一章〜非望〜 四百四十八話 見えない本質
右腕の籠手も外し終え、それをサイドテーブルへ置いたアレルは一旦浴室へと向かう。そこでアレルは、顔と手を洗って気持ちを切り替える。
瑠璃に言われた事は、確かに衝撃的ではあったものの、ある意味自ら蒔いた種だとも思えるアレルは覚悟を決める。これからは、そういうアリシアの不安も和らげられる様にしていかないと、密かに教えてくれた瑠璃に申し訳が立たない。そうして、頭を切り替えたアレルは意を決して浴室から出る。
「あっ、アレル! ねえ、ルリちゃん凄いんだよっ」
と、アレルの覚悟を吹き飛ばす程の明るさで、アリシアは嬉々として瑠璃を褒める。それに、呆気に取られたアレルは本当にアリシアは自身の事で不安を感じたりしてるのかと疑問に感じる。
「アレル?」
しかし、そうして唖然としているアレルを変に感じたのかアリシアは再度声を掛けてくる。なので、アレルは平静を装って肩を竦める。
「······瑠璃の、何が凄いんだ?」
「ルリちゃん、ダンスが踊れるんだよっ! 凄くない?」
「確かに、それは凄いな」
瑠璃が一緒に来る事になった際、瑠璃の家族というか仲間がフェアリーサークルを残していた。その時のダンスパーティはアリシアも見ていたはずなんだが、たぶん瑠璃も踊れるとまでは思ってなかったんだろうとアレルは考える。
ただ、ふと直感が働いたアレルは思ってしまう。アリシアは、自らの不安を吹き飛ばす為に瑠璃が踊れると知りながらもわざと明るく振る舞っているのではないかと。
(ったく、人の事をバカバカ言うくせに、アリシアの方も大概なんだよ)
そこに思い至ったアレルは、危うく過ちを犯してしまいそうだった自身を殴りつけたくなる。だけど、その代わりに勘違いで恥をかく事になろうとも、今ここでアリシアに素直な気持ちを伝える事にする。
「なあアリシア、何の事か判らないなら笑い飛ばしても構わないから、少し聞いてくれるか?」
「うん······」
何を言われるのかと、身構えるアリシアは右手で左腕を擦る。その反応に、自身の直感は間違いではなかったらしい事をアレルは悟る。
しかし、アレルの方も自身の気持ちを言葉にするのが得意な方ではない。それ故に、緊張を誤魔化す為に片手で軽く頭を掻く。
「えっと······だな、前にも似た様な事は言ってるはずだけど、もう一度ちゃんと言っとく。俺は、これからもアリシアと一緒にいるからさ······その、何ていうか、まあ······そういう事だから」
しどろもどろで、締まりがなく実に格好悪い。それでも、飾り気のない気持ちは言葉に出来たはずだとアレルは思う。
だが、気になるのはアリシアの反応で、アレルはアリシアが何か返してくるまでの時間が異様な程に長く感じる。すると、不意にアリシアが震え始める。
「······プッ、アハハハ、アレルってば何言ってるの? 訳わかんない」
破顔して、笑い出したアリシアはあまりの可笑しさからか、笑ったままアレルに背を向ける。
「なっ!?」
確かに、笑い飛ばしても構わないとは口にしたが、実際にやられると多少は腹が立つ。そう感じたアレルは、話が違うとアリシアの近くを浮遊する瑠璃に視線を送る。
──ルリは、解って下さいと言っただけですので。
スーッと、そう伝えてきた瑠璃はアリシアの影へと隠れてしまう。それにアレルは、とんだ赤っ恥をかかされたと後悔する。
そこへ、笑いながらアレルへ背を向けていたアリシアが笑うのを止めて不意にポツリと呟く。
「······ありがとね、アレル」
それは、ギリギリのところでアレルの耳にも届いて、伝わるべきは伝わっていたかと乱れていたアレルの心にも平穏が訪れる。しかし、その瞬間にアレルはマスラオの言葉を思い出してしまう。
『汝とあの娘は本質的な部分で相容れぬ存在でもある。まあ、これからどうなるか一概にどうのとは言えんが、それだけは気に留めておけよ』
自身とアリシアの本質、それが相容れないとは一体どの様な本質を互いに持っているのだろうとアレルは考えてしまう。そんなものを考えたところで、答えなんて出ないのは判りきっている。
それでも、アレルは覚悟を決めた手前考えずにはいられなかった。自身の本質、未だ判らないそれがもしもアリシアを傷付けたり不幸にするものならば、現在アリシアを狙う者達と同様に自らへ刃を向けなければならない。それが、アリシアを守ると決めた自身の役割なのだから、自身がアリシアを脅かす存在だったならそうしなければならないとアレルは考える。
ただその一方で、それではアリシアが拒絶しない限りは傍にいるという約束を破る事になるので、アレルはどうしたものかと頭を悩ませる。それでも、アリシアを守るという前提が崩れる以上はそれもやむ無しと、アレルは約束の反故も仕方ないと断じる。
「そうだ、ねえアレル一緒にお土産食べよっ。早くしないと、夕食が運ばれてきちゃうから」
そこへ、アレルの悩みなど知らないアリシアがくるりと振り向いてテーブルの紙袋を手にする。そんなアリシアの姿を目にしたアレルは、悩んでいる事などおくびにも出さず嘲笑の顔を作る。
「そんな事して、夕食が食べられなくなるんじゃないのか?」
「もうッ、またそうやって子供扱いしてぇ! 私、そんなに子供じゃないからッ」
むぅっと、むくれながらもアリシアの表情はどこか柔らかい。そこから、本気で怒っている訳でないと察したアレルは少なからず安堵する。
しかし、そんなアレルの内心を感じ取ったのか、それまでアリシアの影に隠れていた瑠璃がアレルの方へ飛んでくる。
──主様、その······大丈夫ですか?
おそらく、先程の悩みの事を指しているのだろう事はアレルにも理解出来た。しかし、こればかりは自らが解決しなければならない悩みだと思い、アレルは瑠璃へ笑みを浮かべる。
「平気だよ」
「ねえ、ルリちゃんが何か言ってるの?」
瑠璃への返事を、耳聡く捉えたアリシアがそのやり取りを訊ねてくる。それに、アレルはなんて事はないと肩を竦める。
「そんな言い方をしてるとアリシア様に嫌われますよ、だってさ」
アレルは、自分で言っていてよくもまあポンポンと嘘がつけるもんだなと、自身を貶める。ただ、それで更に瑠璃はアレルを心配するみたいな動きでアレルの周囲を飛ぶ様になるが、アリシアは身体を少し前に傾けてからアレルに向かって人差し指を突きつける。
「そうだよ、アレルが私を子供扱いする度に、アレルは私に少しずつ嫌われているんだからね」
「······あのさ、そう言われて俺はどういう反応をすれば良いんだ?」
「う〜んと、判んないっ」
ニコッと微笑むアリシアに、アハハと乾いた笑いを返しつつアレルはため息を吐く。
「だろうな。······それより、お土産って何なんだ?」
「はい、これだよ」
アリシアは、そう言って手にしていた紙袋を渡してくる。それを受け取ったアレルは、袋を開けて中身を確認する。
フワッと、焼き菓子特有の甘い香りが鼻腔を抜けていく中、その奥を確認すると綺麗に焼き色が付いたものが数個確認出来る。
「フランか?」
「うん、お土産用に小さく切り分けられていたから、丁度良いかなって」
本来、切り出す前は円形のそれは一般的なケーキの一ピースの様に切られるものだが、紙袋の中のものは格子切りされたのか四角いものが入っている。アレルは、おもむろにその中の一つを摘んで自身の口へと運ぶ。
「うん、美味い」
「あっ、ダメでしょアレル。立ったままなんて、行儀が悪いんだからッ」
めっ、とアリシアはいつもの様に左手を腰に当てて、右手の人差し指を立てて指摘してくる。
それには、アレルも口にフランを咥えたまま紙袋をアリシアに返して両手をあげる。そうして、降参の意を示しながらアリシアの向かいに座る。その後で、咥えていたフランを食べ切る。
「······ほら、これで良いか?」
「もう、アレルは仕方ないんだから。······えっと、お皿は」
と、何故かアリシアはキョロキョロと皿を探し始めたので、アレルは手を動かしてアリシアの注意を引く。
「馬車に行けばあるけど、宿の客室にそんなものがあると思うのか? なんなら、厨房にでも借りに行くか? これから、お菓子を食べるのでお皿を一枚貸して下さいって」
「そ、それは······流石に無理かな?」
勢いのなくなるアリシアに、瑠璃が励ますみたいに目の前でくるりと舞う。変な所で、育ちの良さと言うか習慣みたいのが出てくるなと思いつつも、アレルはそんなアリシアに声を掛ける。
「俺の故郷の言葉にさ、郷に入れば郷に従えって言葉があるんだけど、簡単に言うと普段とは違う環境にいるならその場のやり方に従わないと上手くいかないって意味なんだ。つまり、今は俺がやった様に、どこかの町娘がそうするみたいに紙袋から手掴みで食べろって事かな」
アレルがそう言うと、アリシアは戸惑いながらもアレルの向かいに座って紙袋からフランを一切れ手にする。そして、両手で持つそれをアリシアは意を決してカプッと小さく一口食べる。
「······なんか、いけない事してるみたいだけど美味しい」
「おっ? 背徳の味ってヤツだな」
「もうッ、変な事言わないで」
僅かに顔を赤くしながら文句を言うアリシアに、イシシとアレルは笑みを浮かべる。そんな雰囲気に、瑠璃も人心地ついたのかヒラヒラとアレルの肩に止まりに来る。
ただ、そんな中でもアレルは自身がアリシアにそうしている様に、アリシアも何かしら自身に伝えられない事を秘めているのだろう事を察している。もしかしたら、そういう部分が相容れないと言われる所以なのかもしれないとも思える。
それでも、こうして笑いあえるのであればきっと大丈夫なんだと、アレルは願望に近い感情を抱くのであった。例え、それが身の丈に合わないものだったとしても。




