一章〜非望〜 四百八十六話 兄弟それぞれの感謝の形
そうして、アリシア達が中庭へ行った事でアレルはカウンターの前でクラウスと二人になる。正確には、アレルの外套のフードの中に瑠璃もいるが、クラウスには知られてはいないので問題ないとアレルは考える。
その上で、クラウスの話とは何だろうと考えると、アレルには追加の宿代の事だろうとしか思えなくなってきた。何故なら、もう一泊を無料でとはロバートが了承も得ずに言った事で、一度はクラウスからも了承は得た覚えもあるが気が変わったのかもしれない。更に言えば、厨房では勝手に食材まで使用している。
なので、ここは素直に追加の代金を支払おうとアレルはサイドポシェットの硬貨に手を伸ばす。
「あの、お客様······この度は、弟の事で大変お世話になりましてありがとうございました」
と、クラウスは話し始めるのを待っていたアレルに対し、突如として深々と頭を下げてくる。その言動に、呆気に取られたアレルは身体にしろ思考にしろ反応が遅れてしまう。
「あっ······いや、俺は別に」
それに、ロバートの事に関しては逆に世話になったのは自身の方で、ロバートに対しては何もしてやれてないとすらアレルは感じている。
しかし、それでも頭を上げたクラウスは、そんなアレルを無視して話を続ける。
「お客様が当宿へお越しになられる前と、今とでは明らかに弟の顔付きが違います。以前は、どこか生きているのか死んでいるのか判らない、無気力とまではいきませんが惰性で生きているように感じてました」
「まあ······な」
ディミトリスの話を聞いたアレルは、そんな風に評されるロバートがそうなってしまった理由を知っている。ただ、ロバートの性格上それをクラウスには話していないだろうに、ロバートの様子からそこまで感じ取っていたのはやはり血の繋がった兄弟故かとアレルは思う。
「それに、厨房の者達にも良くして頂いた様で、そちらでも感謝しています」
「いや〜、そっちは勝手に食材とか使ってもいるし、その分の代金も支払わないといけないなと思っていたんだが······」
「いいえ、そちらも必要ありません。食材に関しては、お客様の馬車に積んであるものを入れ替えるとかで、昨日弟が手配した際に補填が必要が食材も購入しています。それに、届けられた食材も今朝弟がお客様の馬車へ積み込んでいますので」
その話を聞いて、最後の最後にまたもや世話になっているなと感じるアレルだったが、同時にロバートは本当にいつ寝ているんだとツッコミを入れたくなる。
ただ、食材を購入したという事は、そこで新たに支払いが発生したという事になる。なので、アレルは今度こそこちらで出さなければと支払いの為にサイドポシェットへ手を伸ばす。
「なら、その代金も──」
「いいえ、それも必要ありません。それというのも、弟が以前働いていた所から仕入れたらしく、その時の貸しで金銭は必要無かったと言ってまして」
クラウスの返答に、ピタリと動きを止めたアレルは、仕入先がクリムエーラだと知り請求は後払いか、パメラの事なので他に請求先があるんだろうなと考える。
「じゃあ、結局支払いは要らないんだな」
「はい。それで弟の事ですが、何やら新たな目標みたいなものが見つかった様でして、そうなれたのもお客様との出会いがあればこそかと存じます。なので、重ねて感謝を」
そこで、クラウスは再び頭を下げる。そして、頭を上げるとそのまま続ける。
「それと、こんなにも長々と足をお止めしてしまいすみませんでした。最後に、今後近くへお越しの際には再び当宿をご利用下さい。その際には、従業員一同誠心誠意感謝を込めてお世話をさせて頂きます」
そう言うと、クラウスはまたも深々と頭を下げて、そのまま固まってしまう。きっと、アレルがその場を離れるまでそうしているのだろうと、アレルは悟る。
なので、その姿にロバートの事についての感謝を言いたかっただけだったんだろうとアレルは感じた。ただ、いつまでもそうさせておく訳にもいかないので自身も感謝を伝えてこの場を離れようとアレルは考える。
「ああ、そん時はまた寄らせてもらうよ。あと、こっちこそ本当に世話になった、ありがとな」
それだけ言い残し、アレルはアリシア達を待たせている中庭へと足を向けた。
そうして、中庭へ出ると既に馬車に馬達が繋がれており、いつでも出発出来る様に準備されていた。しかし、それをしたであろうロバートの姿が見当たらず、アレルは中庭をキョロキョロと見渡す。
「あっ、アレル! もう、話は終わったの?」
すると、その途中で馬車の陰から姿を現したアリシアに、アレルは逆に発見されて声を掛けられる。見ると、その手に持っていた荷物が今は無い。
「ああ、本当に最後に少しだけ言いたい事があっただけみたいだからな。それより、荷物は? イバレラ達は一緒じゃないのか?」
「うん、私の荷物はもう馬車の中に入れたよ。あと、イバレラは一昨日買った敷物の品定めをしていて、クリスは男装しているのに歩き方が女性のままだってロバートって人に言われて、そっちで歩き方を教えてもらってるよ」
「へ?」
メリルの事は置いといて、あのミリアが人からものを教わっていると聞いたアレルは、素直に驚いてしまう。加えて、教えているのが基本的に他人の事に興味のないロバートだというのだから、その驚きは更に大きなものとなっている。
──きっと、あの者が主様の足を引っ張る事の無い様にと、ロバート様が気を遣って下さったんですね。
(あ〜、そういう······確かに、それならあり得るか?)
正直、ロバートはどこか完璧主義の様な一面がある様に思える。そんなロバートの前に、不格好な男装をしているミリアが姿を見せれば、黙ってなどいられなかったのだろうとアレルは考える。
そこで、驚きで呆けていたアレルの顔の前に、アリシアがその手を何度か左右に振ってくる。
「アレル? どうしたの、大丈夫?」
「ああ、少し驚いていただけだから」
(それより、瑠璃はそろそろミリアの事を名前で呼んでやれよ)
──それについて、例え主様の頼みだとしてもルリはお断りさせて頂きます。まあ、あの駄犬が主様への態度を改めるというのであれば、考えてやっても良いとは思ってます。
と、瑠璃が頑なにミリアの名前を呼ばない事を指摘したが、余程ミリアの事を嫌っているのか瑠璃はアレルの言葉に反発する。しかし、アレルとしては頼まれたからといって、何でもかんでも全てを鵜呑みにされるより瑠璃の自由意志を感じられて良いなと内心安堵する。
そんなアレルに、目の前のアリシアはねえねえとアレルの注意を引く為に、その手を数回上下させる。
「そんなに、男の人と女の人って歩き方が違うの?」
「ん? ああ、根本的に骨格の違いがあるからな。女性は、出産出来る様に骨盤が男性よりも広くなっているから、太腿の骨······大腿骨って言うんだけど、その繋ぎ目の関節も男性より女性の方が可動域が広い。そういう所で、見る人が見れば歩き方一つで身体の性別を判断出来るんだ」
「それなら、今クリスがやっているのは、その可動域を狭く見せる歩き方って事?」
「たぶんな」
そう返すと、アリシアは成る程と感心した様子を見せ、フムフムと頷く。
それで、アリシアの疑問は解決したかなと思ったアレルは、自身も荷物の入った肩掛け鞄を荷台に置いて来ようと歩き出す。すると、アリシアが小走りで駆け寄りアレルの隣に並んでくる。
「ねえ、私もクリスからその歩き方を教えてもらった方が、何かの目眩ましになるのかな?」
「い〜や、アンネはどこからどう見ても女性にしか見えないから、そんな歩き方をしていたら逆に目立ってしまうよ」
「そっか······そうなんだ」
フフッと、薄く笑みをこぼすアリシアにフードの中の瑠璃もどこか上機嫌そうな気配を伝えてくる。それに、軽く首を傾げながらも、アレルはそんな二人と馬車の荷台へ足を向ける。




