一章〜非望〜 四百八十九話 いつかの再会の為に
伝え残していた事、確かにロバートは昨日の手解きが終わった後にレイラ達と同様の事を言って、残りは後でと言っていた。そんな風に勿体振られると、一体何を言われるのだろうかとアレルは身構えてしまう。
しかし、そんなアレルの僅かな緊張を感じ取ったのか、ロバートはそれを和らげるみたいに薄く笑みを浮かべる。
「その様に、緊張なさらなくとも大丈夫で御座います。それ程、長い話にもならないとは思いますので」
「ああ、まあ······そういう事なら」
アレルは、ロバートがそう言うならとフゥと軽く息を吐いて、変に入っていた身体の力を抜く。その後で、ロバートは少しだけ間を置いてアレルを待つと、ようやく本題を話し始める。
「さてアレル様、ここからの道行きにご不安などは御座いますでしょうか?」
「それか······全く無い、なんて言えばただの強がりにしかならないな。あるよ、確かに。考えれば考える程に、次から次へと湧いてきやがる。······まあ、今は不安だけがある訳じゃないけれど」
追手の事、辿るべき旅の経路、国境越えの事、暗殺者の事、クーデターに起因する様々な策謀、本当にきりが無い程に不安の種には事欠かない。そして、現状でアレルが最も不気味に感じ、今後のアリシア達の脅威となるのではないかと考えているのが件の宮廷魔法師だ。
このシープヒルでの騒動で、その宮廷魔法師だけが魔神と崇められていた魔物の存在を知っていた。それも、他には伝わっていない伝承の話が約二百年前だという事から、王都の文献にすら残っていない当時を知っている人物──長命種、あるいは現在まで確固たる意思を持って存在している何かである可能性が高い。だとするなら、クーデター自体が長い年月を懸けて用意周到に仕組まれた計画で、まだ何かしらの目的が残っているとすると今後は全てにおいて後手に回されるかもしれない。
万が一そうなった場合、アレルが懸念するのはアリシアの精神状態だ。現状ですら、父を失って兄に命を狙われている状況で、アリシアはまだ泣けてすらいないと聞いている。本人は強がっているけれど、その精神性は年相応の少女のものだ。耐えられている間は良いが、崩れ去る時はおそらく一瞬だろう。
それでも、アリシアはもしクーデターが兄の意思でないのなら助けてあげたいと口にしている。そして、それが途方も無い程に困難な事であるというのも誤解なく理解している。その上で、助けたいと口にしたアリシアに負けてなどいられないと、アリシアを護るのであればそれ以上の強い意思を持たなければとアレルは想いを新たにしている。
「左様で御座いますか。······アンネ様に、何か言われましたか?」
「ああ、一人で抱え込まずに半分分けろって言われたよ。そうすれば気持ちも共有出来るし、何より俺のやり方だと行き着く先は全部を一人で出来る様になった末に一人になるしかないだってさ」
──アリシア様がそんな事を?
その時、寝ていて話を聞いていなかった瑠璃が、少し意外そうに呟く。その一方で、ロバートはフッと自嘲するみたいに笑う。
「それは、私の耳にも痛い言葉で御座いますね。私も、一人で何でも出来ると過信していたからこそ一人になりましたから」
「いや、ロバートのは少し状況なんかも関係してるだろ?」
「まあ、そうかもしれませんが······ただ、アレル様は分けろと言われても出来ない事情もお有りでしょう? クリス様は以ての外、アンネ様とイバレラ様においても敵の思惑を考慮して対策を立てるのには向かない方達かと思われます。ご負担に、なられてはいませんか?」
負担、そう言葉にされてしまえばアレルにはそれを否定するだけの根拠はない。教養はあっても根が素直なアリシアも、他者に対しては警戒心の強いメリルであっても、人の悪意というものの奥深さを知らない為に敵の思惑を考慮するのは難しい。それ故に、アレルは現状一人でそういった事に対処している。
それを負担と言うのなら、それは正しく負担であるのだろう。しかし、アレルはそれを負担だとは思っていない。
今朝からだが、ミリアだって少しは自分で考えて行動してくれる様になった。メリルも、口うるさい所は相変わらずだが、出会った当初の頑なな態度を崩して少しは頼ってくれてる様に思える。そしてアリシアは、傷付く事を恐れながらも正面からぶつかり、その胸に秘めた想いや意見を交わしてくれる様になった。
そう、三者三様ではあるが三人とも変わっていってる最中なのだ。そして、それはアレル自身にも言える事で、考え方が少し変わったり出来る事が増えた分だけ多少は余裕が持てる様になってはいる。そのせいか、シープヒルに来るまでは肩に重くのしかかっていた重責が、今は幾分か軽く感じる様にはなっている。
だからこそ、アレルはロバートの問いに対して首を横に振ってみせる。
「いいや、負担であるのは確かだけど、実際そこまで重くはないさ。見ろよ、俺はこうして身に着ける物まで変わってるし、ロバートのお陰で出来る事も増えた。それに、そうして変わったのは俺だけじゃなくアリシア達もそうなんだ。特に、アリシアなんかは人を遠ざける為なら平気でその人を傷付ける俺なんかに正面からぶつかってくるんだ。······ビビりながらさ。そんなアリシアが、目標を持って前だったり上を向いたりしてるんだ。俺だって、弱音なんて吐いてなんかいられないだろ? それにさ、別に任されてる事を分担出来なくても、少し話を聞いてもらえるだけでも負担なんて軽くなるもんだ。俺には、話を聞いてくれる人が傍にいる。だから、俺は負担になんて潰されないよ。ロバートが訊きたかったのは、そういう事だろ?」
アレルがそう言うと、ロバートは普段糸目を装っている目を開き、その声も自らのものにわざわざ戻して返してくる。
「たった数日······成長の早い方というのは、本当に見ていて飽きないものなのですね。今更ながら、ディミトリス様のお気持ちに触れられる機会に恵まれるとは思いませんでしたよ」
「ディミトリスも、そんな事を言っていたのか?」
「ええ、俺に対してそんな事をよく言われてましたよ。あの頃は、俺も随分と可愛がられたものですから」
可愛がり、その言葉が意味するものはきっと字面通りではなく、過酷な特訓を意味するものなのだろうとアレルは思う。ただ、目付きと声だけを戻されたので、他の部分との認識の齟齬が混乱を招いている。
「なあ、やっぱりクラウスの姿でそんな話し方されると、どうにも変な感じがするんだが?」
「そういう事でしたら、最後に一つだけ言わせて頂きます。アレル様、あなたは未だ未完の大器に御座います。そこに注がれるもので、これから如何様にも変化されていくでしょう。それはきっと、良い方にも悪い方にも······。なので、その器には良き経験を、それから良き思い出を注いで下さい。そして、いつか再び会う機会が訪れた時に、あなたの大きく成長した姿を俺に見せて下さい。その日が来るのを、楽しみにしていますので」
ロバートは、その言い終わりにアレルに対して握手を求めてくる。それには、アレルも即座に自身の手を差し出してロバートの手を握る。
「ああ、ロバートが想像も出来ないくらいの成長を見せてやる。······って言いたいところだけど、その前にロバートに助けてもらう様な事態になったら格好がつかないな」
「まあ、その時は変に格好つけずに俺を呼んで下さい。何かあってからでは遅いので」
「悪いな」
「いえ、お気になさらず」
そう言って、アレル達は薄く笑みを浮かべ合いながら握っていた手をほぼ同時に離す。すると、ロバートは目付きと声をクラウスと同様のものへと戻していく。
「さて、私はこれで失礼させて頂きます。今生の別れでもありませんし、馬車で宿を出られるところまでお見送りする事もないでしょう?」
「ああ、そうだな。好きにしてくれ。それと、色々とありがとな」
「いえ、それでは私はこれで失礼させて頂きます。アレル様、ご武運を」
それだけ言い残すと、ロバートは本当に明日辺りに再開出来そうな程にあっさりと、そのままスタスタと宿の中へと戻っていってしまう。
しかし、アレルはその潔さこそロバートらしいと感じてしまう。ただ、そこへ瑠璃から声が伝えられる。
──あの主様、ロバート様はお気付きになられてましたが、先程からあそこにアリシア様がいます。
瑠璃は、そう言いながらアレルの肩から離れて、アレルの視線を中庭にある馬房の方へ誘導するみたいに動く。そうして、アレルの視線を誘導し終えた瑠璃がアレルの肩へ戻る中、馬房の陰からフード姿のアリシアが遠慮がちに姿を現した。




