一章〜非望〜 四百四十四話 迎える限界と帰り道
中庭を後にしたアレルは、投げナイフの入ったポーチをそのままにしてきてしまった事を思い出す。しかし、それもロバートが片付けてくれそうだなと感じたアレルは、戻る事はせずにそのままカウンターへ足を向ける。
そうして、カウンターまで来たアレルは部屋の鍵を預かっていないかとクラウスに訊ねると、クラウスは預かっていますと部屋の鍵を二本出してくる。それで、アレルはまだアリシア達が帰ってきていない事を知る。
(確か、中庭に一度顔を出してから結構経つよな? それなのに、まだ帰ってきてないのか······まさか、何かあった訳じゃないよな)
アレルは、失礼ながらもシープヒルにそんなに暇を潰せる場所なんてあったかと頭を捻る。ただ、ロバートが周辺の黒羽根を集めて警戒させていると言っていたので、王都からの追手などでもないと考える。
そうなると、日が落ちるまで散歩でもしているのかとアレルが考えていると、そこにクラウスが声を掛けてくる。
「お客様、何か不備でもありましたか?」
「ん? あ〜、いや······何でもないんだ。すまない、少しボ〜っとしてただけなんだ」
アハハと、アレルは誤魔化してその場をやり過ごそうとするも、そこでクラウスが不安そうな表情で訊ねてくる。
「あの、もしかして弟が何か失礼な事をしたのではありませんか?」
「いや、それだけはないよ。むしろ、逆に世話になったから感謝してるぐらいだ。ただ、な······連れが遅くて、少し心配してたんだ。昨日の今日だからな」
「ああ、そちらでッ!? あの、お客様のご事情に踏み込んでしまい、大変失礼しました」
ロバートの事を出され、本当の事を言わずにはいられなくなったアレルは、素直に本音を口にする。しかし、ロバートを気に掛けるあまり、アレルの事情に不用意に立ち入ってしまったとクラウスは平謝りしてくる。
ただ、誰かを心配する気持ちなら解らなくもないアレルは、そんなクラウスに笑みを向ける。
「そんな謝らなくて良いよ。大した事でもないのに、誤魔化そうとした俺も悪いし」
「そう······ですか。それで、その弟はどうでしたか?」
「ああ、しばらくはここにいるってさ。でも、時々留守にする事も出てくるかもしれないから、そん時はちゃんと送り出してやれば必ず帰ってくるよ。ロバートならさ」
それだけ言い残すと、アレルは自身とアリシアの部屋の鍵だけを持って、カウンターを後にする。だが、その背にカウンターから声が掛けられる。
「お客様!」
振り返ると、クラウスが無言のままで深々と頭を下げていた。アレルは、その姿からクラウスの感謝を感じ取りつつ、部屋へと足を向けた。
そうして、東棟へ入り階段を上がり始めたアレルだったが、どうにも一段一段上がる毎に足が重くなる様な錯覚を覚える。ただ、それはロバートによる手解きとマスラオの存在やアマデウスの暴走による疲労が大きいのだろうとアレルは考える。
しかしながら、幸いにもまだアリシア達は帰ってきてないので、部屋に入ったら気兼ねなく休める。そう思ったアレルは、残された気力を振り絞って部屋へと歩を進める。
一歩、また一歩と、蓄積された疲労がその足を止めさせようとアレルの両肩にのしかかる。自然と欠伸の回数も増え、その瞼も重くくわんくわんと頭を左右を振りながら、アレルは両肩にのしかかる魔物に負ける事なく部屋の前まで辿り着く。
(あと、もう少し······)
鍵を手に、鍵穴へ差し込もうと数回ガチャガチャと鍵を差し込みそびれながらも、アレルはジャケットを脇に抱えたままの左手を鍵に添える事でなんとか鍵穴に差し込む。そして、解錠したアレルは扉を開けて部屋の中へ入るも、そこには当然誰もいない。
瞬間、ふぁ〜っと不意に出そうになった欠伸を無理矢理噛み殺し、アレルはゆったりとした足取りでベッドへと向かう。その途中、テーブルの端に鍵を無造作に置いてから、アレルはソードクラッシャーを帯剣ベルトごと外しながらベッドへ近づいていく。
そうして、ベッドまで辿り着いたアレルはサイドテーブルにレザージャケットと既に外したソードクラッシャーを置き、続いてサイドポシェットも外して同様に置く。しかし、そこでアレルの気力も限界を迎えたのか、籠手を外す余裕もなくなったアレルはそのままベッドへ前のめりに倒れ込む。
(もう、限界だ······)
アレルとしては、ロバートの手解きだけでおおよその体力を使い果たしていた。その上で、マスラオが出てきたりアマデウスの暴走があったのだ。最早、とっくの昔に体力の限界なんて超えていたのだから、一度気が緩んでしまえば雪崩方式で一気に蓄積された疲労が襲い掛かる。
それでも、可能な限り抗ってはいたアレルだったが、既にそれすらも出来ない程に消耗してしまった。そんなアレルは、このままだといけないとは思いつつも、最早身体は指一本すらピクリとも動かないので仕方ないと諦めて、そのまま意識すらも手放すのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
──一方で、宿への帰路を歩くアリシア達。
「もうッ、クリスが何度も入るから、遅くなっちゃたじゃない」
「うぅ······申し訳ありません」
アリシアは、自らミリアが迷路攻略に執着するように仕向けたにも関わらず、予定よりも帰るのが遅くなってしまった事に文句を言う。ただ、これにはミリアのアレルへの対抗心を甘く見ていた所も原因の一つであり、ミリアもミリアで片手ででは数え切れない程度に繰り返し迷路に挑戦していたのも悪い。
「それで、結局クリスは景品を貰えたんですか?」
そこで、そんな状況を見かねたのかメリルが会話に割って入ってくる。だが、そのメリルの一言にミリアはただでさえしょげていたのに更に元気がなくなってしまう。
「クリス?」
「······私には、出来ませんでした。何なんですか、アイツは? 何か、ズルでもしたのではありませんか?」
その悔し紛れの一言に、アリシアはミリアも変な勘だけは鋭いなと思う。しかし、アレルのズルを説明するのには、その知識が異世界由来である事も話さなくてはならなくなる為にアリシアは口を噤む。
ただ、これ以上二人の好きに話させておくと、何でアレルはという流れになりかねないと思ったアリシアは話題を変える。
「アレルだって、そういう時にズルなんかしないよ。それより、クリスにもお土産を買ってきてあげたんだから、そんな風に拗ねないで」
「それはっ、アリ······アンネ様はアイツの分も買っているではありませんか」
アリシアの慰めに、ミリアはアリシアが大事そうに両手で抱える紙袋に視線を送りながら呟く。アリシアは、そんなミリアの視線から紙袋を庇う様に背を向けながら、メリルの方を指差す。
「クリスにも、ちゃんと買ったでしょ? こっちは、アレルのだからダメ!」
アリシアが指差す先、メリルの手にもアリシアと同様の紙袋がある。しかし、そちらの袋はアリシアが持つ物に比べて膨らみが小さい。
それというのも、中身がアリシアとメリルがお茶をした店で買ってきた焼き菓子で、メリルの方だけ膨らみが小さいのは迷路が攻略出来ずに落ち込むミリアにその場で少し食べさせたからだった。
「ハァ······体調が良くなったら、直ぐにこれですか。クリス、あなたはもう少し落ち着きを身につけたらどうなんですか? まあ、身につけられなかったから今の様になっているんでしょうけど」
「ね、姉さん······だって──」
「だって、ではありません!」
そうして、メリルに釘を刺されたミリアは再び大人しくなる。それに、ホッとしたアリシアはまた宿へと歩き始めるも、小物入れから何かを感じて視線を送る。
すると、瑠璃が何かを伝えようとその羽を何度かチカチカと明滅させてくる。いつもなら、それが何を言っているか判らないアリシアだったが、今のは何となく言ってる事が伝わってくる。
「う〜ん、もしかして······クリスの事を懲らしめようって言ってくれてるの?」
瑠璃は、アリシアの問い掛けに二度の明滅で答える。おそらく、正確には伝えたい言葉ではなかっただろう事が解るアリシアだったが、概ねは合っていた事に思わず微笑みを浮かべてしまう。
「ダメだよ、ルリちゃん。そんな事したら、アレルに叱られちゃうよ」
そう言うと、瑠璃はアレルがどうするかを想像したのか、シュンとした様子で小物入れの奥へ入ってしまう。ただ、アリシアはアレルがどこか瑠璃に甘い事も知っているので、叱りはしないんだろうなと思いつつほんの少しモヤッとする。
何故、そんな風に感じるのかはアリシア自身にも解らない。だが、アリシアも自分だとしてもどちらかといえばミリアの方を叱るかなと思ったので、あまり気にせずテテテテと少し早歩きをする。
「二人共、暗くなるとアレルが心配するかもしれないから、早く帰ろうッ」
「クッ······なんで、奴ばかり」
「ク〜リ〜ス、いい加減にしなさいね」
「ヒィッ!? は、はい······」
そうして、いつものやり取りをするメリルとミリアに、アリシアと瑠璃の四人は宿へと急ぐ。アリシアは、視線を自身が抱える紙袋へ向けながら、喜んでくれると良いなと無意識に口角を上げるのであった。




