一章〜非望〜 四百二十五話 一歩前進
迂闊に手を出せば投げられ、曖昧な攻撃にはカウンターを喰らい、重心が偏れば再び投げられる。通常の速度では全く敵わず、かといって低速での手合わせでも簡単に手を読まれて対処されてしまう。
そんなロバートを前に、アレルは一体何回同じ事を繰り返しているのかすら判らなくなってくる。ただ、それでも食らいつく事だけは自ら止めてなるものかと、反骨心を支えにアレルは何度も立ち上がる。
そうして、手合わせを続けていく中でもロバートからの助言は所々で与えられる。
「アレル様、緩急にもお気を付け下さい。変な所で滞らせたり、急激な緩急は身体への負担となります」
ドスッと、ロバートはアレルの悪い所を指摘しつつ、防御がガラ空きな懐に一撃を入れて通常速度の手合わせを終わらせる。
「あくまで、力の流れを意識して動きなさって下さい。無から全でも、いきなりではなく滑らかな流れを作って強弱をつけていくので御座います」
続いて、思考訓練も兼ねている低速の手合わせでは、ぎこちないアレルの身体の使い方をロバートは矯正してくる。そんな中でも、アレルは出来ない事は出来ないと諦める事なく、素直に言われた部分を修正する。
らしくない、そうは感じるもののアレルはこの先、凄腕の暗殺者と対峙する可能性もあるし、一人で複数人を相手にしなくてはならなくなる時だってあるかもしれない。その時、自身の弱さを言い訳にアリシア達を危険な目に遭わせたくない一心で、珍しく素直にロバートの助言や指摘を受け入れる。
「流れ······っても、もう細······かい、とこまで······意識が回らねえ、んだよ」
息も絶え絶えなのは当然で、その上ロバートが闘気の扱いまでも伝えてきて、それを魔力で代用しているアレルには相当な負担が強いられている。だが、そこで手を緩めるロバートではない。
「アレル様、その様な事を仰っても敵は許してなどくれませんよ。それに、その様にあからさまな疲労を表に出されると敵を喜ばせるだけに留まらず、味方の方を不安にさせますよ。良いのですか?」
その言葉を聞き、ふとアリシアが不安げにしている表情が思い起こされ、アレルは奮起する。
「良くねえッ!」
口ではそう言うものの、低速での手合わせが故に、アレルは意識を力の流れを作る事に集中させる。だが、その一方で緩慢な動きは本来なら一瞬で済むはずの筋肉への負担を徒に引き延ばしてくる。
その疲労から、アレルは歯を食いしばりそうになるも、直前のロバートとのやり取りからそれを思い留まり、無理にでも笑みを浮かべる。ただ、そのお陰なのか余計な力が抜けて身体の動きが多少滑らかになる。その際、僅かにだがアレルはそれまで身体に掛かっていた負荷も軽減された事に気が付く。
そこで、アレルはようやくある事に気が付く。アレルは、それまで敢えて動きを遅くする為に身体の均衡を保つ際に筋力で無理矢理支えていた。実は、それが今まで負担となっていたアレルの疲労の正体だった。ふとしたきっかけで、そこに気付いたアレルは身体から無駄な力を抜いていく。
「······指摘する前に、ご自身で気付かれましたか」
そんなアレルの変化はロバートにも見て取れたのか、笑みを浮かべながらアレルの左脚のミドルキックを自身の右膝で受ける。
「気付いていて、言わないのは性格悪いんじゃないのか?」
「そうして、ご自身で気付かれないと意味がありませんので。それに、今後何かあった際にご自身で気付くお力がなければ誰に教わるつもりなのですか?」
そんな言い合いをしながらも、ロバートはミドルキックで後方へ下げられた左腕ではアレルの防御が間に合わない左肩へ、右足を下ろしながら右拳を振り下ろしてきている。
ここで、低速の縛りを破れば防御は出来るが、それは修練に付き合ってくれているロバートに対する不義理だとしてアレルは無抵抗にその一撃を受け入れる。せっかくコツを掴んだのにと、ロバートの右拳が自身の左肩に触れるのを感じながらアレルは少し残念がる。
ただ、そんなアレルとは真逆に汗一つかいていないロバートは、嬉々として通常速度に戻した手合わせをする為に構えを取り直す。
「アレル様、先程の気付きが活きるのはここからで御座いますよ」
「······どういう、意味だよ」
アレルは、乱れた呼吸を整えつつ額から流れる汗を袖で拭ってロバートへ言葉を返す。しかし、何も返してこないロバートに業を煮やしたアレルは、仕方なしに再び徒手格闘の構えを取る。
「意味など、直ぐにでもお解りになります」
その瞬間、この手合わせを開始してから何度目になるか判らないが、ロバートの方から仕掛けてくる。それに、アレルはまたかと思いつつも即座に防御の姿勢を整える。すると、何故かは解らないが、それまで防御と同時にロバートの攻撃を受けていたのにほんの僅かだけ間が生じる。
そのお陰か、その僅かな間でアレルは直感的に次の動きに繋げるきっかけを掴む。ロバートの初撃、それは右脚によるハイキック。しかし、それはアレルの防御が前提で放たれているものだと察知したアレルは、左腕の防御を固めたまま下肢の力を抜いて屈む。
普通なら、ここで目標を失った驚きでそのまま空振ってくれるのだが、ロバートはそんな奴とは違う。アレルが回避したと見て取ると、軸足の方向を変えた上で空振るはずだった右脚を空中でくるりと円を描く様にアレルの頭上に持ってきて、そのままアレルの頭へ踵を落としてくる。
ただ、アレルの方もこれまでとは違いロバートの目標変更にも気付く余裕があったので、屈んだ事で下肢へと移動した力を利用して後方へと飛び退く。この時、アレルはそれまでよりも滑らかに素早く動けた事に首を傾げる。
「不格好ながらも、しっかりとお使いになられているみたいですね」
そこへ、ここに来て初めて速度の切り替え以外でロバートがその手を止めて話し掛けてくる。ただ、それも何かの狙いかと警戒するアレルは、念の為に構えを解く事なく応じる。
「使うって、何を?」
「何をと言われても、ご自身でもお気付きになられているでしょう? ある程度、力の流れを支配出来てきた証拠に、これまでよりも速く動けていませんか?」
言われてみて、アレルは初めてしっかりとその事を自覚する。思えば、ロバートの攻撃に対して毎回の如く後手に回され続けていたが、今の攻防ではそれまでよりも早くロバートへの対処が出来ていた。
つまり、身体の随所に入っていた無駄な力が抜けて力の流れを意識出来た事により、筋肉の緻密な連動がある程度可能になったお陰で全体の速度上昇に繋がったという事だ。それを理解したアレルは、無意識にやっていた事を意識出来たせいか次はもっと速く動ける気がしてくる。
「確かに、速く動けている。······でも、これまでも手を抜いている訳じゃなかったのに何か変な感じがするな」
「何一つ、変な事など御座いません。アレル様は、気付いておられなかったみたいですが、アマデウスが表出している時は今よりも速い動きをされていました。いくらアマデウスとはいえ、ご本人の速度を超えた動きなど出来る訳がないのですから、あの時の速度がアレル様の現在の限界値なので御座います」
「じゃあ、今までその速さで動けなかったのは、身体の使い方がなっていなかったって事か?」
「ええ、その通りで御座います。ただ、アレル様には速度や攻撃力の上昇よりも防御を身につけて頂きたいので、ここからは数本続けてこのままの速度での手合わせを致しましょう。なあに、やる事は簡単で御座います。今掴んだコツを応用して、私が打ち込む打点から重心をズラすだけでそれなりの威力を軽減出来ますので」
ロバートは、無理難題を吹っ掛けながら、獲物を狩る捕食者の笑みを浮かべて間合いを詰めてくる。その威圧感に晒されながら、アレルはせめてもの抵抗に一言だけ口にする。
「お前は、鬼か悪魔か······」
しかし、そんな事を口にしたところで何かが変わる訳ではないのもアレルは理解している。なので、自身が掴んだコツを防御に転用出来るまで続く地獄に耐える為に、アレルは息を吐くのと共に敢えて肩から力を抜くのであった。




