一章〜非望〜 四百四十一話 叛意を抱く者
瞬間、アレルの内側から凄まじい勢いで何かが浮上してくる感覚が湧き上がってくる。その浮上した何かは、アレルが魔力の循環で膨張させていた魔力を喰らい、急速に膨れ上がり魔力に代わってアレルの身体を満たしていく。
それは、ロバートにも感じられたのか、アレルの身に具体的な変化が訪れる前に反射的にアレルから離れる。その瞬間、跳ねる様に飛び起きたアレルは即座にロバートとの間合いを詰めて渾身の右拳を繰り出す。
「なっ!?」
驚きながらも、ロバートは即座に両腕で防御を固め、力任せに振るわれたアレルの右拳の直撃を防ぐ。その際、衝撃を殺す為にロバートは自ら後方へと跳んでいたが、それでもアレルの一撃の威力を殺しきれずにロバートは中庭の壁際まで後退させられる。
そして、そんな一撃を放ったアレルはというと、やはり危惧していた通りに身体が言う事を聞かなくなっていた。
(何なんだよッ! この力は、マスラオのものなんじゃないのか?)
アレルは、確かにマスラオの名を口にしたはずなのに、何故か暴走を始めるアマデウスの力に対して文句をぶつける。しかし、マスラオが出てきていた時とは違い、会話は疎か声すらも聞こえてくる事はなく無理矢理アレルの身体を奪おうとしてくる。
その勢いは、まるでその身体はアレルのものではなく、自身のものだとでも何者かが所有権を主張しているみたいだった。
(本当に、何なんだ······いや、誰なんだ? お前は······)
そうして、アレルがアマデウスの力に抗っていると、その脳裏にここではない光景が流し込まれてくる。どこかの城、何かと引き換えに与えられる報酬、城門を出た所で待つ翡翠の髪の女、どれもどこかで見聞きしたかの様な得体の知れない既視感にアレルは困惑する。
──ワスレルナ、オノレノツミヲ。
瞬間、気味の悪い声が頭に響くとアレルの身体を奪い取ろうとしていた者は与えられた力を使い果たしたのか再び奥深くへと消え去り、それと共にアマデウスの力も消えてアレルは自らの身体の支配を取り戻す。しかし、その途端にアレルは凄まじい苦痛に襲われる。
「グゥゥッ! ······ガァァァァ!?」
「アレル様ッ!?」
その苦しみ様に、アマデウスの効果が切れたと判断したロバートは、最大限に警戒していた防御を解いてアレルへ駆け寄ってくる。だが、アレルには返事を返す余裕すらない。
全身を襲う激痛に加え、割れる程の締め付けでズキズキと耐え難い痛みを与えてくる頭痛、それらに耐えようとアレルは無意識にその場で蹲りその身を丸めてしまう。その痛みで、呼吸すらまともに出来ずに浅い呼吸を何度も繰り返す中で、もういっその事身体がバラバラにでもなった方がマシだとアレルは思う。
──す······、我······奪われ······今······。それと、······は······うな。
そこへ、聞き覚えのある声が途切れ途切れに掠れた状態でアレルの内側から聞こえてくる。その声は、確かにマスラオのもので、言ってる事は理解出来ないが何かに対して謝罪と警告を促しているのだけは判った。
すると、アレルを襲う痛みは徐々に収束する気配を見せ始め、少しずつアレルは呼吸が出来る様になっていく。それをアレルは、マスラオが何かしてくれているんだなと考える。ただ、どこか雑音混じりに聞こえる声に、先程の気味の悪い声の持ち主に何かしらの邪魔でもされてる可能性をアレルは考える。
「アレル様、一体何が起きたのでしょうか?」
そうして、アレルの様子を窺っていたロバートが、復調してきたと感じたのか事の詳細を訊ねてくる。問われたアレルは、少し間を置いて話せるだけ呼吸を整えてから答え始める。
「······具体的には、俺にも判らない。ただ、マスラオを呼んだはずなのに······別の奴に、身体の支配だけ奪われた」
「その様な事が起こるのですか?」
「実際に······起こっちまった。それより、ロバートは大丈夫だったか?」
その言葉に、ロバートは僅かな不快感を表情を歪ませる事で示す。
「あなたは、またそうして他者を優先してッ! 今は、アレル様の身体の方こそ案ずる時でしょう」
それに、アレルは蹲ったままでもフルフルと首を横に振る。
「いや······思い返せば、俺の事はマスラオがほとんど伝えてくれててさ。失敗の可能性、成否に関わらない反動、条件と手順······こんな風に試す様なものじゃなかったんだろうな。失敗が、こんな形で現れるとは思わなかった」
アレルは、段々と動かせる様になってきた身体を伸ばしてからゆっくりと立ち上がる。ただ、そんな中でもアレルはマスラオからの忠告が何を指していたのかにも察しがつく。
アマデウスは使うな。おそらく、マスラオの忠告はこれだろうとアレルは睨む。つまり、先程の暴走はマスラオすらも想定出来ていなかった事態で、それを引き起こしたのが気味の悪い声の持ち主という事だ。
その存在に、どの様な意図があるのかアレルには見当もつかない。ただ、現状その存在が表出したせいでアレルの意識の奥底までもが荒らされ、マスラオを始めとしたアマデウスとしての力が出しづらい状況らしい事だけは理解出来た。
「アレル様、申し訳ありませんでした。私が、試そうなどと提案しなければこの様な事には」
「いや、逆に助かったよ。連れの前でこんな風になってたら、言い訳も出来なかった」
「あの、何があったのですか?」
ロバートは、足元がふらつくアレルに肩を貸しながら事の詳細を訊ねてくる。
「悪いな······正直、俺にもよく解らないんだよ。まあ、取り敢えず俺がアマデウスの力を振るう事に我慢ならない奴もいるみたいだ」
そう、気味の悪い声は確かに言っていた。お前の罪を忘れるなと。アレルは、その言葉と自身に流し込まれてきた光景を思い返す。
どこかの城と翡翠の髪の女、城の方に思い当たるものは無いが、女の方には一つだけ思い当たる節がアレルにはあった。それは、幽霊の老人からシープヒルの真の伝承を聞いた後、不意に自身が口にした『エメラダ』という名前だ。
(あれは、さっきの声の持ち主が言わせていたのか? それとも、まさかとは思うけど俺自身記憶を失う前にこの世界で何かしていたのか? いや、アリシアと会った時の服装や所持品からして、それは可能性が低いだろう。でも、それならエメラダって名前を言わせたのは······)
アレルは、肩を貸してもらっているロバートに支えられながら、ロバートが片付けずに残していた木箱に座らせられる。アレルは、それに素直に従いつつも考えてしまう。
声の主が言った、己の罪を。そして、翡翠の髪のエメラダという女についても。
もしかして声の主は伝承の討伐者なのか、それなら声の主の言う罪とは何なのか、そもそも声の主にとってエメラダとはどんな存在だったのか、考えても判らない事ばかりが浮かんでくる不毛さに、アレルは心底参ってしまう。
ただ、そんな中でもたった一つだけ確実なものがあった。それは、マスラオが忠告してきた通り切り札としてのアマデウスの使用は控えるしかないという事。そんな、三歩前進したと思ったら二歩後退させられたみたいな状況に、上手くいかないものだなとアレルはため息を吐くのであった。




