一章〜非望〜 四百九十一話 気付けなかった気持ちと望む関係
狼狽するアリシアを他所に、言いたい事は全て言ったのか瑠璃はしばらく黙っている。しかし、未だアレルの顔の前で浮遊し続けているので、瑠璃は瑠璃なりにアリシアから何かを感じ取っているのかもしれないとアレルは考える。
すると、アリシアの方からたどたどしくもゆっくりと話し始める。
「私······本当に、そんなつもりはないんだよ。でも······何でっ」
アリシアは、何か言いたくない事でもあるのか、言葉を詰まらせて黙ってしまう。それに、瑠璃は伝えなくて良いですからねと前置きをしてくる。
──まったく、早く素直に言ってくだされば良いんですよ。
(どういう事なんだ?)
──簡単な話です。アリシア様は、一昨日から様子がおかしくはありませんでしたか?
それに関しては、瑠璃に言われるまでもなく感情の起伏がどうにも激しくなっている様には感じていた。ただ、それも理由は自身と同じで、比較的安定した場所から新たな場所へ移動する事に対する不安がそうさせているのだとアレルは思っていた。
(不安なんだろ? 別に、それはおかしな事ではないんじゃないか?)
──主様、一昨日からなんですよ。それに、ルリは昨日アリシア様にお供してましたが、その時はこの様になられる事なんて無かったんです。
瑠璃は、もう解りますよねと念押しをしてくる。つまり、瑠璃はアリシアがこうなった原因が一昨日自身が死に体で帰ってきた事で、こうなるのも自身の前でだけだと言いたいのだろう事をアレルは理解する。
そうして、瑠璃の言いたい事をアレルが理解し始めたところで、再びアリシアが口を開く。
「私、自分の事なのに解らなくて······ねえ、どうしたら良いの?」
言いながら、口元を押さえていた両手をアリシアはまるで懇願し教えを請うみたいにしっかりと合わせる。
それに、瑠璃がここからは伝えて下さいと言ってくる。
──簡単な話です。隠している事を、主様に話してしまえば良いんですよ。言っときますけど、主様は言わなければ解ってくれない事の方が多いですよ。
と、通訳をしているのに何を言わせるんだとアレルは瑠璃にジト目を向ける。しかし、アレルはアリシアが隠している事とは何なのだろうかと気になる。
すると、アリシアが再び黙って両手で胸を押さえる様にしてしまった為に、瑠璃はまたも伝えずにお願いしますと言ってくる。
──アリシア様って、主様がいないと結構ルリに愚痴をこぼされるんです。その時に、言っていたんです。
(何を?)
アレルは訊ねるが、瑠璃からは何も返ってこない。でも、その代わりにといった様子で、瑠璃はようやくアレルとアリシアの間を隔てる位置からアレルの肩へと止まりに来る。
──その答えは、アリシア様から聞いて下さい。
すると、それまでアレルからは見えなかったアリシアの表情が見える様になる。悲痛な面持ちというよりか、どちらかと言えば困惑が強い様に見えるその表情は、アレルと目が合うと不意に若干強張っていたものが和らぐ。
そこで、何かに気付いた様に目を見開いたアリシアは、何故か即座に目を逸らし身体もアレルに対して背を向けてしまう。
(······どういう事なんだ、これ? 単純に、俺が嫌われてるって事か?)
──違いますよ。おそらくですが、アリシア様はご自分のお気持ちに気付かれたのではないでしょうか? それに伴い、これまでのご自分の行動を思い返して恥ずかしくなっているのではありませんか?
などと、瑠璃はアリシアの状態を分析するので、アレルはもう少しアリシアの反応を待つ事にする。そうして、アリシアを観察していると、どういう訳なのかコロコロと表情が変わっていくのでアレルは見ていて飽きなかった。
口元を隠す様に、軽く握った右手を当ててると思いきや、突然イヤイヤと頭を激しく振る。かと思えば、急に赤面して恥ずかしそうに顔を両手で覆ったり、最終的には腰を浮かせた体育座りみたいに蹲った状態で頭を抱えてしまう。
しかし、そうして蹲ったままチラリとアレルの方を覗き見てくると、何かを諦めたのかそれとも決心したのかといった具合に立ち上がってアレルの方を向いてくる。
「あのね、本当は······言いたくないけれど、このままだとルリちゃんに嫌われちゃうかもしれないから、その······言うね」
「お、おう······」
その改まった感じに、何故かアレルは少しだけ緊張してしまう。
「えっと、ね······私、前に優しくしてくれる人は皆いなくなっちゃうから嫌だって話したじゃない? それは別に嘘とかではないんだけど、でもね······本当は少し違っていたの。私、本当は······たぶんなんだけど、アレルがいなくなるのが嫌······なんだと思う。何で、そう感じるのかは解らないんだけどね。それで、ね······一昨日の事で私気付いちゃったんだ。アレルも、アレル自身の意思なんて関係なくいなくなっちゃうかもしれないんだって。それが解ったら、なんか急に怖くなっちゃって······不安でね······凄く、面倒だったよね······私」
アリシアは、自分の気持ちを言葉にするのが恥ずかしいのか、いつもは目を見て話してくるのに今はチラチラとアレルの顔色を窺う程度にしか合わせてこない。
ただ、アレルはそんな自信なさ気なアリシアに対して、そんな事はないと首を横に振る。
「別に、俺に迷惑かける程度でどうにかなるなら、面倒だなんて思わないよ」
「······バカ。アレルがそういう風に言うから、私が甘えちゃってルリちゃんに怒られる様になったんじゃない」
──ルリは、主様のせいではないと思ってますよ。
などと、どこか不服そうな表情をするアリシアとは別に、瑠璃が茶化してくる。アレルは、そんな瑠璃を仕方ないなと思いつつ、アリシアと向き合う。
「別に、甘える事ぐらい気にしなくても良いだろ?」
「ううん、私の場合は駄目だよ。······アレルの迷惑にしかなってないから」
アリシアは、俯きながら右手で左腕を擦る。ただ、今でさえそんな風なのに、我慢なんてしたら余計に感情の制御が出来なくなるのではないかとアレルは心配になる。
しかし、アレルが何かを口にする前よりも先にアリシアが再び口を開く。
「アレルは······一昨日の事があってから、もしもの時を考えて色々としてくれてるよね。最悪、アレルが私達といられなくなったとしても、私達が自力で目的地まで辿り着ける様にこれからどうするか話しておいてくれたり」
「ああ」
「それで、さっきの階段の前でもアレルが情報は共有していた方が良いなんて言うから······なんか、アレルがいなくなる準備しているみたいで······それで、八つ当たりみたいになっちゃった。······ゴメンね」
アリシアは、言いながらちゃんとアレルの目を見て謝ってくる。でも、未だにアリシアの氷青の瞳の奥に不安が揺らいでいるのを感じたアレルは、何か言わなければという気持ちになってしまう。
ただ、それでもアリシアは右手で胸のペンダントを服の上から握って、精一杯不安に押し潰されない様に堪えている。それが判ったアレルは、ここでの優しさなんかはアリシアの邪魔にしかならないと思い留まる。
「······ああ」
しかし、それだとなんと返すのが適切なのか判らないアレルが素っ気ない返事を返すと、アリシアは右手をペンダントから離して力無く笑ってみせる。
「えっと、ね······私、自分の気持ちが解ったから、たぶん今までみたいにアレルに八つ当たりしなくても大丈夫になると思うんだ。······でも──」
「無理はすんなよ。その方が、よっぽど迷惑なんだからな」
アリシアが、そこから何を言おうとしたのか何となく解ったアレルは、その言葉を遮ってアリシアが言わんとした事に対する返事を返す。それで、つくづく自身は甘いなと感じるアレルだったが、その先をアリシアに言わせてしまったら対等な関係でいられなくなりそうな気がしていた。
きっと、アリシアが言おうとしていたのは何らかのお願いで、今回自分の非を認めているアリシアにそれを言わせてしまえばアリシアは自ら謙ってしまう可能性があった。そんな関係は望まないアレルにとって、アリシアのそんな言葉はどうしても口にさせてはいけなかった。
「······うんっ!」
そんな、アレルの想いまでもが伝わったのかは判らない。しかしながら、ぶっきらぼうに言い放ったアレルの言葉に、アリシアは不安が晴れた様な朗らかな笑みを返すのであった。




