一章〜非望〜 四百九十三話 重ねる約束
タチアナが見えなくなると、それまでアレルの背に隠れていたアリシアがアレルの抱える籠を興味深そうに覗き込んでくる。
「ねえ、それ何が入っているの?」
「ん? たぶん、昼食に食べやすい何かだろうな。あの話し方からすると」
アレルは、タチアナの言葉から食べやすいバゲットサンド辺りが妥当だろうと考える。しかし、あのジェームスがそんな普通の事をするのだろうかと、アレルは不意に疑問を抱いてしまう。
それ故に、アリシアも気にしている事もあって、アレルは少し籠の中身を確認してみる。
「は?」
ブワッと、覆いを開けた瞬間に酸味と甘味が混じり合った加熱したケチャップ独特の香りが鼻腔を刺激し、アレルの視界にはこんがりとしたきつね色と鮮やかなオレンジ色のストライプが目に入る。
(ジェームスのヤツ、最後の最後でやりやがった······)
それは、確かにアレルの予想通りのバゲットサンドではあった。あったが、それの具として挟まれていたのはアレルが教えたナポリタンであり、この異世界に炭水化物の怪物を誕生させる起因を作ってしまった事をアレルは後悔する。
しかも、ぱっと見でバゲットサンドの下に薄紙が見えたので軽く捲ってみると、その下にはもう一段バゲットサンドが並べられているみたいだった。
(こっちは、女性比率が高いんだぞ? こんな物を昼食に出したら、非難の嵐になるっつうの)
──どういう事なんですか?
(ああ、いや······これ、パンも麺も炭水化物っていう所謂糖質に分類される栄養素でな。それが多く含まれてる食べ物は、俺の世界の女性はあまり好まないんだ)
アレルは、相手が瑠璃だから問題ないだろうと素直に自身が尻込みした理由を話す。しかし、そんな話を聞きながらも再びフードから出てアレルの肩へきた瑠璃からは意外な言葉が返ってくる。
──でも、アリシア様は嫌がっていないみたいですよ。
(へ?)
見ると、興味津々といった様子で、アリシアはアレルの持つ籠を覗き込んでいる。思い返せば、ナポリタンだけはアリシアに食べさせていなかったなと、アレルは失念していた事を思い出す。
そのせいなのか、アリシアは未知の食べ物への好奇心に踊らされているみたいだった。
「これも、アレルが教えた料理なの?」
「ああ、その挟んであるやつだけならな。ナポリタンって言うんだ」
「へえ、美味しいの?」
「さあ、美味しいかどうかは人によるんじゃないか? これに限らず······」
アリシアからの質問に、アレルは答えながらも炭水化物の怪物という説明をするべきか悩む。
──主様、そういえば何故これが女性に嫌われるのてすか?
(ああ、さっき説明した炭水化物ってやつは人間にとって必要な栄養ではあるんだけど、摂取のし過ぎは肥満に繋がるんだ。それが、細身でいたいと願う女性陣に忌避される所以かな)
そうして、瑠璃に答えると間髪入れずに続けてアリシアが訊ねてくる。
「ねえ、さっきナポリタンの方は教えたって言ってたけど、何でパンに挟んであるの? 挟んであるのは、アレルの世界にはないの?」
「いや、あるよ。ついでに言うと、ナポリタンじゃなくて焼きそばを挟んだ焼きそばパンまであるよ。厨房のヤツには教えてないはずなのに、どういう訳か偶然の一致で作れたみたいだな」
すると、アリシアはう〜んとと人差し指の指先で軽く下唇に触れながら、アレルへ小悪魔的な笑みを向けてくる。
「じゃあ、そのヤキソバ? っていうのは、まだ誰も食べた事がないんだね。それ、作ったり出来るの?」
何の駆け引きもない、単なる好奇心と無邪気さに満ちた微笑みに、アレルはどこか本来のアリシアらしさの様なものを感じてなんだかなとどこかホッとする。
しかし、それとは別に焼きそばなんてここでは作れないし、いい加減出発しなければとアレルは持っている籠の覆いを閉める。
「焼きそばは、麺類だから麺から作るしかないし、ソースだって一から作るしかないから無理だ。それより、もう出発するぞ」
「はぁ〜い」
単に困らせたかっただけなのか、アリシアはクスクスと笑うとその足を馬車へと向ける。それに、まったくと思いなからアレルもその後に続く。
だが、不意に何かを思い出したみたいにアリシアが足を止めたので、アレルも同様に足を止める。
「どうした?」
「あっ、うん······今思ったんだけど、メリ······イバレラって、御者台に乗せるつもりなんでしょ? これからの説明って、いつ話せば良いのかなって」
言われて、アレルは確かにそうだよなと少し考え始める。ただ、そもそもアリシアへ説明したのも特に必要性はなかった訳だし、アリシアが不安を制御出来ているなら何か役割を与えて不安を忘れさせる必要もないだろうと考える。
しかし、誤解させてはいけないと、アレルは言葉選びだけは慎重にしようと心掛ける。
「えっと、だな······その、イバレラとクリスの今の状態を踏まえると、そんな話をしたところで耳には入らないだろ? だから、今はアリシアだけが把握しててくれれば良いよ。そして、二人には折を見て話してくれれば良い」
「うん、解った。そうしておくねっ」
アリシアはそう言って、納得した様子を見せるも、両手を後ろ手で組みながらアレルの顔を下から覗き込むみたいに僅かに身を屈める。
ただ、そうしておきながら一言も口にせず、じっと見られているアレルは堪らずに声を出す。
「······何だよ?」
「ううん、アレルってこういう時はそんな表情をするんだなと思ってね」
アリシアは、どこか満足したみたいにスッと屈めていた身体を起こす。
「こういう時?」
「うん、私達に気を遣ってる時ね。······確かに、私の不安は無くなった訳じゃないよ。それでもね、アレルがそこまで気を遣う程でもないの······今はね。だけど、だけどね······もし、また自分じゃどうにもならなくなった時は、アレルが話を聞いてくれる?」
その言葉で、アレルはようやくこちらがずっとアリシアの事を気にしていたのをアリシアが勘づいていた事を悟る。つまり、アリシアがわざとらしく明るく振る舞っていたのは、不安を覆い隠す為ではなく自身に心配させない為だったのだとアレルは理解する。
元々、アリシアは勘が鋭い方ではあったし、それに加えてペンダントの補助まである。そんなアリシアが、それらを鈍らせていた不安を制御し始めたのだ。当然、筒抜けとまではいかなくとも、アリシアがこちらの気持ちに気付いていてもおかしくはない。
アレルは、自身がアリシアの不安の種の一つだというのに、そんな風にアリシアが自身に心配させまいと明るく振る舞うなんて事はしなくて良いのに思う。ただ、それでも自身を頼ってくる姿に、まだアリシアに必要とされているんだなと感じる。
「まあ、俺が原因になっている事もありそうだし、それぐらいならお安い御用ってやつだな」
「じゃあ、これやって」
アリシアは、そう言うと右手の小指だけを立てて、それをアレルに対して差し出してくる。
そこで、アレルは思う。意見を衝突させ、互いに言い合いながらも齟齬をすり合わせ、互いに対する理解を深めていく。そんな関係を、何と呼べば良いのだろうと。
「ああ」
素っ気ない返事で、アレルは籠を持ち直してアリシアの小指に自身の小指を絡ませる。
そうして、指切りをしながらもアレルは、この旅が終わる頃にはこの関係を言い表す言葉が見つかるのだろうかと、旅の行く先に思いを馳せる。




