一章〜非望〜 四百五十九話 夜食の誘惑
厨房を後にし、胸の中にどこか温かなものを感じられるアレルの足取りは軽い。そうして廊下を歩きながら、アレルは改めて思う。旅立ちに余計な荷物は要らない。歩みを遅くするだけだから。ただ、それでも重さの無い人の気持ちはいくらでも持っていけるのだから、後ろ髪を引かれようとも振り返る必要もない。
何故なら、懐かしむぐらいだったら、もう一度会いにくれば良いだけなのだから。
(ここには、ロバートもいるからな。アリシア達の事が落ち着いたら、一度報告がてら顔を出すのも良いだろう。そん時は、ジェームスに天ぷらの作り方でも教えてやろう)
そう思いながら、アレルは二階への階段を上がり始める。いつか、あるかもしれない楽しげな未来を想像するアレルは、その気持ちまでもが明るく前向きなものへとなっていく。
しかし、階段を上がり切る頃合いに、アレルの意識の底からそんなものなんて踏み躙ってやろうという意思がジリジリと迫り上がってくる感覚がする。瞬間、アレルはアマデウス暴走時の気味の悪い声を思い出して足を止める。
──ワスレルナ、オノレノツミヲ。
その内へ内へと、徐々にズブズブと沈み込んでいく様な怨嗟の声に、アレルは刹那の合間に楽しげな想像を忘れさせられ現実に引き戻される。その不快感に、アレルは思わずポツリと独り言を漏らしてしまう。
「······知らねぇよ、そんなもん」
身に覚えのない罪状に、何で自身が苦しめられるしかないんだと、どうして気分を害されなければならないんだとアレルは憤慨する。しかし、アレルはそれを表に出す事は決してせずに、意識の底のソイツに向かって叩きつけ再び歩き始める。
ただ、ソイツの言う罪とは何なのかという事も、僅かに気にはなる。己のと言うからには、記憶を失う前のアレル自身を指して言われている可能性がある。だが、その罪とはソイツ自身が犯したものとも捉える事も出来る。
それ故に、アレルは直ぐに所在すら判らない罪について考えるのも馬鹿馬鹿しくなり、思考を放棄する。すると、丁度部屋の前まで来ていたので、アレルは頭を振って完全に意識を切り替える。
「アンネ、アレルだ。開けてくれないか?」
「は〜い、少し待ってて」
返ってくるアリシアの声に、アレルは不思議と安心感を覚える。でも、護衛対象からそんな安心感を得ている様では護衛として失格だなと、アレルはその情けなさに僅かに肩を落とす。
そんな事を思っていると、ガチャリと解錠する音が聞こえた後で扉が開けられる。
「お待たせ······って、遅いと思ったらやっぱり何か作ってたんじゃない。もぉ〜」
そんな言葉と共に、ちゃんとローブを着てフードまでも被ったアリシアは不満気な表情を向けてくる。そんな反応に、どこかホッとしたアレルは無意識に笑みを返す。
「ごめんって、明日には出立だから俺から餞別代わりに教えていたんだ」
「そういう事なら、別に良いけど······取り敢えず、中に入って」
「ああ」
扉を中から押さえてくれるアリシアに従い、アレルは部屋の中へと入る。そして、扉の施錠をアリシアに任せたアレルは、そのまま持っているトレイをテーブルまで運ぶ。
「それで、それは何なの?」
すると、直ぐに扉の施錠を終えたアリシアが駆け寄ってきて、フードを脱ぎながら訊ねてくる。その目は、キラキラとどこか物珍しいものを発見した時の子供の様で、アレルの嗜虐心を刺激するがアレルは自重する。
「こっちの、具材が完全に包まれている二つが餃子で、そっちの具材が上から見えているのが焼売ってやつだ」
「これも、アレルの国の料理なの?」
「いや、元の世界の料理には違いないけど、発祥は俺の国とは違う別の国の食べ物だよ」
──主様〜。
と、そこへフラフラといった様子でアレルの前へと瑠璃が飛んでくる。なので、アレルは手を差し出して瑠璃を受け止める。
「どうした?」
──アリシア様をお守りしてましたが、瑠璃はそろそろ限界です。眠ってもよろしいでしょうか?
そう言う瑠璃に、アレルはそういえば今日はほとんどアリシアと一緒だったから、会話にも苦労して疲れているんだろうと察する。
「解った、お疲れ様。もう大丈夫だから、ゆっくり休んでくれ。お休み、瑠璃」
──はい〜、お先に失礼させて頂きます〜。
そう言うと、瑠璃はアレルの手から離れて再びフラフラとした飛び方で、アレルの外套ではなくアリシアのベッドに置かれた小物入れの方へと入っていく。そこへ、不思議そうな顔をしたアリシアが、アレルの肩をツンツンと指先で突いてくる。
「ルリちゃん、どうかしたの?」
「ああ、疲れたから今日はもう寝たいんだってさ」
「それ、私が疲れさせちゃったのかな?」
アリシアは、小物入れを見ながらもどこか申し訳無さそうに少しだけ目を伏せる。そんなアリシアに、自身も感知の苦労を知ったアレルは敢えて軽い口調で話し掛ける。
「そんな事はないよ。俺も、今日ロバートから教わって感知の真似事が出来る様になったけど、あれって結構疲れるんだよ。処理する情報が増える分さ。それを、ほぼ一日中やっていたんだから瑠璃だって疲れるよ。だから、アリシアのせいじゃない」
「そうなの? ······なら、ルリちゃんにはごめんなさいよりもありがとうだね」
ニコッと、アリシアは気にしていた事が解消されたからか、気の抜けた笑顔をアレルに向けてくる。それに、小さく頷いたアレルは宿にいた間アリシアが座っていた方の椅子を引く。
「瑠璃の事は、寝かせておけば大丈夫だからさ、これ食べないか?」
すると、アリシアは握った手を口に当てて困ってるみたいに眉尻を下げる。それから、少しの間視線を泳がせた後で、何故かモジモジしながら小さな声でアレルに話してくる。
「あの、今はその······寝る前だからね、私は······」
その言い方に、アレルはピンと来る。要するに、元の世界でもこちらの世界でも女子の悩みは変わらないという事らしいと、アレルは悟る。
ただ、このままではせっかく作った上に、わざわざタチアナが取り分けてもくれたものが無駄になってしまう。なので、アレルは一計を案じる事にする。
「成る程、理由は何となく解るけど······それなら、食べないのか?」
「うっ······そ、それは······」
「一応、皮も手作りだからそれなりに上手く出来てると思うんだよな〜。まあ、流石に元の世界のものと比べると少し劣るけど、厨房の連中には好評だったからな」
「う〜、うぅ〜······」
アリシアは、アレルの言葉に誘われて防御姿勢の様な形から身体が前のめりになるも、両手で服の裾を握り締めて何とか堪える。だが、そこで手を緩める程アレルも甘くはない。
「まあ、夜に餃子なんて女子には無理か〜。少し匂いがキツイから、食べた後は歯を磨くしかなくなるし。······でも、俺の育った国には匂いのキツイもの程美味いなんて格言もあるんだよ」
アリシアは、人前だと猫を被っているが、実際は好奇心旺盛な部分も隠し持っている。だからこそ、こういう言い方は地味に効く。
現に、アリシアはアレルの引いた椅子に僅かにだが、徐々に近づいてきている。そこで、アレルは最後のダメ押しをする。
「······そっか、アリシアは食べないのか。それなら、二人分しかないしミリアとメリルにでも持っ──」
「もぉ〜ッ! 解ったから、私が食べるからッ!」
そうして、アレルが最後まで言い切る前に、アリシアは我慢の限界に達した。最早割り切ったアリシアは、プンスカと怒りながらもアレルの引いた椅子の前に立つ。
「一名様、ご案内って所かな?」
「うぅ〜、太ったらアレルのせいだからねっ」
と、アリシアは言ってくるが、流石にそれは自己管理の範疇なのではとアレルは疑問に思う。だが、そうしてアリシアが食べると口にしてくれたので、アリシアを座らせたアレルもようやく食べられるとその向かいに座るのであった。




