一章〜非望〜 四百二十七話 鋼の導き
ロバートの連続蹴りの嵐に晒される中、蓄積した疲労と手も足も出せない状況がアレルの意識を薄くさせる。何の術も思いつかない、ただ耐えるだけの状況下で唯一アレルの奥底で蠢く何かだけが活発になっていく。
その何かは、アレルへ言葉か意思なのか判別のつかないものを訴えてくる。しかし、そんなものがアレルへ伝わる訳もなく、アレル自身それらをどう処理したら良いか判らなくなる。
ただ、そんな何一つ伝わらない状況に業を煮やしたのか、奥底で蠢く何かはアレルを無視して身勝手な振る舞いをしてくる。それは、薄らぐアレルの意識を侵食するかの様に乗っ取り、アレルの身体の支配権のみを奪い去る。
瞬間、アレルの脳裏に直接言葉が響いてくる。
──言ったはずだろ? お前のそれは強化ではないと。まあ、強化は強化でやりようはあるがな。
ガハハハ、と豪快な笑い声と共に、その瞬間からアレルの身体は自由が利かなくなる。
すると、何か良からぬ気配を敏感に察知したのか、突然ロバートが連続蹴りをピタリと止めて飛び退いてしまう。
「······アレル様ではありませんね。何者でしょうか?」
「ハッ、悪いな······無駄話の時間なぞ与えられてはおらんのよ」
アレルの声で、アレルの姿のまま、口調だけが身体の支配権を奪った者のものへと変わる。その変化に、ロバートは昨日の魔神のアンデッドと対峙していた時よりも強い警戒を示している。
しかし、アレルの身体を支配した者にとってそんな事は些末事だと云わんばかりに、その意識はアレルへと向けられている。
「良いか? しかと、覚えておくのだぞ。······今度こそ、な」
──告げる、我は『 』が一つ。我が身は人に非ず、我が身こそ至高に届きし鋼の一にして、神に届きし可能性なり。我、鍛えしは己が身を『 』となす事。この世に生けとし生きる全ての者達よ聞け、世界に轟く我の名は『マスラオ』。
それは、決して音にはしていない言葉だったが、身体は動かせないが意識を共有するアレルにだけ届くものだった。だが、そんな事は今のアレルにはどうでも良く、どこかで『マスラオ』という名前を確かに聞いていた事をこの瞬間に思い出した事の驚きに、ただただ呆然としてしまうのであった。
そんな意識の中のアレルとは裏腹に、マスラオに支配されたアレルの身体には目まぐるしい変化が起きていた。
体中に未知の力が溢れ出し、異常強化なんて子供だましだったのではないかと思う程の尋常ではない力がアレルの体を満たしていく。鋼の肉体、よく鍛え抜かれた身体をそう比喩する事があるが、今のアレルの肉体はそんな比喩などではない紛う事なき鋼の肉体になっているみたいだった。
「ふむ、無理しても未だこの程度······まあ、やむなしといった所か。ところで、そなたはこの者が心配か? そうであるなら、我に掛かってくるがいい。この者の為にもな······なあに、こちらからは手は出さんよ」
マスラオは、アレルの声でロバートにそう告げると、腕組みをして直立不動の構えを取る。対して、ロバートは警戒を最大にしながらクラウスを装う為にわざと細めていた両目を開く。
「申し訳ありませんが、そのお身体はアレル様のものなので傷付ける事なく返して頂きたいのですが?」
「その点は、心配いらん。その内に勝手に戻るからな。ただ、色々と苦労していた様子を見て、ちぃっとばっかし枷を外すのに手を貸してやったのだが······こやつ、思いの外底が深くてな。このままでは、制御しきれぬ力でこの者が内側から潰される。それ故に、我が少々制御を手伝ってやってる訳だが、力を散らし切れるか少し判らん。だから、そなたも身体の外から攻撃して力の拡散を手伝え」
マスラオの言い分に、ロバートは理解は示したものの納得はしきれない様子で声を荒げる。
「余計な事をッ! あなたが誰かは知りませんが、変に力を貸さなければ今の様にはなってはいないでしょう!」
「い〜や、遅かれ早かれこの者は自らの力を暴走させていた。こうして、事態に介入出来る時にどうこうせねば、この者が一人で自滅するだけだった。内包する魂の器とそこに注がれた力、対してそれらに見合わぬ脆弱な身体······本来は、身体を鍛えるのと共に徐々に扱える様になるはずだったものが、妙な魔力を取り込んだせいで力の方が先に大きくなりおった。まあ、そのお陰でこうして手を貸してやる事も出来るのだが······この状況のせいで、身体を守らねばならんから最初に出てくる羽目になったわ」
最初と、何やら気になる事も口にするマスラオだが、意識しか自由にならないアレルは段々とその意識すらも更に薄くなりそうになる。
──おいッ、寝てくれるなよ! 汝が寝れば、全てが無駄になるではないかッ!
だが、そこでアレルの意識にマスラオが語りかけてくる。そのお陰か、アレルの意識は寸でのところで踏み留まる。
──汝が寝てしまえば我も消える。慣れぬ状態で、ちぃっとキツイかもしれんが耐えろ。
マスラオはそう言ってくるが、意識だけの状態でどうこうしろというのは長く保ちそうにないとアレルは思う。
そうして、アレル達が意識の中でやり取りをする中、身体の方では対峙しているロバートが身構える。
「······力の拡散と言いますが、それでアレル様のお身体が傷付いたらどうなさるおつもりで?」
「それも心配無用。例え、どの様な攻撃に晒されようとも、誰一人この身体に傷一つ付ける事すら出来んよ。それよりも、闘気を扱えるなら全力で来い。でなければ、力の拡散など出来んからな」
瞬間、ロバートから明確な殺意が放たれ、その身体の内側が何かしらの力で満たされていくのがアレルには感じられる。
「本当に、勝手な事を言ってきやがる。それで、もし傷一つでも通ったのなら、貴様がどこにいるどんな存在でも必ず殺しにいくからなッ!」
何故か、マスラオの存在が許せない様子のロバートは、クラウスを装うのを止めたどころか口調までも本来のものに戻ってまで激昂する。その直後、凄まじい速度で間合いを詰めるロバートに対して余裕のマスラオは、アレルの意識に語りかけてくる。
──大方、我を悪魔か何かとでも勘違いしておるんだろうな。他者の身体を扱うなど、奴等ぐらいしかせんからな。
そんな中、ロバートは全力の飛び蹴りをアレルの身体へ叩き込むも、ガキンとまるで鉄柱でも蹴ったのではないかという感触を返す。それに、アレルはロバートの足の方が危ないんじゃないかと感じる。
──安心せい。あの者の闘気は安定しておる。あれを維持出来るなら、まず怪我などはせんさ。それよりも、汝の事の方が深刻だ。
マスラオは、先程と同等以上のロバートの連続蹴りに晒されながらも、一蹴り一蹴りが先程よりも鋭く重くなったロバートの攻撃をものともせずに、直立不動のままアレルとの話を優先してくる。
──良いか? 魔力にしろ闘気にしろ、霊子の循環によって生み出されておる。本来の汝は、この循環が他より図抜けておるが、その生み出した力を放出する力が弱い。だから、その均衡を保つ為に枷を付けていたんだが、妙な魔力を取り込んだせいで枷が緩んだ。まあ、今はその放出を手伝ってやっているんだがな。
マスラオの言う通り、ロバートの一撃ごとにまるで防壁が崩れるみたいに力の流れに綻びが出来るのだが、そこを補うみたいに崩れるそばから新たに力が注がれているのをアレルは感じる。
──だがの、我がこうして手を貸せる時間も限られておる。だから、一度の説明で理屈を理解しろ。この世界にも、汝の身体と同様にエーテルの海と呼ばれる霊子の循環が存在しておる。当然、そこから生み出される力もある訳だが、この力と汝が生み出す魔力やら闘気は性質が近い。だから、汝の意識を力の放出ではなくそちらへの循環に意識を向ければ、あとは勝手に余剰分の力は世界に流れていく······そうだ。
マスラオは、まるで傍にいる誰かの話をそのまま伝えているみたいに、その言葉尻がなんとも頼りなくアレルには聞こえる。ただ、いつまでもこうしている訳にもいかないアレルは、出来るか判らないが言われた通りにしてみようと決心するのであった。




