一章〜非望〜 四百九話 遺恨を残す者の葛藤
瞑目してからのロバートの沈黙は長い。それをアレルは、話す内容とロバート自身の想いとの折り合いが簡単にはつかないのだろうと考える。
第一にディミトリスの事、次いで辺境伯に対する憤りを越えた感情。それから、事変と称されているからには、それなりに凄惨な場面などもあるのだろう。きっとロバートは、それらをどこまで話すべきかで悩んでいるに違いないとアレルは思う。
「一応、言っとくけど······俺に対する気遣いは不要だからな」
「はい、ありがとうございます」
そう答えるものの、ロバートは未だ瞑目したまま話を再開させる気配がない。だが、そこでアレルは不意に忘れていた登場人物がいる事を思い出す。
(そういや、荒事には関わっていないと思って忘れていたけど、エリオットの奴の話が出てきてない。でも、アイツ確か当時は四歳とかだったはずだよな)
流石に、いくら辺境伯の息子とはいえ四歳の子供が戦闘に関わる訳がない。しかし、昨日のロバートとエリオットのやり取りからは、エリオットの方に何かしらの負い目がある様にアレルには感じられた。
ただ、四歳の子供だったエリオットがどうしたら負い目を感じるまでの流れになるのか、アレルには全く見当がつかない。そのせいか、アレルは思わずロバートの方へ視線を向けると、ロバートの方も丁度瞑目を止める。
「何か、御座いましたか?」
「あっ、いや······なんというか、エリオットの奴も当事者面してたから、いつ出てくるのかってさ」
「それで御座いますか······」
ホゥ、とロバートは軽くため息の様なものを吐きながら、視線を顔ごと空へと向ける。
そこにどんな想いがあるのか、表情の見えないアレルには窺う事すら出来はしない。しかし、どこかロバートの存在が希薄に感じられた事から、エリオットが何かしら重大な事に関わっているのだろう事は理解出来た。
そんなアレルに、ロバートは不意に目を合わせてくると、一つだけ訊ねてくる。
「アレル様、あなたは他者の恨み言を耳にして、それをご自身の憎しみとされてしまう事などは御座いますか?」
そう問われ、アレルは思い掛けずに問われた内容に一瞬戸惑ってしまう。過去の事は、記憶喪失が故にアレル自身にも判らない。ただ、それはロバートも承知の上での質問であると感じたアレルは、ロバートが問うているのはこれからの事だと解釈する。
「もしかしたら、薄情な奴に聞こえるかもしれない······けれど、俺は自分以外の憎しみを引き継ぐなんて事はしないよ。だって、その憎しみを生んでしまった本人ならば、その理由も経緯も知っているからいつかは許す事も出来るかもしれない。でも、誰かの憎しみをそのまま受け取ってしまえば、それは理由なき憎しみだ。理由がなければ、どう許せば良いかすら判らない憎しみがずっと存在する事になってしまう。······そんなのが、人伝に後の世まで続いてしまえば、この世界から憎しみが無くなる事なんて未来永劫ないって事になっちまう。だから、俺は人の憎しみを自身のものの様に感じるなんて事はないよ」
アレルは、迷いながらも遺恨を残す過去を語ってくれてるロバートに対して、自身も真摯でありたいと本心を話す。
それに、何故かは解らないが、肩に力の入っていた様子のロバートはフッと笑って脱力する。
「安心致しました。アレル様が、そういった方でなければこの先の話はするつもりが御座いませんでした。······しかし、アレル様は本当にディミトリス様に通じる所がありますね」
「どういう意味だ?」
「いえ、ディミトリス様も似た様な事を言っておられたので御座います。ただ······ディミトリス様は、憎しみなんて抱えていたら心の底から笑えない、だからそんなものを抱えるぐらいなら笑い飛ばしてやると申しておられましたね」
確かに、ロバートから伝え聞くディミトリスの在り方や考え方などには共感出来る部分があるとアレルは感じる。ただ、そこまで自身に近いものを持っているディミトリスに対して、アレルは話の内容から一つの疑念を抱くに至る。
「なあ、そこまで似ているっていうなら、ディミトリスは劣勢になる程に······」
周囲から大切に感じる存在程遠ざけようとする。アレルは、自身ならそうするだろうと考え、ロバートに訊ねようとするも言葉尻で言い淀む。
何故なら、そこまででもロバートが浮かべる痛ましい程に悲しげな表情が、何よりもアレルの疑念の答えを物語っていたから。それでアレルは思い出したが、前にロバートが遠ざけられた側の気持ちは理解出来るのかと口にしていた。
そこから、ロバートの気持ちを考えたアレルはここで口にするべき言葉ではなかったと後悔する。
「いや、今のは忘れてくれ。······なんつうか、悪かった」
「いえ、構いません。ただの、つまらない感傷ですので······。ですが、昨日アレル様がお一人で盗賊騒ぎへ飛び出して行く姿が、あの日のディミトリス様に重なって見えたのは偶然ではなかったような気は致してます」
アレルは、ロバートの言葉から自身がロバートの前に現れた事自体が、ディミトリスの導きだったのではないかと考えている事を察する。そこから更に踏み込んで考えると、もしかしたらロバートはディミトリスがいつまでも自分の事なんて引き摺っていないで、それこそ笑い飛ばせとでも言っているのではないかと感じているのかもしれないと、アレルは思う。
もし、それが間違っていなかったなら、もうしばらくロバートは話を再開出来ないだろうと、アレルはロバートから視線を外して空を見上げる。
「その通りなら、俺もちゃんとディミトリスに感謝しなくちゃな」
「必要ないと思いますよ。理由は、アレル様の方がお解りになられていると思いますが」
「まあな」
そんな覚えのない感謝なんて、自分だったら嫌な顔をして受け取らない。そう思うアレルは、ロバートの言葉からディミトリスもそうだったのだろうと考える。
ただ、そうして互いに話す事も無くなった二人は、それぞれで思い思いに過ごす。アレルは、疲労の溜まった身体を休める為に空を眺めながら呆然とし、ロバートの方は話を再開させる為に気持ちの整理をしているみたいだった。
すると、不意に覚悟を決めたかの様に深呼吸をしたロバートが空を見上げるアレルに声を掛けてくる。
「お待たせして、申し訳ありませんでした。話を、続けさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「もう、大丈夫なのか?」
「ええ、お気遣い有難う御座います」
ロバートは、明瞭な声でアレルをしっかりと見据えて答える。その様子に、虚勢ではないと思えたアレルは話を聞く心構えを整える。
「それなら、好きに話してくれて構わない」
「では、お言葉に甘えて······まずは、地形についてもう少し詳しく話しましょう。最初に、ティエルナは渓谷地帯と申しましたが、現在では目に見える場所に河川は存在致しません。天から山が降ってきた、などと言われている土地ですから何かしらの地形変化で流れが変わり、本来川だったものは地下を流れていると言われています。それから、神都の辺りは渓谷と言って差し支えないのですが、ラガスプの手前まで行くと幅が狭くなり峡谷となるのです。更に言えば、太古の大河による浸食で出来た土地なので東から西へ向けて下る僅かな傾斜も御座います」
「つまり、神都側から防衛するのに地の利があるって事か?」
「はい、その通りで御座います。実際に、私とディミトリス様がマクシミリアン様の手勢と共に神都の街中を抜けて神官騎士に合流した際は、帝国の兵を峡谷で足止めしていましたからね」
要は、傾斜の上から下に向かい弓でも引けば飛距離や威力は増すし、道幅が狭くなっている峡谷ならば帝国側は隊を展開する事が出来ないから相手にもしやすいという事だとアレルは理解する。
「······なあ、それなら別に救援要請は必要なかったんじゃないか?」
「そうお考えになるのも無理はありませんが、帝国側もどうせ隊を展開出来ないのだからと道幅に収まる人数しか一度に侵攻させなくなったので御座います。加えて、全ての隊をその人数ごとに分けて代わる代わる攻撃を仕掛けてきていました。ラガスプを占領されているので、攻撃に加わらない隊も休ませておけますし、そういった互いに膠着状態の中で私達は戦線に加わったので御座います」
話を聞きながら、それならばどんな対処法があるだろうかとアレルが考える中、ロバートの過去語りは続く。




