一章〜非望〜 四百十一話 忍び寄る暗雲
エドガー、その名を初めて聞いたのはアリシアからだっただろうか。その人物は、他ならぬアリシアの伯父に当たる人で、その上今ではアリシア達の目指すヴァンハート公国の国主である大公その人である。
そんな人物が、今ここでロバートの語るティエルナ事変において重要な動きをする事が示唆された。その事に、アレルは正直動揺が隠せないでいた。
「アレル様、エドガー様に何か?」
すると、アレルの様子に気付いたロバートが話を中断して声を掛けてくる。それには、アレルも思う所があり少し強引に誤魔化してみる。
「ああ、ほら······一応、俺達が目的地にしている国の国主だからさ、こんな形でかつての活躍が聞けるとは思ってなくてな」
しかし、ロバートはアレルが何かを誤魔化そうとしたのを察して、少し考えた後にああと何かに思い当たる。
「もしかして、羽根がアレル様へ協力しているのも、きっかけはエドガー様がご依頼されたからというのを知っておいででしたか?」
「それ······俺が知ってると、何か問題があったりしないか?」
アレルが不安そうに口にすると、それにロバートはクスッと軽く笑う。
「問題御座いません。それは、現商会長様の悪ふざけで箝口令が敷かれているだけに御座います。まあ、大変なのは会長業を代行しているニコラオス様でしょうがね」
「その名前······確か、カールだったか······その名前を、初めて口に出してきたのは? んで、誰なんだ?」
アレルは、自身が大公と商会の関係を知っていたとしても問題ないと判り、安心して降って湧いた疑問を口にする。ただ、それにはロバートが少し喋り過ぎたみたいで、僅かに気不味そうな気配を感じさせる。
「ニコラオス様は、ディミトリス様の弟君に当たる方です。それより、話を戻させて頂いても構いませんか?」
「ああ」
アレルは、そんなロバートの様子から自身が知ってはならないのが、商会長絡みの事なのだと察する。ただ、ロバートが口にした悪ふざけという言葉とヴァーミリオン家の性質から考えるとある人物に思い当たりそうになるも、アレルはロバートの沽券を守る為にその考えを霧散させる。
「それで、先に街への被害を抑える為の方策からお話ししますと、協議の結果やはり騎兵での夜襲で帝国側の物資を焼き払うのが良いだろうという話になりました。これに関しては、私が潜入した際に物資の集積所も確認しておりましたので、実行するのは然程難しくはありませんでした。しかし、問題も御座いました。まず、禁忌に触れるとして神官騎士の協力が得られない事、それからアレル様も懸念されていた帝国兵の撤退時に街の住人が連行される可能性がある事です」
「つまり、戦力の不足と帝国兵の撤退時に街の住人を連れて行く余裕を持たせない為の策が無いのが問題だったって事か?」
「ええ、戦力不足に関しては一騎当千のマクシミリアン様がいらしたので多少目を瞑る事も出来ましたが、二つ目の方が問題で御座いました。元々、帝国側にそれをさせない為の、帝国にとって価値の高い住人だけでも先に脱出させる事前調査としての私の潜入でしたが、それを行うには神官騎士の手を借りても人手が足りず、そもそも物資を焼いて帝国側が混乱している内にという状況が整ってこその策でした。その策すら使えなくなり、結局のところ帝国兵を撤退させるのに物資を焼くところまでは確定事項となりましたので、神官騎士の協力も得られない。そこで、エドガー様が西側の国々へ協力を要請する為に自ら動かれたので御座います」
話を聞き、アレルは少し引っ掛かりを覚える。一見、大公の立場や状況を踏まえれば何一つおかしな所は無いように思える。
ただ、どこかに矛盾を感じる気がしたアレルは、これまでの話を振り返る。その過程で、アレルは自身がなんの疑問も抱かずに聞き流していた事があったのに気が付く。
「ちょっと待った。今の大公の話もそうだけど、ディミトリスが西側へティエルナの救援要請を伝えに行ったって話の時どうやって西側へ行ったんだ? その方法も謎だけど、いくらなんでも動きが早過ぎてなかったか?」
そう、ラガスプが占領されている以上、最短で西側へ行ける陸路は塞がれているも同然だった。その上、海には海魔と呼ばれる七魔将なる魔物のせいで航行はほぼ不可能。そうなると、唯一の経路は山越えしかない事になるが、それだと移動に掛かる日数が少なすぎる。
そんな疑問を投げ掛けるアレルに、ロバートはフフッと軽く笑って満足そうに頷く。
「やはり、そこに気付かれましたか。訊ねられなければ、お話する気は御座いませんでしたが······まあ、アレル様にならば構わないでしょう。一隻だけあるのですよ、現在の状況でも海路を航行可能な船が」
「は?」
まるで、思考の外から暴走車に突っ込まれたみたいな衝撃を受けたアレルは呆然としてしまう。そんなアレルを無視して、ロバートは詳細を説明し始める。
「商会が所有している訳では御座いませんが、ディミトリス様のお知り合いがそういった船舶を所有していたので御座います。まあ、表立って動ける様な仕事をされてる方ではないのでそう何度もお願いする訳にはいかなかったのですが、状況が状況でしたので仕方なくお頼みした形ですね」
魔物が跋扈する海を航行可能な船、確かにそんなものがあるのであればアレルの疑問は解決する。しかしながら、一体どの様な船ならば現在の海を航行出来るのかとアレルは頭を捻る。
だが、それを話すと時間が掛かり本来の話の邪魔になると思ったのか、ロバートは自ら軽く種明かしをする。
「その船は、魔力を動力源とした魔導船······失われし古代文明の遺産なので御座います。詳しく知りたいのであれば、後ほど私が知る範囲の事はお伝えするので、続きを優先してもよろしいでしょうか?」
「ああ、そういう事なら好きにしてくれ」
アレルは、後ではぐらかされない様にちゃんと訊こうと心に決めて頷く。
「では······新たに立てた作戦は、エドガー様が西側の協力を得てラガスプを西側から包囲し、その直前にマクシミリアン様の騎兵を用いて物資を焼き払うといったものになりました。ただ、完全に包囲してしまうと問題も生じますが、アレル様はご理解されていますか?」
ロバートは、そう言ってアレルにも考えさせてどこか学ばせようとしている。ただ、これに関しては然程難しい問ではないので、アレルは見落としがないかだけ確認してロバートへ答える。
「包囲をキツくし過ぎると、物資も無くなって退く事も進む事も出来なくなった帝国兵が自棄を起こさないかって事だろ? 更に言えば、そうならない為に包囲にわざといくつか穴を作って、逃げ道を用意してやる事で自棄を起こすにも薄い希望を用意する。それで、帝国への撤退を促すってところかな」
アレルが、答えはそれぐらいしかないだろうと肩を竦めると、ロバートは満足そうに微笑む。
「はい、その通りで御座います。付け加えるならば、戦闘には協力出来ないと言ってきた神官騎士には、帝国兵の撤退後のラガスプ住人への支援を約束して頂きました。これで、最低限ラガスプの住人が飢えで苦しむ事はなくなります。ただ、ティエルナだけでは不充分になりかねないので、エドガー様にはそちらの件でも西側へ交渉に行って頂く必要が御座いました」
「そういう事なら、後は大公の交渉待ちになるのか」
そのアレルの言葉に、ロバートは無表情を取り繕おうとするも、僅かに顔をしかめてしまう。
「ロバート?」
そんなロバートの機微に、アレルは気付いて声を掛けるもロバートはしばし沈黙を続ける。
「······ところが、事はこちらが考える様に上手くはいきませんでした。これは、後に聞いた話になりますが、エドガー様の交渉はかなり難航したので御座います。それというのも、西側の国々としてはティエルナへ向かった帝国兵には西側に戻ってきて欲しくはない、出来る事ならば殲滅もしくはラガスプにて飢え死にでもしてくれれば良いと考えていたそうなのです。なので、帝国兵がティエルナへ入ったのならば速やかに兵を出すが、エドガー様が提示された包囲作戦が帝国兵を帝国へ返すものならば協力は出来ないと言われたらしいので御座います」
「······まあ、言い分は解らなくもないけど」
確かに、国の言い分としてはアレルにも西側の言う事は正しく聞こえる。しかし、ディミトリス達の作戦の主眼は住民達を戦闘に巻き込まない事にある。それ故に、その事を無視している西側の言い分は、例え理解出来たとしてもアレルには受け入れ難い主張だった。
ただ、どうやら事はそれだけでは済まなかったらしく、ロバートの表情は曇っていく。
「······更に、悪い事は続きます。エドガー様が西側との交渉をしている間にも、ラガスプを占拠した帝国兵との小競り合いは続きました。勿論、ディミトリス様に私やマクシミリアン様も戦闘に加わりましたが、それが裏目に出たので御座います。その戦闘で、いくら軍旗を掲げていないとしても、マクシミリアン様の戦いぶりは帝国兵にもその人だと判ってしまう程に有名でした。······そのせいで、エリオット様が帝国側に拉致されたので御座います」
どの様な経緯かは判らない。それでも、ここに来てエリオットが拉致されたと聞いたアレルの衝撃は大きく、思わず言葉を失ってしまう。
ただ、エリオットが話に出てきた以上、ここからがロバートの辺境伯への憎しみに繋がる話になるだろうと感じ、アレルは自然と身構えるのであった。




