一章〜非望〜 四百十二話 言葉と共に甦る想い
エリオットが拉致された。その衝撃に、頭の働きが止まっていたアレルは無理矢理に思考を巡らせてどういう事なのかを考える。
帝国に拉致されたとの事だが、船を使わねば大公が西側へ行く事が叶わなかったのと同様に、帝国兵も辺境伯や神官騎士を突破して東側へ抜ける事は不可能だろう。それに、何故帝国側にエリオットの居場所を掴む事が出来たのか判らない。
それらの疑問に、アレルが明確な答えを出せずにいると、その様子を見ていたロバートがその重い口を開く。
「······私達が戦闘を行っていて不在の間に、神官騎士の下へ命からがらラガスプから逃げてきたという住人が数名やって来たそうなのです。その中に、帝国の間者が潜んでいたので御座います」
それで、アレルの疑問の一つは説明がついた。しかし、アレルの疑問はもう一つあったので、それをロバートに直接訊ねる。
「いや、それでもソイツはどうやってエリオットの居場所を知ったんだよ? そんなに早く拉致されるなんて、おかしいだろ」
「それについては、悪い事が重なり過ぎたのが原因で御座います。まずは、先程の帝国の間者をみすみす逃してしまった事。二つ、マクシミリアン様が出奔覚悟でしたのでご家族までルクスタニア側の国境まで連れてきていた事。三つ、ルクスタニア国内に帝国と通じていた者がいた事。これらの事が重なり、エリオット様の拉致という本来ならば起こり得ない事が実現したので御座います」
瞬間、ビリッと一瞬で全身が硬直し総毛立つ程の鋭い何かがロバートから放たれる。それは、持続されて放たれる様なものでなく、本当に刹那的なものだった。だが、ほんの一瞬でもただならない気配に、アレルは一時的に呼吸をする事を忘れてしまう程だった。
後悔に憎悪、そういった判りやすいものだけでなく様々な感情や想いが、二十年という歳月で形容し難い何かに変貌してしまった。そんな濃密な何かを感じてしまったアレルは、最早自身が口を挟める状況ではないと自らの口を固く結ぶ。
しかし、当のロバートはアレルの様子に気が付くと、それまでと変わらない態度を貫く。
「······申し訳ありません。つい、当時の事を思い出してしまいアレル様を怯えさせてしまいましたね」
「······いや、怯えとかでは······というか、ロバートは平気なのか?」
「······そうですね、あまり明確に語りたくはないので察して頂けると助かるのですが、当時のノインシュタット家の当主はオーギュスト様のお父君で、その頃頭角を現してきていたマクシミリアン様を大層毛嫌いされていました。ですが、ラガスプから帝国兵が撤退して間もなく代替わりをしたので御座います。まあ、平たく言えば当主が亡くなられたのですが、己が罪の報いを受けられただけに御座います」
ロバートの、あまりにものを語らない口ぶりに、アレルはそれをどれ程ロバートが語りたくないのかを察する。そして、ロバートが口にしまいとする事にまでも考えが及んだアレルは、その真相に何とも言えない気分になる。
結論から言えば、帝国と通じていたのはノインシュタット家の前当主だった。その前当主は、辺境伯を毛嫌いしておりどうにか失墜させられないかと画策していた。その手段の一つとして、当時から国境の領地を与えられていた辺境伯を害する為に帝国と通じ、件のエリオットの拉致に手を貸したというところなのだろう。しかし、前当主はティエルナでの一件が落ち着いた直後に何者かによって暗殺されてしまった。そう、その罪の深さを知る何者かの手によって。
そうして、ロバートが察しろと言ってきた事に結論をつけたアレルだったが、どうしてもロバートに言いたい事が出来て我慢出来なくなる。
「お前なぁ······もし、ディミトリスが生きていたら問答無用でぶん殴ってるぞ」
アレルは、ディミトリスの名を借りたその一言でロバートの不興を買う事も覚悟していた。しかし、そんなアレルの覚悟とは裏腹に、ロバートはどこか安堵したかの様な表情を浮かべる。
「······アレル様が言うなら、そうなんだろな。ああ、きっとそうだ。あの時、俺はディミトリス様に叱られたかったのに叱られなくて、無性に虚しかったんだ。でも······アレル様のお陰で、二十年越しに叱ってもらえた気になれたよ」
きっと、無意識だったのだろう。ロバートは、クラウスを模したものではない自らの声と口調で、どこか自然体とも見える様子で薄く微笑む。
そこから、アレルは更に察してしまう。ロバートが、どうしても抑えきれない激情に駆られたのは、エリオットの拉致が起因となってロバートにとってのかけがえのない存在が失われたからなのだと。
なんと言えば良いのか判らない。それでも、色々と察してしまったアレルは、何かしら言葉にしなければならない様な感覚に背中を押されて急に立ち上がり言わなくても良い事を口走る。
「これは······昔誰かに言われた言葉なのか、俺自身の想いなのかは判らない。でもな、これだけは言わせてくれ。こんな世界だ。殺さなくちゃならない奴がいる事は、少なからず理解出来る。それでも······どんな世界でだって、自ら可能性を閉じてしまう事は罪なはずだろ? それはたぶん、自分のであっても他者のであっても同じはずだ。それなのに、お前はッ! ······悪い、上手く言葉に出来ない」
何か一つ選択する事は、他の可能性を捨てる事と同義だ。しかし、ロバートのやった事は諦めや惰性で全ての可能性を捨てたのと同じで、それが堪えようのない感情からだとしても褒められた事ではない。そう思うアレルだったが、誤解なくそれを伝える術がアレルにはない。
ただ、おそらくだがディミトリスは自身の身に何が起きようとも、ロバートには自分の道を進んで欲しかったはずだ。それでも、ロバートは私怨で動いて数あった可能性を、ディミトリスが期待していた未来を自ら捨て去ってしまった。
ただ、互いに最良の未来を望んでいただけだった。それなのに、様々な思惑や事柄に翻弄されて、どちらが望んだ事も叶わなかった現実に対する憤りがアレルを突き動かす。ただ、その憤りを上手く言葉に出来ないアレルは、その不甲斐なさに口を噤む。
「アレル様······既に、終わった事で御座います。あなたが、そこまで憤る事では御座いません」
そこへ、憤るアレルの姿を見て冷静になったのか、声色はそのままに口調だけを戻したロバートが声を掛けてくる。
「でもッ」
「良いのですよ、今を選んだのは私で御座います。そこに、アレル様が憤る必要は御座いません。ですが、あなたの言葉で一つ忘れていた事を思い出しました」
そこまで口にして、ロバートスッと空を見上げて続ける。
「一言一句、忘れてなどいないつもりでしたが、存外あるものなのですね。······ディミトリス様は、こう仰られていました。人には様々な可能性がある。才能に恵まれたお前なら、それは尚更だ。だから、その可能性を抱えたまま生きるも、全てを捨て去るのもお前の自由だ。ただ、その選択を人のせいにだけはするなと」
ロバートが思い出したというディミトリスの言葉は、現在のロバートにとっては辛辣なものだった。何故なら、ディミトリスを失った際の様々な感情を原動力に行動してきたロバートの選択は、正しくディミトリスの死を言い訳にしたものだったからだ。
アレルは、それを人のせいにしているのと同義だと感じ、それはロバートも同様に感じているだろうと思う。だが、直前にロバートが今を選んだのは自分だと口にしていた事にアレルは気が付く。それは、正真正銘誰かを言い訳にしていない、ロバートが自らの行動に対して自らの選択だったと受け入れているという証だった。
「もしかしたら、私はディミトリス様の死を言い訳にこれまで好き勝手にやってきたのかもしれません。ですが、それもまた私の選択だったのです。······長い間、ディミトリス様をお助け出来なかった私には自由に生きる権利など無いと思っておりました。だからこそ、商会にこの身を捧げて今日までやってきました。それが、私の贖罪なのだと信じて」
「ロバート······」
贖罪、それはきっとディミトリスに対してのものではなく、ロバート自身が自分を許せる様になる為のものという意味にアレルには感じられた。
実際、ロバートは商会の裏の顔である黒羽根の一員として、商会を支えてきたのだろう。現に、今も人知れずディミトリスの子であるジェームスを側で守っている。しかし、そこに贖罪としての意味しかなかったのであれば、なんとやるせないのだろうとアレルはロバートに掛ける言葉が見つからなくなる。
そんなアレルに、見上げていた顔をアレルへと向けたロバートは、どこか晴れやかな表情で告げる。
「ですが、アレル様のお陰で忘れていたディミトリス様のお言葉と、その時の私の想いを思い出しました。私は、確かにあの言葉を頂いた時に心に誓ったのです。ディミトリス様が、守り育んだ大切な居場所を私も守っていきたいと。贖罪の前に、私の心の中にはそんな想いが存在していたので御座います。だから、私はディミトリス様がいらっしゃらなくなってからも、商会から離れずに居続けたのです」
憤りに憎悪に復讐心、そういったものに囚われていたロバートは、自身の大切な想いをディミトリスの言葉と共に忘れていた。アレルは、それがもしかしたらディミトリスが独り立ちの最後の試練としてロバートに課したものだったのかもしれないと感じてしまう。
ただ、ディミトリスの言葉と自身の想いを取り戻したせいなのか、今のロバートはどこか穏やかな気配を纏っている。
「······じゃあ、商会に戻るのか?」
「いいえ、昨日あんな事が起きたばかりで御座います。もうしばらくは、ディミトリス様の残した方をここで見守りたいと思います」
おそらく、今でもロバートの中には辺境伯とエリオットに対する憤りや嫌悪感などが残ってはいるのだろう。それでも、これまであったどこか危なげというか怖いと表現すべきものか判らないが、そういった気配がかなり薄くなった事にアレルは安堵する。
「そうか······じゃあ、立ったついでに修練の再開でもするか」
そう口にして、アレルは身体を解し始めるが、そこにロバートが待ったを掛ける。
「お待ち下さい、まだティエルナ事変の話が途中で御座います」
「いや、でもロバートの中で折り合いがついたなら、それで話は終わりじゃないのか?」
「いいえ、元より私の目的はそこには御座いません。私は、アレル様の考え方がディミトリス様に近いからこそ、あなたにはディミトリス様の最期をお伝えしたいのです。······もしかしたら、それでも何も変わりはしないのかもしれません。ですが、もしアレル様がディミトリス様と同じ状況に立たされた時、一度立ち止まってお考え頂く為に、ランカークスの守り人という祀り上げられた英雄譚を知っておいて頂きたいのです」
珍しくというか、初めて熱の入ったロバートの言葉に気圧されてしまったアレルは、抵抗する気も失せて話の続きを聞く事を決める。
ただ、その前に気になっている事をロバートに指摘する。
「分かった、話の続きは聞くよ。でもな、調子が狂うから声はクラウスの模倣で頼む」
その指摘に、ロバートは無意識のまま自身の声で話していたみたいで、これは失敬と一度だけ咳払いをする。
「では、続きを話してもよろしいでしょうか?」
「ああ、頼む」
そう言って、話がまだまだ長くなりそうな予感がしたアレルは再びその場に腰を下ろすのであった。




