一章〜非望〜 四百三十三話 置き土産
──所は変わって、再び白羊の宿中庭。
十全とまではいかないものの、ようやく立ち上がれるまでに回復したアレルは、再びロバートとの修練を再開させる。アレルの感覚では、未だ身体の中心に近い部分に変な脱力感を感じるが、いつまでも横になっている訳にもいかないと思いロバートと対峙する事を決めた。
対するロバートの方も、マスラオみたいなのに負けたくないのか、先程の様に目に見える形ではないがその身の内側で闘志を燃やしているみたいにアレルには感じられた。ただ、そんなやる気の状態のロバートでもアレルが万全でないのは見て判るらしく、その構えからどこかやりづらそうにしているのが感じられる。
「アレル様、本当に大丈夫なのでしょうか?」
「身体を動かす分には問題ない。まあ、それでも魔力はまだ上手く回せそうにないな」
そう、身体の中心に近い部分の得体の知れない虚脱感が邪魔して、今のアレルは身体に魔力を巡らせる事が出来ていない。だが、その反面手足は動くしマスラオが使っていた影響なのか、何なら直前までより身体が滑らかに思い通り動く上、信じられない程に自分の身体が軽く感じられている。
「それは、元通りになられるので御座いますか?」
「たぶんな······」
それが、アレルが溜まっていた力を体外へ放出した影響なのか、それともマスラオの枷によるものなのかは判らない。根拠はないが、どこからともなくガハハハと豪快な笑い声が聞こえてきそうなので、アレルはそこまで心配はせずにいられている。
加えて、マスラオが言っていた通りに扱える魔力が増えていると、アレルは体感で感じている。流石に、倍だとか異常な増え方はしていないが、数割程度は増えている。それ故に、闘気の方も同程度増えているのではないかと、アレルは期待を寄せる。
「まあ、取り敢えず準備運動がてら最初は軽く頼むよ」
「畏まりました」
了承するロバートに、アレルは自ら間合いを詰めて先手を取りに行く。その際、アレルの頭の中に直接いくつかの攻撃方法の心象が浮かんでくる。アレルは、その中からロバートの顔に左フックを放つと見せかけて瞬時に屈む事でロバートの視界から外れ、右拳によるアッパーを狙う。
ただ、思いの外速やかかつ滑らかに身体が動いてくれたお陰で、アレルはそれがマスラオの置き土産だと認識する。だが、この置き土産には厄介な所があり、それはマスラオの使用した身体を鋼の様に強化する技ありきの動きが混じっている事にある。実際、アレルが選んだ初手以外の心象は強化が無ければ自爆技に近い戦法だった。
(······これ、置き土産だよな? 足枷とかじゃないよな?)
アッパーを繰り出しつつ、既に声の届かなくなったマスラオへアレルは文句を伝える。しかし、直ぐに頭を切り替えて目の前のロバートへ集中する。
それというのも、ロバートは流石というかアレルの見せかけには引っ掛からず、既にアッパーを回避する為に上体を反らし始めている。そこで、アレルはロバートに気付かれないように徐々に右腕の力を抜きながら素早く右足で踏み込んで、そのままの勢いを利用しつつ右腕を引きながら左脚の下段蹴りを繰り出す。
それにはロバートも驚いたのか、どこか無理矢理な動きで後方へ飛び退いてアレルの下段蹴りを回避する。直後、蹴りを空振ったアレルに対して、ロバートはニヤリと笑う。
「チッ、やっぱり避けられるか」
「いえ、避けきれずに少し掠りましたよ。······今のは、マスラオ様の何かで?」
「ああ、それもあるけど、やっぱり身体がかなり動かしやすくなっててさ。力の流れを感じたり、こう身体を動かしたいなら身体のどこに力を移動させれば良いかとか何となく解るんだよ。······まあ、まだ完全に掌握し切れてないから、さっきよりかマシって位だけどな」
アレルの返事に、ロバートは少し間を置いてから成る程と小さく呟く。すると、ロバートは構えを解いて、その身体からも力を抜くみたいにあからさまに脱力してみせる。
「ロバート?」
「いえ、半信半疑でしたが、マスラオ様の仰っていた事は事実だったのだと確信しただけに御座います。不確かながらも、そこまで出来るというのであれば、もう一つ先へ進みましょう。時間が足りないと思ってましたが、思わぬ方の登場でどうにかなるとは思いませんでした」
どこか説明不足のロバートだったが、アレルは現状とロバートとマスラオそれぞれの性格を踏まえて、直感的に導いた推測を口にする。
「確か、ロバートもマスラオから助言を貰ったって言ってたよな······だとすると、その助言を試すには俺の実力が足りないと思っていたロバートに、マスラオがそれぐらいなら何も心配はないとでも言ったか?」
「ええ、元々はこの場でアレル様に教えてやって欲しい事があると請われていただけでしたが、そのついでに私にも助言をして頂きました。しかし、この先はアレル様が魔力を使える様になられてからに致しましょう。ここからは、魔力や闘気が関係する話になりますので」
「じゃあ、俺の回復待ちになるのか?」
「はい、そうなりますね」
言われて、アレルもロバートと同様に構えを解いて全身から脱力する。それから、一度だけ深呼吸をし、首や肩を回した上でアレルはロバートに訊ねる。
「んで、回復したら何をするんだ?」
「魔力や闘気による、身体の強化法についてで御座います。一見、微動だにしていなかったマスラオ様は防御に徹していたかに見えましたが、その実あの強化は防御力以外も強化されていたそうです」
「えっ? 強化って、身体能力が全体的に底上げされるだけじゃないのか?」
そもそも、アレルが目にした事のある強化魔法はミリアのものだけだ。その、ミリアのものが全身に強化が及ぶものだったからといって、全ての強化がそうであるとは限らない。
その事を失念していたアレルは、何とも間抜けな質問を返してしまう。
「おそらくですが、アレル様の仰る強化は魔法名を唱える魔法の類だけの話だと思います。あれは、一つの魔法を一定の能力で発揮出来る様に色々と簡略化したものと聞いた事が御座いますので」
「ああ、俺の中の印象はその魔法名を唱えるやつだ」
「やはり······では話を戻しますが、詠唱魔法や闘気による強化では任意の部分を強化する事が可能で御座います。ただ、詠唱時間や効果時間を踏まえると、割に合わないらしい詠唱魔法による強化を使う方はほとんどいらっしゃらないそうです。なので、本来ならば闘気の話だけになるはずなのですが、魔力を闘気の様にお使いになられるアレル様に限っては別の話になりますね」
そこで、どこか意味深に微笑むロバートに、何やら不穏な気配を感じたアレルは警戒を強める。そんなアレルの様子を察してか、ロバートは長々と話し過ぎたと感じたのか一度咳払いを挟む。
「では、結論から話しますと、そこで出てくるのがマスラオ様の仰られた循環、膨張、放出なので御座います。本来闘気の使い方は、全身に内側から巡らせる事で強化を施します。しかし、これは全身に行き渡らせるという意味であり、循環などは致しません。ただ、マスラオ様が言うにはそれを循環させる事で全体の闘気量が増加するそうです」
「ああ、それって体内で魔力や闘気が生み出される仕組みと同じって事か?」
「おそらく······ただ、そうして循環させながら強化を行い続けていると闘気は膨張を始めるそうです。そして、その膨張した闘気を更なる強化へ使用したのが先程のマスラオ様という話で御座いました。加えて言うと、この膨張した闘気こそが外勁に使用出来る闘気らしく、マスラオ様曰く私に外勁が使えないのは循環が甘いからだと指摘されました」
つまり、アレルがマスラオに身体の支配を明け渡している間、マスラオの強化に感じた多重構造の様なものは度重なる強化が行われていたからなのだとアレルは理解する。マスラオは、循環させ続けて膨張する闘気を防御の薄くなった部位への補填に使用していた。
その事を理解したアレルは、ふと妙な事を思いつく。もしも、膨張した闘気を一瞬の内に使い切ったならどれ程の力が生まれるのだろうと。




