一章〜非望〜 四百八十七話 義姉妹の衝突
馬車の後方から、荷台へと上がるとそこでは何やら敷物とにらめっこをしているメリルを目にしてしまう。ただ、そのあまりの真剣さに、アレルは声を掛けるのは憚れると感じて動きを止めざるを得なくなる。
しかし、アレルの後ろに続くアリシアはその付き合いの長さからなのか、そんなのはお構い無しに声を掛けていく。
「ねえ、イバレラ? 何も問題は無かったでしょ?」
見ると、敷物はアリシア達の就寝場所として空けておいた所にピッタリ納まっていて、その上で履き物を脱いで四つん這いになっていたメリルがアリシアの声でこちらに顔を向けていた。
「ええ、物としては充分だと思います」
言いながら、メリルは四つん這いを止めて膝から足の甲までを八の字の様にしてペタンと座り直す。しかし、直後にアレルへ向けてニコッと笑いかけてくる。
──主様、危険な気配がします! 逃げて下さいっ!
(いや、もう無理だ。既に、逃げれば後の方が更に怖い状況になっている)
最早、感知など必要ない程に蛇に睨まれた蛙が如く、アレルの背には冷たいものが伝い警鐘を鳴らしている。だが、下手にこちらから動けば命が無い事も判る為に、アレルに出来るのはその場でじっと待つ事だけだった。
「ところで、これは一体いくらで購入されたのでしょうか?」
「えっ? え〜っと······買った後で色々とあったから、覚えてないな······」
──ちなみに、銀貨八枚です。
と、瑠璃は教えてくれるが、今それは余計な情報でしかない。でも、アレルがそうして苦笑いを浮かべていると、メリルは自分が座る敷物を片手で撫でながら呟く。
「······銀貨七······いえ、八枚といったところでしょうか?」
見事に言い当てられ、内心ドキリとはしたものの心構えだけはしていたアレルはどうにか動揺せずにやり過ごす。それでも、最初の笑顔を貼り付けたままのメリルからは、人を冷凍保存出来てしまうような冷気が感じられる。
但し、こちらから何かを言えば確実に致命傷となる一撃を返されてしまう。それが判っているからこそ、アレルは逃げも隠れも出来ないし言い訳など以ての外だと考える。
「······ねえメリル、アレルだってメリルの事を軽んじているわけじゃなくて、逆に気を遣っているからお金だって出してくれてるんだよ。だから、その······そういうのは、あまり良くないよ」
そこへ、アリシアが怖ず怖ずとしながらもアレルを擁護する一言をメリルへ言ってくれる。すると、わざわざメリルと偽名を使わずに言った事が冷静さを取り戻させたのか、メリルは一瞬驚いた表情を見せた後で深いため息を吐く。
「······解ってますよ。ただ、そのまま何もなしというのが、我慢出来なかっただけです」
メリルは、そう言いながらバツが悪そうに顔を逸らすと、それまでの気配を霧散させいじけるみたいにほんの少しだけ頰を膨らませる。それに、ホッと胸を撫で下ろしたアレルは、ようやく閉じていたその口を開いていく。
「一応、こっちとしては必要経費だと思って支払っているんだけどな」
「それでもっ! こちらとしては気が引けるんですよ······まったく」
ジト〜っと、言葉にしない文句を込めたかの様な視線で突き刺してくるメリルに、アレルはアハハと苦笑いだけを返す。ただ、メリルはそんなアレルの事は相手にせず、アリシアの方へその顔を向ける。
「それにしても、珍しいですね。アリシアが、こういう時にアタシへ意見してくるなんて」
「えっ? ······だって、それを買わずに身体を痛めたりしたら、それこそ本末転倒でしょ? だから、別に珍しいとかそんなのじゃないよ。······それより、珍しいなんて言ったらメリルの方が珍しくない? そんな風に、拗ねて見せるなんて」
「そうですか? 別に、今までもアリシアの前以外では割と見せてましたよ」
何故か、二人して偽名呼びを意識すらせずに、表情もどこかぎこちない感じのものを浮かべているとアレルには思えた。だが、そのどちらも引かない様子から喧嘩を始める前の様な緊張感を感じたアレルは、それが始められる前に自身が悪者になってでも止めるべきかと考える。
──主様、ここは撤退が正しい判断です!
すると、そんなアレルの思考を読んだ訳ではないだろうが、動き出そうとしたアレルへ瑠璃が忠告してくる。
(そうなのか?)
──はい、ルリ達の間でもこれに似た序列争いみたいなものがあるんですが、大抵の場合他者が口出しをすると禍根しか残しません。なので、ここは速やかに撤退しましょう!
アレルは、瑠璃達みたいな妖精の間でもそんなものがあるのかと関心するも、それなら自身は早くこの場から立ち去るべきだと感じる。それ故に、その辺の適当な木箱の上に自身の荷物を纏めてある肩掛け鞄を静かに置く。
それから、何か外へ出る理由を探すアレルだったが、丁度外に理由になってくれそうな人物がいるのを思い出す。
「あのさ、俺は少しクリスの事を見てくるから、二人は特に何もなければ中に乗っててくれるか? クリスのヤツが乗り次第、出発するからさ」
「うん、分かった。クリスの事、お願いねアレル」
「はい、それでは馬車を動かす前に一言言ってくださいね」
そうして、瞬時に表情が戻った二人に送り出される形で、アレルは争いの場になりかけていた荷台からの脱出に成功する。しかし、一体何が原因になってそんな状態になったのだろうと、荷台から出たアレルは頭を悩ませる。
そこへ、アレルの悩みを察したのか瑠璃が少々呆れた様子で状況を説明してくれる。
──簡単に説明しますと、お二人共主様にどうあって欲しいかでぶつかり合っているんです。
(は?)
──解りませんか? まずメリル様の方ですが、あの方は主様がご自身の事よりもアリシア様達を優先して、主様自身を犠牲にしているみたいなのを止めて欲しいと思っているんです。その反対に、アリシア様は主様の悩みや不安も多少は知っているので、どうするかは主様自身に委ねるべきだと考えておられるのだと思います。
(良く解るな······そんな事。というか、俺はどうしたら良いんだ?)
アレルは、アリシアとメリルがいがみ合ってる原因を知ると共に、それならば自身が解決するべきではないかと考える。
それでも、そんな疑問を投げかけられた瑠璃は、どこかあっけらかんと答える。
──そんなの、主様のご自由になさって良いんです。だって、主様の意思は誰にも縛られる事などないのですから。
(は? い、いやいや、俺が原因なんだったら俺が何かしらして解決すべきじゃないのか?)
──主様が、本当に心の底からそう思うのでしたら、そうなさって下さい。でも、そうでないなら放っておいて良いと思いますよ。自らの願望を押し付けて、主様の在り方を変えようなどとはルリにとっては敵でしかありません。······まあ、どちらかの味方をするのであれば、主様の事は主様に委ねようというアリシア様の味方をしますけど。
好きにすれば良いと、瑠璃にそう言われたアレルは何故かは解らないが少しだけ肩が軽くなった様な気分になる。
今まで、どこか状況に流されてこうすべきという考えで行動してきたアレルにとって、そんな風な考え方は思いもしなかった。ただ、そんな考え方もして良いんだと言われただけで、どこか自らを縛り付けていた何かが無くなった様に感じるのは確かだった。
(でも······それでも、二人が俺の事を考えてくれているのは変わらないんだろ? だったら、やっぱり何かはしたいと思うよ)
──はい、その通りです。そして、ルリはそんな主様の事が大好きです!
その一言に、先程までは酷く大人びた事を口にしていたのに、こういう所がどこか子供っぽいんだよなとアレルは思う。しかし、そんな瑠璃に助けられているのも事実なので、アレルはなんだかなと自身の矮小さを思い知る。
(まあ、でも一度くらいは俺も放っておく方が良いんだろうなとも思うから、今は瑠璃の言う通り放っておく事にするよ)
──はい、それではあの痴れ者を連れて来るんですね。
(コラッ、瑠〜璃〜)
──は〜い、善処します!
などと、話が一段落してどこか気持ちが軽くなったアレルは、そうして瑠璃とふざけ合いながらミリアとロバートがいる場所へと向かった。




