一章〜非望〜 四百二十九話 今度は忘れない
力の循環に弾き出されたアレルは、しばし流れに身を任せ精神の中を意識だけで漂う。ただ、その意識は散り散りになりそうな程にボロボロで、今にも精神という大海に溶けて消えそうでもあった。それでも、今後の悩みに対して光明を得たアレルの気分は清々しく、その意識に襲い掛かる負荷すらも心地よく感じる程だった。
それというのも、アレルは力の循環に弾かれる際、確かに外へ向かう力の流れも感じていた。それならば、その外へと向かう力を世界の循環へ導く事さえ出来れば、マスラオから託された事も可能なのではないかとアレルは考えた。それ故に、今のアレルはその意識が消え去りそうにも関わらず、気持ちだけは折れずに前へと向けられていた。
──何か、掴めたか?
そこへ、マスラオが再び語り掛けてくると同時に、アレルへと分散されていた負荷が軽減される。そのせいか、消えそうになっていたアレルの意識も再び輪郭がハッキリしてくる。
(余計な事を······って言いたいところだけど、助かった。素直に礼は言うよ、ありがとな)
──ハッ、気にするでない。先達としての意地だと言ったろ。まあ、こっちは拡散を手伝っておる奴に色々と伝えたから、必要な事があれば聞くと良い。それで、首尾はどうであった?
(上々······と、言いたいところだか、まだ実際のやり方をどうすれば良いか判らねえ)
互いの状況が判っていなかったアレル達は、そうして互いの結果を伝え合う。ただ、アレルの事を聞いたマスラオはどこか明るい反応を返してくる。
──ガハハハ、やり方などどうとでもなろう。それよりも、汝が力の奔流に消されなかった事の方が重要だ。良く、意識を保ちながら力の流れを掴んで来てくれたと思うぞ。
(まあ、自分でもよく出来たなと思うよ。······でも、その流れの中になんと言えば良いか判らないけど、アリシアの残り香みたいのが混じっていた気がする)
そのアレルの呟きに、マスラオはどこか迷いの様なものを感じさせてくる。そんな、これまでの豪快さとはかけ離れた様子をアレルは不思議に思う。
──それなんだがな······我がこうして汝と話せるのは、あの娘のお陰でもあるんだが、それでも汝とあの娘は本質的な部分で相容れぬ存在でもある。まあ、これからどうなるか一概にどうのとは言えんが、それだけは気に留めておけよ。
(それ、一体どういう意味だよ?)
──いずれ判る。それよりも、今は汝の事をどうにかするのが先決だ。もうあまり時間が無いぞ。
マスラオがそう言うものの、アレルは都合が悪くなったから誤魔化そうとしているのでないかと疑う。しかし、直ぐにマスラオの言葉通りにマスラオが軽減してくれていた負荷が再びアレルに襲い掛かってくる。
一瞬、それすらも誤魔化しの術かと思ったアレルだったが、庇う事を意地だと口にした男のする事ではないと直ぐに思い直す。
(なあ、俺は何をすればいい?)
──簡単な話だ。今溜まっている力を、外へ散らせば良いだけの事よ。ただ、今後も余剰分が勝手に散り流れていくぐらいにし、それも後に必要なくなったら任意に止められる細工はするべきだな。
ガハハハ、とマスラオは呑気にかなり難易度の高い要求をしてくる。ただ、それもそこまでしなければ今後、今回みたいな対処が出来ずにそのまま命を落とす事も考えられるのだろうとアレルは推測する。
なので、アレルはどうするべきか策を練り始めるが、既にそんな時間は与えられていないみたいで、マスラオが引き受けてくれていた負荷が徐々にアレルの意識の方へと流れ始めてくる。
(あっ、グッ······!?)
──すまんな、まだ力になってやりたかったが、既に猶予は無いみたいだのう。だが、案ずるな。汝ならば、この程度の苦境跳ね除けられる。『我等』が、そうであったようにな。
マスラオがそう伝えると、アレルの身体の方も徐々にマスラオによる強化が解けていき、それにいち早く気付いたロバートも攻撃の手を止める。
「おい、どうなっている? アレル様は、どうした?」
「いちいち煩いのう。今のところは無事だ。だがな、ここを乗り越えた所でこの者······アレルだったか? が、背負わされるものは決して小さくはない。今後はどんなに力が増そうとも、その大部分は身体の保護に回さねばその力の大きさにアレル自身が潰される。まあ、アレルの性格······いや、性質と言った方が良いか。それを考えて、枷はそう簡単に壊れないものを用意しよう。我は、頑丈さには定評があるからのう」
その話は、意識だけのアレルにも届いている。ただ、自身が思っていたよりもかなり深刻な状況だった事に、アレルは衝撃を受けるも直ぐに自身へ襲い掛かる負荷でそれどころではなくなる。
もう既に、力の生み出される奔流へと意識を投げ入れたアレルはボロボロで、多少の負荷の増加でも意識が消滅してしまいそうになる程に弱っている。それでも、やらねばならない事や託された事からは逃げたくないとアレルは奮起する。
だが、そんな事を決意したところで状況はそう簡単に変わってはくれず、むしろマスラオが担っていた負荷まで流れてくるのだから質が悪い。それでも、この難局を乗り越える為の手掛かりも全く無いという話でもない。
外へ向かう力と、世界の循環から生み出される力と近い性質。この二つの手掛かりを頼りに、アレルは自らの力の奔流に外側から介入を試みる。
(確か、マスラオが性質が近いから勝手に流れていくみたいな事を言っていたよな。······可能性として、外に流れ過ぎるのが怖いけど、その辺はマスラオが用意する枷でどうにかなるだろ)
──うむ、善処しようではないか。
と、最早聞いていないと思っていたマスラオがアレルの独り言に応えてくれる。それに、どこか気恥ずかしさを感じるも、しっかりと感謝の念を抱いたアレルは再び力の奔流へと意識を伸ばす。
今度は中には入らないが、相変わらず激流か暴風かといった様相に尻込みするが、少しずつその外側からアレルは自分そのものという意識を力の奔流へと繋げていく。本来なら恐れる事なんてない、この奔流すらも自分自身なのだからと。
そうして、なんとか外側だけでも意識と同調させる事の出来たアレルだったが、そこから先がどうにも上手くいってはくれない。普段、他者への警戒が強いせいなのか、外側へ向かう力を身体の外まで導こうとすると必ず抵抗をされてしまう。そんな、自身の臆病な部分がこんなところで足を引っ張るなんて思ってなかったアレルは、いっその事無理矢理にでもやってやろうと考える。
しかし、そんなアレルに対して、マスラオではないどこか穏やかな性質の声が届く。
──無理矢理ではいけません。それは、あなたがあなた自身を否定する行いになりかねませんので。そうですね······あなたの傍らにいる妖精の事を思い浮かべて下さい。
言われて、アレルは不意に瑠璃の事を思い浮かべる。すると、不思議な事にほんの僅かではあるが、外へ向かう力の勢いが緩やかになった感じがした。
──あなたは世界の一部であり、また世界もあなたの一部。そこに、一切の隔たりなど無いのです。大丈夫、妖精や精霊と共に歩めるあなたなら、決して難しい事ではありませんよ。
まるで、その言葉に導かれる様にアレルは自身が思った通りに外へ向かう力を、そのまま身体の外へと誘導させ始める。そこで、ようやくアレルはその声に聞き覚えがある事に気が付く。
(お前、双剣術の!?)
だが、アレルがそうして気が付いた瞬間に、その存在はどこか涼やかに笑った様な気配を残してどこかへと去ってしまう。代わりに、アレルが溜まっていた力を外へ逃し始めたのを感じ取ったのか、騒がしい声がアレルの意識へと届く。
──ガハハハ、やりおったな! その調子で続けてくれ。程良い所で、後はこちらで全てを終わらせてやる。ご苦労であったな。
その騒がしさに、アレルは操作を間違えそうになるも立て直して、それからマスラオに文句を言う。
(クッ······いや、ご苦労って何だよ? 礼を言うのは俺の方だし、つうか騒がしくてさっきまでいた奴がどこかに行っちまったじゃねえか)
──ガハハハ、よいよい気にするでない。我等も、色々と汝には迷惑を掛けておるし、奴とてその内出てくる事もあろうて。
(んな事を聞きたい訳じッ······)
ズンッと、その瞬間にアレルへと襲い掛かる負荷がこれまでとは段違いに増大し、アレルはマスラオとの会話が困難になる。
──どうやら、時間切れみたいだのう。まあ、ここまでやってあれば後の事は我に任せよ。······最後に、汝はアマデウスと言っていたか、その力の反動はこれからは決して小さなものではなくなる。だが、それは汝を傷付けるだけのものではない事は覚えておいてくれ。鋼は、打たれる事で強くなる。大丈夫だ、心配せずとも汝は強くなれる。······いつでも、我等は汝と共に在る。今度は忘れてくれるなよ、我の······。
最後、徐々に遠くなる声が遂に聞こえなくなり、何を言ったのかは聞こえなかった。ただ、いつの間にか自身を襲っていた負荷も無くなり、次第に身体の感覚も戻ってきたアレルは届きはしないが宣言だけは口にする。
(解ってるよ、『マスラオ』。アンタの名前だけは、忘れねえよ)
そうしてアレルは、その名前だけは今度こそ忘れないと誓いを立てた後、自らの身体の支配を取り戻した。




