一章〜非望〜 四百三話 深淵に招かれて
左手と右手、それぞれで基本的な持ち方を覚えた後は、ナイフを抜いた時に即座に投げられる抜き方なども覚えさせられ、アレルは実際に投げる前から既にぐったりしつつあった。
そこへ、ロバートは予め用意していたのか、馬車の荷台から投げナイフのホルスターを新たに持ってくる。それは、両肩から脇下へ下げる形のホルスターで、左右それぞれに三本ずつのナイフを納める事が出来た。
勿論、アレルは何故そんな物を用意したのか訊ねたが、相手の目に見える所以外にも仕込んでいた方が良いとの返事しか返って来なかった。よって、アレルは追加で脇下から指の間に三本のナイフを挟んで一度に抜く練習もさせられる事となった。
「では、そろそろ実際に投げてみましょうか」
「······やっとか」
そうは言いつつも、アレルは少し気になったので一度ソードクラッシャーを抜いてから二度三度と素振りをしてみる。それを眺めていたロバートは、不意に声を掛けてくる。
「脇下は、違和感が御座いますか?」
「そうだな······短剣やダガーを振り回すならともかく、両手で剣を振るう時はそういう違和感を感じると思う」
「そうですか······ならば、一先ずそれは外しておきましょうか」
「いいのか? せっかく、用意してくれたのに」
「ええ、あくまでナイフの所持数を増やす為に用意しただけで、長剣や騎士剣を主武装としているアレル様が違和感を感じるのであれば本末転倒も甚だしいですからね」
言いながら、ロバートは速やかにアレルからナイフホルスターを脱がせ、ホルスターのナイフをポーチへと戻してホルスターをその横に置く。
「まあ、それでも長剣が携帯出来ない状況とかなら役に立ちそうだな」
「そうですね、あとは違和感を感じたくないのであれば、戦闘開始と同時に六本のナイフを全て一度に相手へ投擲する方法なども御座いますね」
アレルは、確かにロバートの言う方法ならば長剣を抜く時にはナイフによる違和感は無くなっているだろうと考える。ただ、それを行う為には基本となる投擲を覚えなくてはならないので、アレルはナイフ帯から一本を手にする。
「取り敢えず、現状だと両手で投げる事すら出来ないから、そろそろ頼むよ」
「畏まりました」
アレルが何かを明言しなくても、その動作で全てを察した様子のロバートは頭を下げる。それから、顔を上げたロバートはポーチから投げナイフを一本手にすると、アレルに対して講義を開始する。
「では、まず投擲には大きく分けて二種類の投擲法があるのは解りますか?」
「上投げと、下投げって事か?」
アレルは、反射的に野球での投球を思い浮かべて答えてしまうが、それだと横投げもある事を思い出して表情を歪める。
しかし、対するロバートはそれを笑う事なく、ゆるゆると首を左右に振る。
「解って頂けたみたいですが、アレル様の思う通りそれは間違いで御座います」
ロバートは、アレルの表情の変化で自ら間違いだった事に気付いたと察知して、そんな言い方をしてくる。ただ、それ以上はアレルに解答権を与えるつもりが無いのか、そのままロバートは説明を続ける。
「言い方が悪かったのかもしれませんが、私が訊ねたのは腕の振りではなく手から離れた際のナイフの動きなので御座います。まず一つが、手から離れたナイフを回転させずに真っ直ぐ投げるもの。もう一方が、そのナイフを回転させて投げるもので御座います」
「何だよ、そういう意味か」
「ええ、申し訳ありませんでした。ただ、回転させずに投げる方は回転しないので標的には刺さりやすい一方で、意識としては投射点より下方に向ける投げ方の為に飛距離が出ません。逆に、回転させると飛距離は出ますが、標的との距離を測り刃先が標的に向く様に回転数や回転速度などを調節する必要が御座います」
ロバートの説明で、アレルはどちらにも一長一短がある事を理解する。
無回転では、ロバートは投射点と言ったがそれが自身の手である以上、それを延長したりはしづらい。加えて、この世界にも重力が存在しているのでナイフの重心が真ん中でなければ、投げた勢いが弱まった瞬間にナイフの軌道が歪んで標的に刺さらなくなる。ただ、それらの要素があったとしても、特に考える必要もなく反射で投げて刺さりやすいという利点は大きい。
一方で回転させる方では、やはり回転による遠心力で飛距離や速度を伸ばせるのが最大の魅力だ。だが、その反面回転しているので最終的に刃先を標的に向けられるかどうかという点が難点である。考え方としては、標的の直前で回転の上半分に刃側がくる様に投げられれば標的に刺さるのだろうが、その際に柄の方が上半分に来ていた場合ナイフは弾かれてしまう。
その両者の違いに、アレルは例え両方を習得したとしても、自身が状況によって使い分けられるか不安を抱く。
(つうか、回転の方で想像したのはあくまで上手投げの回転だ。下手投げになれば、回転の向きが逆になるからそれにも注意しなくちゃならない。······扱いきれるのか、これ)
などとアレルが考えていると、それらの悩みが顔に出ていたのか、ロバートが声を掛けてくる。
「その様に、不安になられずとも大丈夫で御座いますよ。アレル様は、主武装が長剣なのですから投擲が必要になるのは、主に中途半端な間合いを詰める際と攻め手を欠いた際の牽制になられるかと思います。なので、成否は気にしなくても相手の注意を逸らせれば問題は御座いません。とはいえ、三回投げれば二回は命中させられる程度にはなって頂きますが」
「いや······励ましついでに、無理難題を押し付けんなよ」
文句を口にするアレルに、ロバートはフフッとどこか愉快そうに笑う。
「まあ、そう仰らずに······これでも、私としましては随分と甘くして御座います。レイラとジーナの時は、百回といわず千回ほど外さずに命中させられるまで食事をさせませんでしたから」
「それ、ただの虐待だからなッ!」
「冗談で御座いますよ。それでも、アレル様がお元気になられたのなら早々に始めましょうか」
正直、冗談には聞こえなかった話を流されつつ、アレルはロバートの教えを受ける事になった。しかし、直ぐには投げさせてもらえず、アレルはロバートの手本を見せられる。
「では、一度だけ本気で投げさせて頂きます」
言うと、ロバートは手にしていた投げナイフを刃を持つ形で回転させながら的へと投擲する。だが、飛んでいく方向は少し正面に置かれた的から外れており、アレルはわざと外したのかなと思う。
その次の瞬間、クンッと回転するナイフがその傾きを僅かに変えると、そのまま軌道が右方向へと湾曲し横を向いていた的へドスッと突き刺さる。
「······流石だな。というより、どうやってやったんだよ?」
「はあ、然程難しい事はやっていないのですが、最初に前へ飛ぶにつれて空気の壁の抵抗でナイフの回転数が落ちる様に角度をつけて投げるので御座います。そうすると、抵抗で回転が弱まるのでナイフの回転軸も傾いて抵抗の薄い方向へと軌道が流れていくのですよ」
理解出来ない訳ではないが、そのどこか曲芸じみた技術にアレルはどこから文句を言えば良いのか判らなくなる。しかし、ここで何も言わなければそれすらも習得するまでやらされかねないと感じて、アレルは取り敢えず思い浮かんだ言葉を口にする。
「まさかとは思うけど、それも出来る様になれとは言わないよな? 流石に、曲がった先で刃先が刺さる様になんて計算で投げられないからな」
「ええ、私も計算などしていませんし、多くを投げた経験に従ってなんとなくで投げているだけですよ。なので、アレル様にもそれなりの数を投げて頂きたいと思っております。まあ、まずはナイフの刺さる感覚を掴んで頂く為に、回転させない投げ方で正面の的を狙ってもらいましょうか」
そんなロバートの発言で、アレルは墓穴を掘ってしまった事を認識する。ただ、ここで抵抗をしようとも結局はやらされる事になるだろう事も理解出来るので、アレルは無抵抗に従う事で時間の無駄を省く。
そうして、地獄の一丁目に足を踏み入れたアレルの、地獄巡りが開始される事となった。




