するも取り止めて無言で馬車を走らせる。取り敢えず、メリルはいつもの状態に戻ったみたいだったが、直前までどこか鬱屈とした様子だったのだ。
せめて、心の整理をつける時間ぐらいは待たなければと、アレルはその間に中断していた瑠璃の話を訊く事にした。
(なあ瑠璃、さっき途中だった話を訊いても良いか?)
──はい、構いません。それで、ルリ達が心の揺らぎに敏感だと話したと思いますが、これにも理由があるんです。ルリ達が普段避けている瘴気、これはエーテルの海の循環不良で発生する他に、生物がその心を負の方向へ大きく揺らがせた際にも発生するんです。
(ああ、なんか人心が乱れた時に魔物が増えるみたいな話もあったような······)
アレルは、誰に聞いたかまでは思い出せずとも、そんな話をどこかで聞いた様な気がしている。
──ただ、それは魔物を生む程の濃さではなく、極めて微量なんですが······。それでも、怒りや憎しみ、嫉妬に欺瞞、様々な負の感情から瘴気は発生します。そして、何故ルリ達が心を読めるのかという事ですが、単純に瘴気に耐性の無かったルリ達の先祖が生存本能を刺激され、微量とはいえ瘴気の発生から逃れられる様にと代を重ねるごとに徐々に心を読める様になっていったらしいです。
(成る程、心が読めれば瘴気が発生する前に逃げられるからな)
──はい、だからルリ達は人間を嫌うともそちらで言われているのだとは思います。
その瑠璃の言葉を信じるなら、夜光蝶は別に人間を嫌っている訳ではなく、瘴気こそを避けているという話になる。しかし、そこでアレルは瑠璃自身の事が心配になり訊ねる。
(瑠璃、そういう事なら町中を通ったりするのは相当キツイんじゃないのか?)
──い、いえっ!? 誤解させてしまって、すみません。あくまで、瘴気に耐性が無かったのは何世代も前の話で、今は霊子をエーテルの海へ運んでるせいか瘴気に対する耐性なども得られています。······まあ、苦手ではあるんですけど。
その言葉通り、瑠璃は一昨日のアンデッド戦では周囲が瘴気で満ちていたせいか調子が悪そうだった。しかし、先程の話の中で少し疑問に感じる所があったのでアレルはそれを口にする。
(なんかさ、今の話しぶりだと霊子を運んでいるから耐性が付いたみたいに聞こえたんだけど······)
──はい、霊子とは魂を形作るものでありながら、この世で最も純粋な力の結晶みたいなものなんです。それに、永い間触れていたせいか、加護の様な形でルリ達に瘴気に対する耐性を与えたのではないかと考えられています。
(へえ、力の結晶ねえ······まあ、とにかく話してくれてありがとな)
──いえ。
またも、瑠璃からはやけに壮大な話を聞いてしまいアレルは感想に困る。ただ、取り敢えず瑠璃達が心を読める様になった経緯を踏まえるに、自身が瑠璃と同様に悪意を感知するのは難しいと判断する。
そうして瑠璃との話が一段落すると、馬車は町の中程を過ぎて西門までだいぶ近くなる。通り過ぎる町並みには、迷路や雑貨屋にアリシアと共に歩いた際に見かけた建物などがある。
町中故に、そこまで速度を上げられないアレルは、それらを目にしつつ感傷に浸る。ふと、そこで真の伝承を話してくれた幽霊の老人を思い出したアレルは羊達の農場の方へ目を向ける。
(······やっぱり、見えないか)
──主様? どうかしましたか?
(いや、一昨日のアンデッドに関わる話をしてくれて、倒すきっかけも与えてくれた幽霊の爺さんがいたんだけど······その後、どうなったかってさ)
アレルは、寝てたり調子を崩したりで、その幽霊と会っていない瑠璃に軽く説明する。すると、瑠璃はいつもの元気な声ではなく、どこか諭すみたいな柔らかな声を伝えてくる。
──心配いりません。未だ、エーテルの海に還らないという事は、何かしらの役割を担っているのでしょう。ですが、いずれその役割を全うした暁には自然とエーテルの海へと導かれると思います。
(そうか······それなら、確かに俺の心配は必要ないな)
瑠璃に背中を押され、僅かに残っていた心残りも無くなったアレルは、滞りなく馬車を走らせていく。そうして、後は町中を抜けて西門を通るだけとなったところで、隣に座るメリルから声を掛けられる。
「あの······少し、少しだけ話を聞いてもらっても良いですか?」
ある意味、その言葉を待っていたアレルではあるが、メリルの向けてくるどこか情けなさに打ちのめされた様な表情に、改めて気を引き締めるのであった。




