一章〜非望〜 四百八十話 歴史の浅い文字
正直な話、移動しながら揺れる馬車の御者台で瑠璃に文字を教えるのは至難の業だ。それ故に、アレルはそれをアリシアに任し、そうすれば教える過程で自然と瑠璃とのやり取りも増えて、アリシアの不満も解消出来るのではないかと考えた。
「なんか······納得いかないけど、ルリちゃんに文字を教えるのはやっても良いよ。その、ルリちゃんが嫌じゃなければ」
──ルリも、教えて下さるなら相手はどなたでも構いませんよ。
と、肩に止まる瑠璃も返してくれたので、アレルはそれで決まりだなと胸をなでおろす。だが、目の前には瑠璃の言葉を待つアリシアがいるので、急いで瑠璃の返事を伝える。
「瑠璃も、良いってさ」
「ねえ、でもどうやって教えれば良いの? 教本とかってあるの?」
アリシアは頭を切り替えたのか、教え方についてアレルに訊ねてくる。確か、馬車の中にパメラが用意した教本代わりのものはあるが、それでは時間が掛かるし瑠璃には不向きだとアレルは考える。
それに、瑠璃がアリシア達に言葉を伝える際にも使用できる、一覧表みたいなものがあった方が良い様に感じる。
「それに関しては、瑠璃がアリシア達に言葉を伝える時にも使える一覧表みたいなものを作れないかなって思ってる。たぶんだけど、そういうものがあった方が瑠璃も楽だろうと思ってさ」
──つまり、ルリは一文字ずつそれを指して言葉を伝えれば良いんですね。
(まあ、そういう事だな)
と、瑠璃の方は早々に理解を示してくれたものの、反対にアリシアは何やら考え込む様な素振りを見せる。その姿に、アレルは何か問題でもあったのだろうかと考える。
だが、そんなアリシアも直ぐにアレルと目を合わせて、考えていた事を訊ねてくる。
「ねえ、一覧表を作るのは良いけれど、それを書く紙はあるの? それから、公用文字を一覧にしようとした人なんていないから、どんな書き方をしたら良いか判らないんだけど······」
「へ? 一覧表が無い? 本当に?」
言いながら、アレルは公用文字の成り立ちを思い出す。公用文字が生まれる以前、それまではエウロスが遺したとされる共通言語で話だけは通じる為、各国でそれぞれの国の文字を使っていた。
しかし、それではどうにもならなくなったのが亜人戦争真っ只中の各国間のやり取りだ。碌な通信手段のない世界故に、おそらく封書でのやり取りだったのだろうが各々が各々の国の文字で書いていたのだから、その国の文字を学んだ者にしか読めないという不都合が生じた。中には、封書の内容を訳し間違えるなんて事もあったのかもしれない。
そんな煩わしさを解消する為に、各国合意の下で作られたのが公用文字だとアレルは聞いている。つまり、そのきっかけである亜人戦争が百年前らしいので、公用文字の歴史は他の文字に比べてかなり浅い。加えて、ルクスタニアの識字率がどの程度なのかは知らないが、低ければ公用文字の実用性もそれに比例して低くなる。
だからこそ、パメラは教本がないと言っていたし、アリシアは一覧表を作ろうとした人なんていないと言っているのだろうとアレルは考える。
「それで、どうすれば良いかな?」
「そうだな······まあ、少しだけ朝食を食べながらでも待っててくれ」
アレルは、小首を傾げるアリシアにそう言うと、肩に瑠璃を止まらせたまま自身の荷物を漁りに行く。すると、今度は瑠璃がアレルへ話し掛けてくる。
──主様、もしかしてルリの事で煩わせていたりしますか?
(いや、全然。でも、どうしてそんな事を訊くんだ?)
──いえ、その······何か用意されてるなら主様はその場で説明するのに、今はそれをされていないので。
言われて、アレルは今までの自身を振り返って確かに瑠璃の言う通りかもしれないと思い始める。しかし、別に用意がない訳ではなく、今回の事で丁度良さそうな物が荷物の中にあったなと思い出しただけだった。
なので、アレルはそれをどこか申し訳無さそうにしている瑠璃に伝える。
(さっき、アリシアが一覧を書く紙はどうするかって言ってたろ? 今は、丁度良さそうな物を持ってたのを思い出して探してるだけで、考えが無くて悩んでいる訳じゃない。だから、瑠璃の心配は的外れだから大丈夫だ)
──はあ、そういう事でしたら良いんですけど。
(それに、瑠璃はこっちでは俺の家族みたいなものだと思っているし、例え瑠璃の事で悩んだりしても煩わしさなんて感じないから心配するなよ。まあ、そういうのはアリシアにも同じ事が言えるけどな)
そうして、アレルは自身の思いを伝えるも、瑠璃からの反応は鈍い。それに、何か不味かったかなとアレルが思っていると、瑠璃からはため息めいたものがアレルに伝わってくる。
──あの主様、ルリはそう言って頂けて本当に嬉しく思ってます。ですが、そういう所がアリシア様をヤキモキさせていると自覚して下さい。······おそらく、アリシア様自身原因を自覚なさっていないので。
(ん? ······まあ、瑠璃がそう言うなら解ったよ。以後、気を付ける様にする)
と、その意味の深さをよく理解もせずに瑠璃の言葉を了承したアレルは、丁度荷物の中から探していた使っていないデジル達から巻き上げた地図を見つける。
「なあアリシア、さっき言ってた一覧書くならこれの裏に書けよ。大きさなんかも、丁度良いからさ」
それは、レイラからより詳細な地図が貰えた為に用済みとなった物だが、元の持ち主が殺されたと聞いてどうにも捨てづらく持ち続けていた物だった。ただ、アレルはそれを知っているのは自身だけなのを良い事に、それを瑠璃の教材として利用しつつ瑠璃からアリシア達への伝達手段の一助にしようと考えた。
それには、この場では他に適した物が用意出来ない事情もあるが、そうして人の役に立てた方が物供養にもなるだろうと考えての事だった。
「それ、使って良いの?」
しかし、育ちが良いからか地図の裏に落書きすらした事の無さそうなアリシアは、アレルが掲げる地図を見ながら忌避感を示す。ただ、アレルとしてはチラシの裏を自由帳代わりにするみたいな感覚なので、そのままテーブルに戻ってアリシアにそれを差し出す。
「構わないって、今は別の地図を使っているし」
「うん、でも······」
言いながら、アリシアは受け取った地図をマジマジと観察する。すると、何かに気が付いたみたいにアリシアは目を丸くする。
「これ、少し前に城下で話題になってた地図だね」
「そうなのか?」
「うん、敢えて詳しく描かずに空白を多くする事で、自分の目で見たものを書き込める様にしてあるんだって。地方から王都に来た人とか、行商人や冒険者みたいに各地を転々とする人達に人気らしいよ。······まだ全然書き込まれてないし、新しいやつだね。何で、アレルがこれを持ってるの?」
その話を聞いて、アレルはコルトでその地図を見せた時はメリルにそれでは駄目だと言われた事を思い出す。確か、アリシアもその時に目にしていたはずなのだが、よく見えてなかったのかもしれない。
ただ、そういった流行り物を持っていた辺り、デジル達も流行に流されやすかったりしたのだろうかとアレルは思う。
「まあ、何でかって言われたら······それ、アリシア達を追っていた傭兵から頂戴した物だからな。ただ、今更返せないし新しいなら気兼ねなく使えるだろ?」
「むぅ······今は贅沢言えないから仕方なく使うけど、アレルはそういう所ちゃんと直してよねっ」
もうっ、とアリシアはアレルの適当な所に憤りを感じつつも、一応は納得してくれたみたいだった。そこに、肩の瑠璃から一言加えられる。
──アリシア様も大変ですね。
(いや、どういう意味だよ?)
と、アレルが問い質すも瑠璃はパタパタと、食べ終わった朝食を横にどかしてアレルが置いていた筆記用具を手にしたアリシアの肩へ止まりに行ってしまう。
それには、まあ良いかとアレルも瑠璃にしつこく問うのは止めて、再び席について残っている朝食を食べていく。しかし、そんなアレルにアリシアから声が掛けられる。
「ねえ、一覧表ってどんな風にして書けば良いの?」




