一章〜非望〜 四百六十九話 二枚の地図
アリシアの接近に、身体を僅かに離した時はどこか好感触の反応が返ってはきていた。しかし、たった今考えていた事を説明した時には何かしらの不満を滲ませた反応がアリシアから返ってきた。
女心と秋の空と聞いた事のあるアレルだったが、ここまで振り幅が激しいと流石に戸惑いの方が強くなる。一体、自身が何をしたのかとアレルはここまでのやり取りを振り返ってみても、話しかしてない上にそれはそれで着地点には落ち着いていたはずだ。ならば、他に何かあるのかと考えてみても思い当たるものがなく、途方に暮れたアレルはもういいやと肩を落とす。
「アレル?」
「······明日の事もあるし、もう汗を流して寝る。明日は、夜に寝られるかも判らないし」
言いながら、地図を片付け始めるアレルは服の裾を引っ張られる感覚にそちらへ視線を向ける。すると、そこには何故かアリシアが服の裾を摘んで遠慮がちに引っ張っていた。
「アリシア?」
「えっと······その、ね······明日、どこを通るのかとか私も知っておいた方がね、ほら心構えとか出来るから教えてくれないかなって······ダメかな?」
それに関しては、別に構わない。が、アレルとしては裾を摘むアリシアの指先が、声を出す前にほんの僅かに震えた事の方が気になる。
それが、何に対してのどんな気持ちの表れかはアレルには解らない。ただ、アリシアからの求めに対してその指先を振り解く選択肢の無いアレルは、片付け始めた地図を再び広げる。
「いいよ、さっきも言ったけど急ぐ理由もないから。······だから、その置いていかれるのを怖がるみたいな表情は止めてくれ。なんか、こっちが悪い事をしてる気分になる」
その一言に、ハッとしたアリシアは慌ててアレルの服の裾から手を離して、アレルに対して顔だけはそのままに身体を半身にする。その反応に、アレルはそれなりに信頼されてきている実感はあるものの、未だ警戒されたり隠されたりしてる部分もあるんだなと感じる。
「ご、ごめんね······そんなつもりは、なかったんだけど」
「謝る程ではないよ。それより、見ててくれるか?」
そう言って、アレルは指先で地図上のシープヒルを指差す。
「今、俺達がいるシープヒルがここで、次の目的地のリバッジがここ。たぶんだけど、地図上の距離では馬車で三日から五日掛かるか掛からない程度。でも、道だって真っ直ぐじゃないし、馬車も走り続けられる訳でもない。だから、実際にはもっと日数が掛かると思う」
「······うん」
頭を切り替えたのか、集中し始めたアリシアは地図を覗き込める様にアレルの傍へと近づいてくる。それには、アレルの方もその集中を乱さない様に淡々と話を続ける。
「まあ、少し手間を掛けて街道に戻れば多少は短縮出来るかもしれないけど、昨日の騒ぎを理由にこの辺りの街道近くはビットーリオの手下が監視しているかもしれない。だから、明日は街道へは戻らずに大きく迂回して、少し先にあるヘッケルって町を目指す。シープヒルの西門からの道が、地図だとこの道で──」
「アレル待って! 私、その道知らない」
「へ?」
どういう事なのだろうか。レイラから貰った地図には、確かにそこに道が描かれているのにアリシアはその道を知らないと口にする。まさか、クリムエーラの羽根達が使用している地図が間違っているという事はないだろうが、アレルはこの食い違いに首を傾げる。
すると、そんなアレルを見かねてかアリシアがその場から離れて、ベッドの方の自身の荷物から所持していた地図を持ってくる。
「ほら、こっちの地図を見て。シープヒルからは、街道に戻る道は描かれているけど、アレルの地図にある道は描かれてないでしょ?」
言われて、テーブルに広げられたアリシアの方の地図を見ると、確かにシープヒル西門から伸びる道は一本少ない。そこで、アレルの直感が働く。
「そうか、もしかしたら旧道なのかもしれない」
「それって、シープヒルが開発される前からあった道って事? でも、それがどうして私の方の地図だと描かれていないの?」
立て続けに質問を重ねるアリシアに、既に考察を終えているアレルは僅かに口角を上げながら答える。
「簡単な話だよ。街道は、国と国を繋ぐ交易路の役割を担っているだろ? だから、定期的に兵を巡回させて魔物を間引く事で安全性を維持しなければならない。つまり、ある程度の人員が必要になる訳だから全ての道に兵を巡回させておく余裕は無い。となれば、考えられる方法は?」
と、アレルは結論を隣のアリシアに任せる。それに、少し戸惑いを見せたアリシアだったが、少しの間の後で頷くとアレルに答え始める。
「······えっと、交易に必要な道にだけ人員を集中させる?」
「その通り。だから、実際にそこへ行くと道は存在してるけど、この先魔物注意みたいな立て札が置いてあるんじゃないか」
「そっか、そんな立て札があれば人は通らなくなるし、地図にも描いてなければ余計にって事なんだね」
そう口にして、アリシアは納得したみたいに胸を撫で下ろす。その姿に、落ち着きを得たアレルは再び頭が回り始める。
(でも、旧道なら追手の監視も無いだろうし、魔物が相手なら瑠璃の感知で回避も可能なはずだ。案外、その道を通って次の町を目指す事は理に適っているかもしれない)
アレルはそう思い、リバッジまでの道中で他にも同じ様な道はないかと二つの地図を見比べる。しかし、そこで隣のアリシアに声を掛けられてしまう。
「ねえ、何でアレルはこんな地図を持っていて、そんな旧道なんて描かれているの?」
と、どこか致命的めいた質問をぶつけてくるアリシアに、アレルは思わず固まってしまう。ただ、その答え自体ならばそれ程難しい事ではない。
地図はレイラから貰った物だし、旧道が描かれている理由も羽根達の仕事を考えれば単純に人目に触れない道をいくつか確保しているという事なのだろう。しかし、アレルにはアリシアがどこまでクリムエーラに関して知っていて良いのか判らない。
むしろ、アリシアの様な立場の人間は表の商会の顔は知っていても問題ないだろうが、裏の顔である羽根達の仕事は伏せておいた方が良いようにもアレルには思える。それ故に、アレルは返答を待つアリシアに対して盛大な誤魔化しをしようと決意する。
「それは、な······」
と、そこまで口にしたアレルは思い直す。もし、ここで誤魔化してしまえば、今後もアリシアに対して嘘を嘘で覆い隠すみたいな事をし続けるしかなくなるかもしれないと。
そう思ったアレルは、急遽口にする言葉を変更する。
「地図に関しては、コルトでアリシア達の身代わりに囮になってくれた人から貰ったって言ってなかったか? それと、旧道が描かれている理由だけど、いくつか答えは思いつくけど、アリシアにはどこまで話して良い内容なのか正直判らない」
「それって、私の立場的な事で?」
「まあ、そんなとこかな」
アレルはそう言うが、同じく立場のある大公はクリムエーラの裏の顔を知っている。但し、それはディミトリスとの旧交あってのものなので、アリシアの場合とは違う。
なので、杞憂かとも思うアレルではあるが、立場ある身で正道を知る前に裏道がある事を知るのは良くないとも感じるので、真実を知りたいなら即位してからにしてくれと願う。
「うん、解った。······誤魔化さずに、ちゃんと言ってくれてありがとね」
ニコッと、どこか機嫌良さそうに微笑むアリシアに、アレルは内心ヒヤリとする。こういう時のアリシアは、ペンダント抜きにしてもやけに勘が鋭い。
そんな、まるで心を読んでいる様なアリシアの勘の良さを失念していたアレルは、途中で思い直して良かったと心の底から安堵するのであった。




