一章〜非望〜 四百七十五話 感応し合う精神
そうして、アリシアが苦心しながら瑠璃との意思疎通を試みるのを横目に、アレルは一応ベッドを整えてから荷物を整理し始める。とはいえ、着替えに洗面道具と剣の手入れ道具など、基本的に荷物はそれ程多くないのでそんな作業は直ぐに終わってしまう。
なので、アレルは次に長剣と帯剣ベルトに固定したままのソードクラッシャーとナイフ帯、それからダガーとサイドポシェットに籠手と、朝食後に速やかに装着出来る様に近くに集めておく。
(外套は、そのままで良いか)
ついでに、アレルは現状アマデウスに頼らずに出来る事を確認しておく。
まず剣術に関してだが、基礎はミリアから教わったルクスタニア流で、そこに古流の技である高速の突きと回転斬りを力不足ながら何とか再現出来る。それと、双剣術も身体が覚えている攻防ならば多少は可能だ。
次にロバートから教わった事で、徒手格闘の基礎と投擲術に加えて力の流れを意識した身体の使い方を身につけた。これらは、一見地味に思えるがこういった事こそ紙一重の勝敗を決する要因になるとアレルは考える。
そして、最後にアレルが考えるのは魔力操作に関してだ。これは、マスラオのお陰で色々と出来る様になったが、そのせいで少し複雑化もしてしまっている。それ故に、未だ発展途上の技術でもあり現段階で出来る出来ないの括りで纏めるのは、下手をすれば成長の阻害と成り得ると感じたアレルは細分化を諦める。
(それでも、元からの強化に使うのとは別に感知にも転用が可能になったのは大きい。昨日のやり取りで得られた取っ掛かりもあるし、道中で色々と試したりしてみよう)
そう思ったのも束の間、アレルはアリシアがフードを被っていないのを思い出し、瑠璃にばかり頼るのもなんだからと魔力で擬似的に精神を拡張する様にして行う感知を試す。すると、朝食を運んでくるタチアナの存在はまだ一階にいるみたいで、それも部屋の位置が厨房と同じ南棟だから判るのだろうとアレルは判断する。
(つまり、この感知は何も考えずに展開すると、俺を中心にして球体状に拡散するのか。ならば、意識的に平面に放射状に拡げる感覚でやれば、感知範囲も広がるのか?)
と、アレルが意識の薄まる気持ち悪さに耐えながら考察していると、不意に瑠璃から声が伝わってくる。
──たぶん、主様の感覚で間違ってないと思います。ルリも、範囲を広げる時は似た様な事をしているので。
「は?」
「アレル? どうかしたの?」
まるで、瑠璃が自身の考察に答えたみたいな声を伝えてきたので、アレルは思わず変な声を出してしまう。ただ、そんな不確定な事をそのままアリシアへ伝える訳にもいかず、アレルは首だけでアリシアに振り返り愛想笑いを浮かべる。
「いや、少し勘違いがあっただけで何も問題はない。だから、気にしないでくれ」
「······うん、判った」
アリシアは、アレルの対応を不審がりながらも、そう言って引いてくれる。なので、アレルは再び首をアリシアとは逆の方向に戻してから、改めて瑠璃への確認をする。
(え〜っと、もしかしてこれが聞こえているのか?)
──はい、聞こえていますが一体どの様な方法でこんな事をなされているのでしょうか?
その瑠璃の返しで、アレルは即座に理解した。これこそが、マスラオが伝えてきた双剣術の男が細工したと言っていた事だったのだと。
確かに、少し前に瑠璃にだけ言葉を伝えられれば良いのにと思った事はあった。しかし、実際に出来てしまうと戸惑いの方が大きい。それに、思っている事の全てが筒抜けだと流石に都合が悪い。
ただ、こうして考えていても瑠璃からの反応が返ってこない事から、アレルはもしかしたら伝え方にも何かしらのコツが必要なのかもと考える。という訳で、アレルは瑠璃を相手に少し試してみる。
(なあ瑠璃、これは聞こえているんだよな)
──はい、聞こえていますよ。
ならばと、アレルは頭の中で瑠璃にも判り易い蜂蜜を思い浮かべてみる。しかし、当の瑠璃からは何の反応も返ってこないので、アレルは改めて訊ねてみる。
(今のは、何も伝わらなかったか?)
──何かなさったのですか? でも、ルリには何も伝わってきてませんよ。
そこから、アレルは頭に思い浮かべた印象を伝える事は出来ないと判断する。それと、こうして漠然と考えているだけでは瑠璃へは伝わらず、明確に心の声として言葉にしたものだけが瑠璃へと伝わっているみたいだとアレルは悟る。
(成る程······理解した。瑠璃も、アリシアの相手しながらで悪かったな)
──いえ、平気と言うよりルリは主様とこうして内緒話が出来る様になって嬉しいです!
瑠璃は、そんな事を言ってまたもやイケない瑠璃の一面を覗かせる。しかし、瑠璃だけとはいえ、碌な通信手段の無い世界で離れた相手と相互にやり取り出来る利点は大きい。これならば、伝える瑠璃次第ではあるが、別行動を取る事になってもアリシア達の状況を把握して適切な行動を取らせる事も可能になる。
瑠璃の方も、今の様にアリシアとは何度かやり取りをしているし、いくつかアリシア相手に伝わりやすい方法を見つけてもいそうだった。ただ一つ、アレルは問題となりえる要因に思い至り、そこで深いため息をつく。
(そうなると、問題は俺の感知範囲になるんだよな······)
──どういう意味ですか、主様?
と、つい癖で感知を切らないままに心の声をアレルが漏らしてしまった事で、瑠璃が疑問を返してくる。
(あっ······いや、これを上手く使えれば、瑠璃を通して離れた位置にいるアリシア達とも連絡が取れるかとも思ったんだが、俺の感知範囲がそれをやるには狭い様な気がしてさ)
言いながら、アレルは肩越しに顔だけで振り返り瑠璃の姿を確認すると、瑠璃はアリシアとのやり取りで羽を明滅させながらもアレルとの話も器用にこなしていた。
──あの、主様は感知で魔力を拡散させる際に、何かを思い浮かべていたりしますか?
(えっ、あ〜そうだな······一応、水が流れていくのを想像してはいるけど)
──ルリは、朝靄を思い浮かべてやってます。朝靄ならば、水程形がしっかりしてませんし少ない量で遠くまで覆う事が出来ます。
(成る程、確かにそれが出来れば広範囲に対して感知を広げられるかもしれない。まあ、少し試してみるか······ありがとな、瑠璃)
──いえ、ルリで答えられる事ならば何でも答えます!
と、どこか嬉々とした様子まで伝わりそうな声を受けて、アレルは拡散させる魔力に変化を与え始める。
水である事は変わらない。ここの前提を崩すと、感知自体が瓦解しかねない。故にアレルは、その水に力が加えられ分子運動が活発になっていく様を想像する。沸々と、一つ一つの分子が徐々に彼方此方へ騒ぎ出し、液体から気体へと変化していく。
そこまでの想像が固まった瞬間、アレルはその魔力を自身から解き放つ。それは、逃走時に撒かれる煙幕か、それとも液体窒素とお湯を反応でもさせたのかという程に、濛々と周囲へ拡散していく。そして、それは確かに水の拡がりを想像していた時よりも遥かに広い範囲を満たしていった。




