一章〜非望〜 四百七十八話 絶対的な優位性と生じる不安
程なくして、タチアナが部屋へ朝食を持ってきたが長居はせずに、二言三言言葉を交わすと昨夜の食器を下げてメリル達の部屋へと向かってしまう。その間に、アレルの脳裏には様々な事が過る。
マスラオ達とアリシアの魔力の関係、霊子を導く夜光蝶、妖精郷と不思議な人間、そしてエーテルの海の循環から生み出されるものと同質の魔力を持つ自身。そんな、元の世界の知識では理解するだけでも困難な事柄が次から次へと波状攻撃を仕掛けてくる。
どれか一つだけを理解しようとしても何も解らず、もしかしたら一見バラバラな様に見えて全てが一つの事に紐つけられた関連性のある事柄なのかもしれない。しかし、現在のアレルにはその中心となるべき事柄に対して、何の取っ掛かりも得られていないので考察すらままならない。
なので、アレルは取り敢えず頭を切り替えて、新たに習得した精神感知の利用法へ思考を移していく。
(一応、使う魔力量に比例して意識の薄まりも程度が酷くなるけれど、その分感知範囲なんかも広くなるからな。それを踏まえると、やはり手を付け始めるとしたら一箇所どうにもならない所なんだよな。······ただ、また瑠璃に負担を強いるのがな)
アレルは、そんな風に自身がやろうとしている事を行う為には、結局瑠璃の協力が不可欠だと思いながら蜂蜜水を作っていく。
そんなアレルが考えるのは、精神感知を感知だけでなくアリシア達への通信手段の一つとする事にあった。しかし、それを行う為にはアレル自身の感知範囲拡大と瑠璃からアリシア達への正確な伝達手段が必要になる。
なので、アレルは自身の事なら身から出た錆だし自業自得なのだが、それに瑠璃まで付き合わせるのは忍びなかった。だが、そんなアレルの悩んでいる様子に向かいのアリシアが気付いてしまう。
「ねえアレル、どうかしたの?」
「へ?」
「へ、じゃなくてっ! ······さっきから、眉間にシワを寄せて何を考えているの?」
その言葉に、こういう時は無駄に鋭いんだよなと、アレルはどうするか決めきれていない事で対処に迷う。だが、そこでアレルの手元を見ていた瑠璃がアレルの肩に止まりに来る。
──主様、もしかしてルリの事でお悩みですか? あの、ルリの事ならお気遣い無用なので何でも言って下さい!
と、そんな瑠璃の言葉に、またも甘えてしまう事になる自身が情けなくて肩を落とすも、アレルは頼むのであるならちゃんとしないとと気を持ち直す。
「いや、少し瑠璃の事について考えていてさ······なあ瑠璃、人の文字を覚えてみる気はないか?」
そう、もしも瑠璃が人の使う文字を覚えたのであれば、現在時間が掛かって尚正確には伝わっていない瑠璃からアリシア達への伝達が正確性を増す。勿論、それは瑠璃が文字を覚えた上で、アリシア達が文字表みたいなものを持ち歩いている場合に限る。
ただ、それが実現出来たなら瑠璃を介しての通信手段が確立出来る。そして、以前よりアレルが瑠璃と意思疎通出来ている事を不思議と言い、魔法的な解釈が出て来なかった為にこの世界には魔法的な通信手段すら存在してない事が考えられる。
それ故に、アレルの感知範囲依存ではあるが、確固たる通信手段を用意出来るのはかなりの優位性を保持出来る。
──それで、先程読めるかどうかお訊きになったんですね。まあ、ルリとしてはそれで主様のお役に立てるなら覚えてやります!
瑠璃は、そう言いながらアレルの肩から離れて、アレルの顔の前でムンっと胸を張る様に滞空してみせる。しかし、瑠璃の声が伝わらないアリシアは小首を傾げる。
「ルリちゃんは、なんて言ってるの?」
「ああ、役に立てるなら覚えてやるって言ってる。つうか、何でそんな事を言ったのか説明してないよな?」
「うん」
「実はさ、瑠璃が俺に限ってだけ心の声が聞こえる様になったみたいで、俺は瑠璃の声が伝わるからそれで距離が離れた場合でも瑠璃を介して俺とアリシア達の間でやり取りが出来ないかって思ったんだ。でも、瑠璃からアリシア達へはそのやり取りの内容が伝わりづらいだろ? だから、その正確性を高める為に瑠璃には公用文字を覚えてもらおうと思ったんだ。まあ、間に入る瑠璃には負担掛けて申し訳ないんだけどな」
その説明に、アリシアはどこか唖然とした表情を浮かべ、反対に瑠璃はアレルの顔の前で羽をパタパタと張り切るみたいに何度も動かす。
──その程度、負担でもなんでもありません! それに、ルリが文字を覚えればアリシア様ともちゃんとお話が出来るんです。なので、むしろ教えて頂けるならルリは喜んでやりますよっ!
瑠璃は、鼻息荒い感じでそう言ってはくれるものの、その姿に何かを忘れているのではないかという事をアレルは指摘する。
「なあ瑠璃、俺の言葉をアリシア達に伝えてもらうって事は、その時は俺とアリシア達は別行動をしてるって事を忘れてないか?」
すると、瑠璃は徐々にその羽の動きを遅くしていき、ピタリと止まった瞬間に大声を上げる。
──あぁ〜ッ!? それでは、ルリも主様とは別行動ではありませんかぁ?
「だから、ごめんて言ってるんだよ」
アレルは、そんな瑠璃に謝りはしたものの、当の瑠璃は憤りを表しているのか、もうもう言いながらアレルの頭の周囲をクルクル回る。
一方で、テーブルを挟んで向かいに座るアリシアは、どこか暗い表情で俯きながらアレルへ話し掛けてくる。
「ねえ、それってこの先そうしなきゃいけない様な事があるかもしれないって、アレルは考えているんだよね?」
「まあ、それもあるけれど御者台と荷台とで声を掛けられない時なんかも想定はしてるな」
それは、嘘ではないのだが本来アレルが行いたいのは、一昨日アリシアの行動で実際には行われなかったが迫る脅威からアリシア達を先行して逃がす事だ。やるかどうかは別にして、そういう手段があるのとないのとでは取れる行動にも違いが出る。
そして、きっとアリシアはそれらを理解した上で、そんな手段を用意する事に対して嫌悪感を示しているのだとアレルは感じる。
「······アレルの馬鹿」
「は?」
「そういうの、私が嫌いなの判っててやってるよね? アレルのそういう所、本当に嫌いっ」
キッと、顔を上げたアリシアは目尻を吊り上げてアレルを睨みつけてくる。そんな、どこか子供の我儘みたいな事を言ってくるアリシアに、アレルはカチンとくるも心を落ち着けて冷静に話す。
「······好き嫌いの話じゃないのは、アリシアだって理解してるだろ? それに、今優先すべきはアリシアを送り届ける事で、その手段を選り好みしてる場合じゃないんだ。解ってんだろ?」
「それは······解るよ、解るけど······私は、嫌なの。そういうの、アレルの方こそ解ってよ」
言われて、アレルは自身がアリシアの傍にいる事がアリシアの心の平穏を保つ一つの要因となっている事を思い出す。それもあってか、再び一昨日の様な展開になるかもしれないと考えるだけで、湧いてくる不安が抑えきれなくなっているのだろうと感じる。
──主様、話し方って大事ですよ。
そこへ、アレルの肩に止まった瑠璃からの背中を押すみたいな一言が挟まれた事で、自らの過失を感じたアレルは一つずつ掛け違ってしまったボタンを外していく事を考える。
「えっと······だな、そもそも現状で用意出来る対策ってのが少ないんだよ。リバッジでの待ち伏せに対してだって、今は細工樽しかないんだ。だから、瑠璃を介したやり取りが可能なら俺が一人で先行して状況を逐一伝える事だって出来る様になる。そしたら、打てる策も自然と増えるはずなんだ。あと、文字を覚える事を誰より楽しみにしてるのは瑠璃なんだよ」
「えっ?」
「文字を覚えたら、ちゃんとアリシアと話が出来るって喜んでいるだよ。だから、その対策とかは関係なしに、瑠璃が文字を覚える事に関しては許してくれないか? あと、俺も色々と不安なのはアリシアと大差なくてさ······その、余裕が無くて言い方が悪かったかもしれない。だから、ごめん」
言える事は全て言ったアレルだが、その気恥ずかしさからアリシアから顔を背ける。ただ、続くアリシアの言葉はアレルに向けてではなく、瑠璃に対して向けられる。
「ルリちゃん、アレルの言ってる事は本当?」
──はい、本当ですよ。
瑠璃の声に、思わず顔を正面に戻したアレルは、自身の肩から離れ頷くみたいに上下する瑠璃を視界に捉えつつもアリシアと目が合ってしまう。すると、フッとアリシアの表情が柔らかくなる。
「······アレルのバカ、最初からそう言ってくれれば良かったのに」
「だから、言っただろ? 余裕が無かったって」
そう返すと、アリシアはふと目を伏せて申し訳なさそうにしてくる。
「······でも、私の方もごめんね。我慢しなきゃいけないのに、困らせちゃったよね?」
「······本音は、アリシアに我慢なんてさせたくはないんだけどな」
なるべく、嘘は言わないように心掛けていたせいか、アレルは不意にそんな言葉を漏らしてしまう。それに、一瞬虚をつかれたみたいになったアリシアは直後にほんの少しだけ顔を赤くする。
「うん······ありがと、ね」
しかし、それで完全にその場の空気がおかしくなり始めたので、アレルは多少強引に場の空気を変える。
「ほ、ほら、瑠璃のご飯も出来たし朝食にしよう、そうしよう」
「う、うん! そうだね」
ただ、そうして強引なアレルとそれに示し合わせたみたいにして応えるアリシアの、その二人の間を瑠璃だけがどこか楽しげに飛び回るのであった。




