一章〜拠り所〜 四十七話 ハンカチの行方
商会を出て、不意にアレルは空を見上げる。
日が落ちきる前の山吹色の輝きに、吸い込まれそうな程に深い夜闇の濃紺が滲んでいく。
それが、体感で随分ひさしぶりに一人きりになったアレルには、やけに高く感じられた。
「フゥ······」
そうして、一時的に緊張の糸が切れた事で、アレルはパメラとの会話の中でおかしな所に気が付く。
(アイツ、俺に感謝しているって言ってたけど、俺何かしたか? まあ、パメラの事だからロナに関してだろうけど)
アレルは、今更訊きに戻る事の出来ない疑問に、見切りを付けて街中を歩き始める。
薄暗くなってきたからか、街中にはチラホラと明かりが灯り始め、揺らめくもの、燦々と輝くもの、煌々と照らすもの、そんな様々な種類の街の灯がアレルの目を楽しませる。
人並みも、商人達が忙しそうに東へ西へと奔走していた昼とは違い、コルトを拠点にしている者、旅の中継点とする者、ここに住んでいる者、と雑多な雰囲気が増していく。
中には、やれ自分が一番魔物を狩っただとか、今日こそ目当ての女をおとしてやるだとか言っている者もいて、そんなどうでもいい喧騒を聞き流しながら、アレルは工業区を目指す。
(一応、目に付いた宿はチェックしているけど、ハンカチが挟まっている窓なんて無いよな)
アレルは、いい加減アリシア達の泊まる宿を見つけないと、この後会いに行く事が出来なくなるので、内心焦り始める。
コルトに入ってから、アレルはそのほとんどを商業区で行動していた。故に、これまでの移動で商業区のアリシア達が泊まる可能性のある宿は、あらかたチェック済みになっている。
なので、アレルの頭の中では工業区にあるのではという事になってはいるが、見つからなかった場合の不安だけは常につき纏う。
(······まあ、見つからなくても縁が無かったって考える事も出来るけど──)
ふと、アレルの脳裏にフードを脱いだ時のアリシアの笑顔が過る。
(──けどもだ。そんな無責任、やりたくねぇからな。とにかく、メリルの提案は無しにしても、目的地までは送り届けるって決めたんだ。絶対に、見つけないとな)
工業区へ向かいながら、決意を新たにするアレルであったが、そこに水を差す存在が顔を出す。
──グウゥ
「······」
あまりのマヌケな音に、思わずアレルはその足を止めてしまう。
そして、直後に襲ってくる恥ずかしさから、アレルはそこから早足になる。
(取り敢えず、飯を食わない事にはどうにもならない。早く済まそう)
そんなこんなで、中央区を迂回して工業区に差し掛かったアレルは、パメラから貰ったメモを手に取る。
そのメモは、工業区の区画を大雑把に描いているが、道順に必要な通りの本数だけはしっかり描いてある。
それは、アレルが国外の人間だと知ったパメラなりの配慮だろうと、アレルは感じた。
(文字は読めないからな、本当にありがたい)
アレルは、パメラの配慮に感謝しつつ、通りを照らすガス灯の様なものが並び立つ下を歩いて行く。
メモによると、大通りを少し歩いて二本目の路地を入るとなっていて、その目印としてベッドの絵が描いてある。
それを、おそらく宿だろうと判断して、そのまま歩くアレルはその視界に宿屋を捉える。
その宿は、通りに面している上にそれなりに大きく、店構えも綺麗に調っている。
その全容に、思わず足を止めたアレルはまさかなと、パメラのメモと宿を見比べる。
(うん、この店構えなら内装もしっかりしているだろう。それに、大通りに面しているから出入りも雑踏に紛れ込みやすいかな。ただ、もしここだったなら······偶然が過ぎるな)
どこか、作為めいたものを感じつつも、エヘヘと笑うパメラの幻影を振り払って、アレルは宿の横の路地へと入っていく。
窓の位置などから、大きさの割に部屋数が少ない高級宿だなと、路地を歩きながらアレルは窓を一つずつ確認していく。
「ん? ······あっ」
そんな中、やはりと言えばいいのか、アレルはアリシアが持っていたハンカチが挟まる窓を見つけてしまう。
宿の路地側三階奥の角部屋、一見カーテンでも巻き込んだかのようにも見える、窓枠の最下部分にちょこっと遠慮がちにハンカチが顔を出す。
その、大部分は隠しながらも、僅かに見つけて欲しいという主張も残すハンカチは、持ち主の性格を表している様だった。
(あれは、確かにアリシア達と別れる前に見た物で間違いない。······路地で、部屋の周囲は明かりがあまり届いていない。今は、まだ人通りがあるけれど、夜が深まればそれもなくなるだろう。これなら、ロナから貰った潜入道具を上手く使えば、誰にも見られず部屋に入れそうだ)
そうして、パメラの不審さには目を瞑り、何とかアリシア達と接触出来そうだとアレルは胸を撫で下ろす。
だが、その時だった。
──グウゥゥ
と、それまでと比べても一際大きい音で、アレルの腹の虫が空腹を訴える。
しかし、アレルはその訴えに直ぐには応えず、宿周辺を軽く回ってルートの確認を行う。
(まあ、確認はそこそこにして大丈夫か。どのみち、店が閉まって人通りがなくなってからてないと動けないからな)
アレルは大方確認した後、そう結論づけると再び空腹を訴えてきそうな腹に力を入れて、音を鳴らさないようにする。そして、アレルは再度メモを見ながら目的の店へと歩き始める。
メモの指示に従い歩いていくと、次第に工房系の建物が増えていき、日が落ちたというにも関わらず、何かを叩く音や金属音、それから人の怒号の様なものまでが聞こえてくる。
(······なるほどな。これなら、職人以外の人間が近づきづらい訳だ)
比較的うるさく感じる、右耳を塞ぎながらアレルは思う。
そうしながら、しばらく歩いていくと、鼻腔をくすぐるいい香りが届くようになる。すると、自然にアレルは早足になり、香りが流れてくる方向へと進んでいく。
そして、ようやく目的の店へと辿り着く。
(ここか······)
飾り気のない無骨な造り。中を覗うことが出来ない店構え。看板さえ掲げていないその店は、アレルの様な空腹の者を惹きつける香りを放っているにも関わらず、まるで来客を拒んでいる様にも感じられた。
しかし、流れてくる香りにはインドの風──もとい、スパイスの香りが混じっている。
(いや、めちゃくちゃ空腹を刺激してくるけど、本当にここでいいんだよな?)
日本でも、看板を出していない隠れ家的な店もあるし、まるで民家そのものみたいな店まであった。何より、パメラのメモがこの場所を示している。
そう自分に言い聞かせ、不安から躊躇って止めていた足を、アレルは無理矢理動かす。
そして、アレルは店の扉に手を掛けてその中へと踏み入った。




