一章〜非望〜 四百六十話 違和感と緊張感
アレルは椅子に座ると、二つあるタレの注がれた小皿の片方をアリシアの前に差し出し、それからフォークも手渡す。
「これに付けて食べるの?」
「ああ、その辺はお好みでって感じかな」
「そうなんだ」
と、アリシアは納得した様子を見せつつも、厨房の戦隊各員とは違い最初からタレに付けて食べる。それを見た後で、アレルも一つ食べてみるのだが、そもそもフォークで食べる餃子というのが凄まじい違和感となって襲いかかる。
続けて、塩味はともかく醤油の風味が感じられないタレにも物足りなさを感じてしまい、アレルの中でこれじゃない感が増してしまう。そのマイナス感情は、最早こうなれば箸だけでも手ずから削り出してやろうかと思う程であった。
しかし、対面に座っているアリシアの感想は真逆の様で、どこか嬉々とした様子が窺える。
「これ、中に入ってるのって挽き肉? なんか、タレもしょっぱさと酸っぱさと辛さが感じられて、不思議だけど美味しい」
「そうか?」
しかし、そんなアリシアの感想を、アレルは元の世界で食べた味を舌が覚えているせいか疑問形で返してしまう。当然、それには自分の味覚が馬鹿にされたと感じてもおかしくないアリシアが反発してくる。
「何、その言い方······私、何か変な事言ったかな?」
「いや、ごめん······なんというか、解ってはいるんだけど元の世界の物と比べるとどうしてもな」
「ああ、それでなのね。······ねえ、元の世界のやつってそんなに美味しいの?」
アレルの反応に、納得した様子を見せたアリシアは単純な興味からなのかそんな事を訊ねてくる。それに、あまり元の世界の事を話すのはどうかと思ったアレルだったが、アリシア相手には今更かと普通に答える事にした。
「そうだな······美味しいかどうかは人によるけど、そもそも材料が違うしな。今回は、用意してくれた挽き肉が羊肉だったけど、向こうじゃ豚肉を使っていたからな」
「でも、それだけじゃないよね?」
言った後で、パクっとアリシアはフォークに刺していた餃子を頬張る。ただ、その言葉からアレルは、なんか少しずつアリシアに話し方の癖の様なものを悟られ始めたなと感じる。
「ああ、でも発祥元の国では本来羊肉を使ってたらしいから、それはそこまでの違いではないんだけど。後は、食器の違いかな? 向こうでは、箸って言って二本の棒状のものを片手で持って、それで食べ物を挟んで食べていたんだ。ただ、その箸の使い方で良くないとされているものの中に刺し箸ってのがあって、その箸で食べ物を刺すのは礼儀を失するとされていたから例えフォークでも刺す事に忌避感があるんだ。······その、箸で食べ慣れていたせいでさ」
「そういう所は、記憶喪失でも残ってるんだね」
「厄介なだけだけどな。······それで、極めつけなのがそのタレなんだ。それ、今のは塩水で代用してるけど、本当は醤油っていう調味料を使うんだ。んで、この醤油ってのが俺の国では料理に欠かせないものだったりする訳なんだ」
「そっか、だからそんなに不満気だったんだ」
アリシアは、アレルの不満の原因を知ると、自身に非がなかった為かそう口にしながら安堵の表情を浮かべる。だが、そんなアリシアは直ぐに何かを思いついたみたいにハッとすると、目を輝かせながらアレルに話し掛けてくる。
「ねえねえ、それならアレルがそのショーユ? ってやつを作れば良いんじゃないの?」
その提案に、アレルはものを知らないっていうのは怖いものなんだなと実感させられる。
「あのな、それは無理なんだよ」
「えっ、どうして?」
「ん〜っとだな、俺もかなりうろ覚えなんだけど、醤油は大豆と小麦と塩水が主な原料なんだが製造に半年から八ヶ月くらいかかるんだ」
アレルは思う。きっと、アリシアは色々と作れる自身なら未知の調味料すら作る事が出来ると考えていたのだろうと。しかし、醤油作りに関しては知識があっても素人ではどうにもならない部分がある。
「それに、製造には麹菌ってやつが作る麹ってのが必要なんだけど、これが厄介で。この麹菌が、麹を作る際に熱を発するんだが、その熱で麹菌自体が死ぬ事もある。だから、温度管理が重要でほぼ付きっきりで見てなきゃならない。それで、この麹の原料が大豆と小麦なんだが、この麹に塩水を加えると醪ってやつが出来て、これを熟成させるのにも温度管理が必要になる。······例え、それらの工程が全て上手くいくとしても、半年以上も醤油作りに費やしてはいられないからな」
「そっか、そんなに難しいんだね」
「言葉では語り尽くせない程にな」
そう言って、肩を竦めたアレルはその難しさを理解してくれたアリシアと二人で残りを食べ始める。その際、アレルはアリシアを気遣って、先程の様な不満が表に出ない様に配慮する。
流石に、どんな人物であっても目の前で変な顔をされれば、何を食べていたとしても不快に感じるだろう。そんな飯マズ案件の自身を、アレルはひた隠しにしながらもアリシアに合わせて夜食を食べていった。
そうして、食べていく最中にアリシアは、いただきますを忘れただのと言ったり、水餃子のモチモチな食感が気に入った様子なども見せて、実に楽しそうに食べてくれる。その姿は、食べる前に体重を気にしていた事が嘘みたいに思える程で、アレルは不意に笑みを浮かべてしまう。
「······何で笑うの?」
「へ? いや、一国の王女様が餃子や焼売を頬張る姿なんて、滅多に見られるものじゃないなと思ってさ」
「もぉ〜、またそうやって馬鹿にするんだからぁ」
アリシアはそう言って、ほんの僅かに頬を膨らませながらムッとした表情を作る。その、どこか可愛らしい仕草に、アレルはまたもや不意に笑みを浮かべてしまう。
「ほら、またぁ」
「いや、違うって······本音を言うと、アリシアが気に入ってくれたみたいで嬉しいって、作った甲斐があったなって思って笑ったんだよ」
「そう······なんだ」
珍しくアレルが本音を語ったせいか、アリシアはどこか照れた様子で視線を逸らし、気持ちを落ち着かせる為か自らの髪を手櫛で数度梳く。そんなアリシアを見て、アレルは何となく持っていたフォークを置いてしまう。
「でも、そうやって気に入ってくれたから、尚更今夜に作って良かったと思うよ。ここから先は、野営の時なんかは特に警戒しないといけないから呑気に料理なんて出来ないかもしれないし」
「アレル? ······その、やっぱり厳しいの?」
そんなアレルの言葉に、アリシアも態度を改めてアレルへ向き直る。
「正直、どうなるかは判らないな。ここで数日過ごした分、追手が俺達を追い越した可能性もあるし、コルトで身代わりの方に食い付いた連中が丁度近くにいる可能性もある。取り敢えず、シープヒルを出てから慎重に様子を見るしかないかな」
「うん······」
包み隠さず話すアレルに、アリシアは神妙な面持ちになり押し黙ってしまう。しかし、アレルの方にはアリシアを怯えさせたい意図なんてある訳もなく、そんなアリシアに対して軽さを意識した話し方をする。
「でもさ、きっと大丈夫だよ」
「えっ、何で······?」
「道中、怪しい奴の接近は瑠璃か俺が察知出来るし、いざ追いつかれても細工樽で三人を隠せる。それに、無理矢理でも何でも、公国にさえ入ってしまえばビットーリオも手出ししづらいはずだ。成り立ちから考えれば関係性の深い国だけど、武装した騎士の様相の傭兵なんかでは簡単には国境を越えられない。それをすれば、国際問題になるからな。向こうに、どんな思惑があるかは知らないけれど、周辺国に睨まれるのは好ましくないだろう」
アレルは、そうしてアリシアを元気付けようとするも、どうもアリシアの反応が思わしくない。ただ、思い悩むと言うよりは何か逡巡しているみたいだった。
「ねえアレル、少し良いかな? アレルに、聞いておいて欲しい話があるの」
「ああ」
アレルは、急に真剣な表情を向けてきたアリシアに思わず返事を返してしまう。別にそれ自体は構わないのだが、アリシアの口調は変わらずともそれまでの親しみを感じない私情を排した態度に、アレルはこれまでに感じた事のあるものとは別種の緊張を感じるのであった。




