一章〜非望〜 四百七十三話 その朝を迎える
──鋼を鍛える音が鳴り響く。
本当に、慣れというものは捉え方を変えると恐ろしいものなんだなとアレルは思う。最早、音だけで誰が出てきたのかすら見当がついてしまう。
(何か用か? マスラオ)
『ガハハハ、我と認識出来るまでになったか! 汝は、本当に面白い奴よな』
うるさいというより喧しい、徐々にハッキリと聞こえる様になってきたせいか、マスラオの笑い声をそんな風にアレルは感じる。そして、ここでならば肉体の方に残らない記憶も多少なりは戻ってくる。
それにより、アレルは幾重にも折り重なった声の存在と、そこでの精神すらも融かすのでないかと思える程の熱さを思い出す。
(もしかして、さっきの理由の解らない事について説明にでも来たのか?)
『うむ······と、言いたいところではあるがな、現状汝は我との関わりしか記憶の保持が出来ておらん。故に、今ここであの者等の説明をした所で覚えてられんだろうな』
うんうんと、マスラオは姿が見えないながらも、勿体ぶった頷きをしているだろう事がアレルには伝わる。
(それなら、一体何を? こっちも、マスラオ達の事ばかりにかまけてもいられないんだ)
『そうであったな······まあ、言うならばいくつか伝言があるのだ。一つは、少しの間我等は汝の事を助ける事が出来ん。力を貸せぬ訳ではないが、汝の身体をこちらで動かす事が出来ないと思ってくれ』
一見、それは身体が支配されなくて良い様に感じられるが、実は違う。それというのも、アレルのアマデウスにはルクスタニア流古流と双剣術の二種類の剣術がある。
それが、曲がりなりにも使えたのは肉体を支配されていたからであって、その支配による身体操作がなければアレルでは何一つ再現出来ない。つまり、マスラオから教わった詠唱で剣術を選択しても、その剣術自体を知らないアレルでは使いこなす事が不可能という事だ。
(それは······確かに、言われてなければ命取りになるところだったな)
アレルがそう言うのも、そうして剣術を選択した場合、おそらくアレルが十全に使いこなせなくとも反動だけはきっちり返ってくると判断するからだ。
幸いにして、剣術はどちらも反動が体力関係と比較的軽い反動だが、昨日マスラオにその反動も大きくなる可能性について示唆されている。それ故に、アレルは迂闊には使用出来ないなと思う。
『次に、────からの言伝だが、あの娘だけは何としても守り通せと言っておった。まあ、事情は知らんが誰か知っている者の子孫なのだろうな』
やはり、その者の名前はアレルには聞こえない。しかし、マスラオの話しぶりからそれがレイナーレの事を口にした人物だと判る。
(別に、そんな事言われなくてもやり通すっての)
『ガハハハ、我もそう言ったのだかな頭が硬いのだ────はな。それで、次は───からだ。ヤツも、汝の事はえらく買っていてな、剣術しか力を貸せぬのを歯痒く思い少し細工をしたと言っておった。ヤツの事だから、大方精霊や妖精関係の能力だろうが、戦闘では役に立たぬが助けにはなるだろうとの事だ』
戦闘で役に立たない、そうは言うもののそれがどんな能力なのかの説明はない。ただ、マスラオの様子から説明の時間もないのかもしれないと思い、アレルは訊き返す事はしなかった。
『最後に、我からだが────も言っていた通り、普通に生きたいなら我等へこれ以上深入りするのは止めろ。まあ、こちらから勝手に手を出しておいて何だとは思うがな。ただ、こうして会話を出来た事自体は嬉しく思っておる。······クッ、もう時間が残り少ないか。ならば、これだけは言っておこう。······我等と違って、汝はまだ選ぶ事が出来る。思うままに生きよ! 我等は常に汝と共に在るのでな!』
キーンッと、耳鳴りが残る程の大声で別れの言葉を告げたマスラオはガハハハと豪快に笑う。そこで、最後にそれについて文句を言おうとしたアレルだったが、ふと目に出来たものの姿に言葉を失う。
腰までの長さで毛先をはねさせた白銀色の長髪をなびかせ、三尺を越える背丈で筋骨隆々の体躯ながら整った顔立ちで朗らかに笑う。
ああ、これがマスラオの姿なのか、アレルがそう思った瞬間にアレルの意識は一気にその場から引き剥がされる。だが、アレルには予感があった。きっと、目が覚めた後でもマスラオの姿は忘れる事がないのだろうと。
──鋼を鍛える音が遠ざかる。
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マスラオの姿を見る事の出来たアレルは、一時意識の波間にその身を投げ出して海月の様に脱力して漂う。その心地良さで、今夜の精神的な疲労を癒していく。
きっと、現実の時間ではほんの僅かな時間ではあったのだろう。しかし、肉体と切り離された意識では時間感覚が異なる故に、現実での僅かな時間も永永無窮にさえ感じられてしまう。
しかし、アレルはそれを逆に利用して自身の精神を癒す時間を作り出す。だが、そうして波間を漂ってどれ程の時間が経ったか判らなくなった頃、アレルの身体の方へ何らかの刺激が加えられたのを感じる。
(時間か······)
それで、朝がきた事を確信したアレルは、波間から意識を引き上げて目覚めへと意識を向かわせていった。
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まだ、アレルの意識が肉体との繋がりが薄くて身体が動かせない時に、断続的にアレルの身体を揺らす存在がいた。
「アレル、ねえアレルっ! 朝だよ、起きてっ」
身体は動かずとも、既に聴覚は働き始めておりアレルの身体を揺らす者の声を捉えている。それにアレルは、そういえば死ぬ時に最後まで残るのも聴覚だとか聞いた事があるなと、随分と働き者な聴覚に感心する。
ただ、そう思う頃には既にほぼほぼ目覚めていたアレルは、目を開ける前に身体を揺らすアリシアの腕を軽く掴む。
「······もう起きた、これ以上揺らすのは勘弁してくれ」
「あっ、やっと起きた。······フフッ、おはよっアレル」
アレルが目を開けると、中腰になっていたアリシアは掴まれていない方の手で垂れ下がった髪を耳に掛けながら穏やかに微笑む。朝の陽光が、丁度そんなアリシアの蒼銀の艷やかな髪を照らし、キラキラとした光粒を生み出している。
そんな、どこぞの加工写真かと見間違える様な光景に、アレルは心臓に悪いとアリシアの腕から手を離して顔を背ける様に寝返りを打つ。
「あっ! そうやって、また寝ようとしたらダメでしょ? ねえ、アレルッ!」
しかし、そこは優等生気質も持ち合わせているアリシアだ。アレルの反応を、二度寝でもしようとしていると勘違いをして、上掛けを引っ剥がそうとしてくる。
それで、最早抵抗も無駄かと思ったアレルは心を落ち着けると、上掛けから手を離してそのまま上体を起こす。
「解ったよ、もう起きるって。······おはよう、アリシア」
「もうっ、本当にアレルって変な所で手が掛かるんだから」
むぅ、と不満気な表情のアリシアに対してアレルは苦笑いを返す。そうして、アレルはアリシア達の護送再開の朝を迎えた。




