一章〜非望〜 四百六十七話 稀な鈍感さと隠す想い
話が終わり、持ってきた餃子と焼売も無くなったので、アレルは軽く片付けをして浴室を使う準備をし始める。アレルは準備をしながら、この宿で過ごす間に何度かアリシアと言い合いをしたり話し合いをする機会があった事を振り返る。中には、アレル自身がきっかけとなってしまった事もあったが、その大部分のきっかけはアリシアが潜在的に抱えている不安や葛藤などだった様にアレルには思える。
ただ、そのアリシアが潜在的に抱えているものの根源は未だに解消されておらず、それはクーデターの事であったりアリシア自身の問題であったりと様々なものが複雑に混ざり合ってる事が原因だと考えられる。それ故に、アレルは今後もアリシアとは何度もこんな風な話し合いを重ねる必要があるのだろうなと感じてしまう。それこそ、アリシアの抱えているものが消えてなくなるまで。
それでも、アレルとしてもアリシアと話した事で落ち着いたり前向きになれたりもしている。なので、お礼代わりにすらならないが、この先もアリシアが向き合ってくれるのであれば、何度でも相手をしようとアレルは覚悟を決める。
「あっ!?」
「どうした?」
そこに、自身のベッドへ腰掛けていたアリシアが急に何かを思い出したみたいにベッドから立ち上がる。それに、思わず作業の手を止めたアレルは顔を上げてアリシアを見る。
「はっ、歯磨きッ! そう、歯磨きしなくちゃいけないから、少し浴室使っても良い?」
すると、アレルが煽っていた時の内容を思い出したのか、アリシアはどこか慌てた様子で顔を上げたアレルに訊ねてくる。何故、それ程までに慌てるのか解らないアレルではあったが、特に急ぐ事でもなかったので先を譲る事にする。
「ああ、別に構わないよ。急いでもいないから、ゆっくり使ってくれ」
「う······うん、ありがと······」
しかし、アリシアは何か不服な事でもあったのか、ムスッとしながらジト目でアレルの事をにらんでくる。
「······えっと、アリシア?」
その視線に耐えきれず、アレルは声を掛けるもののアリシアはフンッと顔を背けると歯を磨く準備を手に浴室へと足を向ける。
「何でもないからッ」
アレルは、本当に何でもない人間はそんな事を口にしたりはしないと思うも、それを口にしたら再び口論になりそうだったので口を噤む。すると、アリシアはそれだけを言い残してそのまま浴室へと消えてしまう。
(急に、どうしたんだ?)
一人残されたアレルは、理由の解らない事に助けを求めてアリシア側のサイドテーブルの上の小物入れへ視線を移す。アレル側には、色々と装備が置いてある為に瑠璃の寝ている小物入れは預かるとアリシアが言ってくれてそこにあるのだが、当然の如く眠っている瑠璃はアレルの疑問に答えてはくれない。
そうして、アレルは手掛かりすら与えられない降って湧いた疑問に、ただひたすらに悶々とするのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
──同時刻、浴室の中。
歯磨きをする、そう言って浴室に入ったものの、アリシアはどうにもならない感情を抑える為に閉じた扉に背を預けたままその場に蹲る。
(アレルのバカ、アレルのバカ、アレルのバカッ! どうして、アレルは平然としてるのよっ)
心の中で、アリシアはアレルの鈍感さに対して理不尽な憤りを露わにする。それというのも、食べ始める前にアレルが歯磨きをしないとなと言った事を思い出した際、アリシアは無意識に自身が使用していたフォークで半分にした餃子をアレルに食べさせていた事まで思い出してしまった事に起因する。
一応、アリシアは王城で教育を受ける際に一般教養なども身につけていた。その中には、市民生活に関する知識なども含まれており、男女交際についても多少なりとも教えられていた。そこで、自らの食器を用いて赤子に対してするみたいに男女で食べさせ合う事は、はしたない事だと家庭教師に口を酸っぱくして教えられていたはずだった。
それにも関わらず、先程それをアレルに対して無意識に行ってしまっていた事で、アリシアは羞恥心からアレルと同じ空間にはいる事が耐えられなかった。ただ、こうして一度アレルから離れると、今度は自分がこんなになっているのに平然としているアレルに対しての憤りが沸々と湧いてきてしまった。
(もう、何であんな事しちゃったんだろ······)
アリシアは、まるで火でも吹き出しそうなぐらい熱くなっている顔を両手で覆いながら、自らの軽率な行動を悔いる。しかし、その感情は直ぐにアリシア自身の尊厳を守る為に、アレルを責める気持ちへと変換される。
(大体、いつもは人が気付かない様な事まで気付いたりするぐらい鋭かったりするのに、こういう事ばかり鈍いのっておかしくない? もしかして、さっきの話で出奔したモーガンの部下が懸想してるって事は女の人だから、アレルって女性慣れしてるの? でも、ミリアが体調を崩した時は少し戸惑っていたから、そんな訳はないか。······それに、食べさせた時のアレルは私の話のせいで、そういうのに気付きづらくなっていたのかもしれないけれど)
そうして、アリシアはアレルとの話を振り返る事で少しずつ冷静さを取り戻すも、話を切り出した時の怖さも思い出してしまい僅かに身体を震わせる。
(でも、本当に良かった······アレルが、ちゃんと向き合ってくれて)
アリシアには、アレルに背を向けられたり拒絶されたりしないかという恐怖があった。それでも、アレルに話を切り出したのには、アレルをより深く知りたいという欲求がその恐怖を上回っていたからだろうとアリシアは思う。
ただ、それすらも本当は自身が安心したいが為の方便で、本心ではこの先もアレルが傍にいてくれるという確信が欲しかったのかもしれないとアリシアは考える。少なくとも、アレルだけが責任を負う形ではなく自身も責任の一端を担う形にさえ出来れば、アレルが自身から離れていく前に引き止める為の言い訳に出来る。
そんな考えを、アリシアは浅ましいなと感じて自らを貶し始める。アレルは、あの時他者に甘え過ぎた結果依存してしまうのが怖いと口にしていた。それに対して、アリシアはそうされているのは自身だと返したが、正しく現在の状況はアレルに依存しているとしか言えない状況だ。
それにも関わらず、アレルの手助けをしたいと、依存するのが怖いと口にしたアレルの前で自身は宣っている。逆の立場であるなら、そうして自身に頼り切っている存在に助けなんて求められる訳がない。それ故に、アリシアはアレルが助けを求められない環境を作っているのは自分なのだと嫌悪感を募らせる。
(······本当に最低だ、私)
しっかりしなければ、そう思う程にどこか高潔な部分があるアレルの背中が遠く感じてしまう。自らを律し、弱きを助け、日々高みを目指して自らを鍛える。そんな、まるで騎士の心得を地で行くみたいな事をしておきながら、騎士なんて柄じゃないと口にするアレルに対して不意にアリシアは笑みをこぼす。
(······アレルって、本当にバカ)
ただ、そうして未熟である事を承知で日々必死に足掻いている姿に、自身は救われているのだとアリシアは感じている。どこか自分と似ている所もあるのに、心の中に弱さや脆さなんてものを隠しているのも同じなのに、ここまで必死に自分達を守ってくれている。
その姿に、傍で見ている自分ももしかしたら同じ様になれるのではないか、そんな可能性をアレルは感じさせてくれる。だからこそ、負けたくないと思えるし、いつかは隣に並び立ちたいと目標を持つ事も出来る。
そう思わせてくれるから、自身はアレルと共にいたいと感じているのだろうとアリシアは思う。それ故に、今のままではいられないとアリシアは奮起する。
(よしっ、元気出た! いつまでも、アレルを待たせている訳にもいかないし、早く済まして戻らないと)
そうして、勢いよく立ち上がったアリシアは、浴室に入った当初の目的を果たす為に動き始めるのであった。




