一章〜非望〜 四百一話 考えすぎずに柔軟な思考で
姿の見えない相手との戦闘、記憶があったとしても絶対にそんな経験をした事がないと判るものの想定に、アレルは未だかつてなく苦心する。
見えないのであれば、頼りになるのは音や匂いだ。しかし、相手が暗殺者であるが故に、それらを限りなく感じさせない技術を習得している可能性もある。
ただ、音や匂いと考えた所で、アレルにはロナから聞いた事で何かが引っ掛かった様な気がして自身の記憶を深く探り始める。しかし、そうしてアレルが記憶の海に手を突き入れた瞬間、不意にロバートから声が掛けられる。
「アレル様、如何されましたか?」
魔法と魔術の違いを聞いてから、急に黙り込んだ事を不思議に思ったのだろう。ロバートは、先程の説明に不備があったのかもしれないとアレルへ伺いを立ててくる。
「いや、すまない。一つ懸念が消えたって言っても、目下考えなくちゃいけないのは対抗策だから、そっちに思考が傾いていた」
だが、そうしてロバートへ応えた事で、アレルの記憶にあった引っ掛かりは指先から離れ、再び記憶の海へと沈んでしまった。それでも、対抗策と聞いたロバートはその豊富な経験から考えを纏める手助けをしてくれる。
「そうで御座いますね······何かしらの塗料を体に付着させた場合、衣服が見えなくなっているので塗料も見えなくなるのか、それとも魔法の使用後に付着した塗料は可視化されたままになるのかで対応が変わりますね」
「ああ、同様に出血なんかも見えるのか見えないのかでだいぶ変わるよな。でも、確か······ロナがやり合った時は仮面を付けていたとか言ってたから、戦う時は不可視化を解くのかもしれない」
アレルは、先程の記憶を探る作業で思い出した事を口にする。しかし、ロバートはその眉間にシワを寄せる。
「アレル様、こういった想定の際に楽観視は危険で御座います」
「解ってるつもりだ。ただ、見えない上に手練れっていうのがどうしても······な」
どうしても、打開策がないとこうあって欲しいという願望を抱かずにはいられないとアレルは思う。事実、近接戦になると経験の少ないアレルは持ち前の動体視力に頼るしかなくなる。
それ故に、頼みの動体視力すら使えない不可視の相手というのは、今の自身には天敵としか思えないのであった。
「まあ、対策出来ないという事でも御座いませんがね」
「本当か!?」
アレルは、自らでは考えつかない対抗策があると口にするロバートに驚きの表情を向ける。だが、それにロバートは少し渋い顔をして応える。
「あくまでも対処出来るという事であって、完全にどうこう出来るといものでは御座いませんが······姿が見えずとも、その場にいるのは確かなのですから油を撒いて燃やすという手段が考えられます。もしくは、相手のいる方向さえ判れば、扉の様に面で攻撃出来るものを叩きつけたりなども有効かと思われます。あと、有効なのは煙でしょうか。煙が立ちこめた空間でならば、煙の流れに相手の体が当たった際に気流が生じます。それを頼りに、戦う事は可能かと思いますが?」
「成る程、煙か······」
ロバートの助言に、アレルも対策の取っ掛かりを得た事で思考に方向性が与えられる。何も、見えなくなるからといって実体までが消えて無くなる訳ではない。それならば、実体ありきでは不可避なもので相手の動きを探れば良い。
「そうだな、水やガラス片なんかでも足元を満たせば、音で相手の位置だけは特定出来るな」
「ええ······ですが、蜃気楼の方もそういった事には慣れているはずで御座います。なので、策に固執し過ぎれば足元をすくわれる事がある事もお忘れなき様にお願い致します」
ロバートは言う。確かに、今挙げた方法ならば、姿無き相手を捉える事は可能だろう。しかし、この手の事に関しては相手もやられ慣れている可能性がある以上、策に固執すれば逆にそれを利用される可能性がある事をロバートは示唆する。
ただ、それらの手段を用いなければ相手を捉える事が難しいのも事実。なので、アレルはロバートに言われた通り、もしもの準備だけはしつつも策士策に溺れる事なんてない様に他のものにも留意すべきだとアレルは思う。
「解った、気を付けるよ」
「はい、そうして頂けるなら幸いで御座います。さて、報告はこれぐらいにして、投擲術の指南でも始めましょうか? ······私が、アレル様に聞いて頂きたいと言った話は休憩がてらにでも出来ますので」
「ああ、分かった」
別にロバートに言われたからという訳でなく、アレルもこれ以上この場で遭遇するかも判らない相手を想定するのも不毛だと思い始めていた。
ただ、そこでチラッとロバートの視線が動くのを目にしたアレルは、同時にトタタタと誰かが駆け寄る気配を感じる。
「あっ、アレルっ!」
「ア······ンネ!? どうして、ここに?」
アレルが振り返ると、そこには通用口からその手に何かを持った、フード姿のアリシアが駆け寄って来ていた。そんなアリシアは、アレルの前で足を止めると片手を膝についてから、もう一方の手に持つハンカチをアレルへ差し出してくる。
「はい、これ。出掛けようとしたら、置いたままになっていたから持ってきたの。返すんだよね?」
「ああ、そういえば忘れてた。ありがとな、アンネ」
アレルは、アリシアから忘れていたハンカチを受け取りながらも、午前中に買った新しい方はサイドポシェットへ入れたままになっていたがロバートから借りた方を部屋へ忘れてきていた事を思い出す。
そんなアレルは、バツの悪さから視線をアリシアから通用口の方へ向けると、会釈するメリルと不機嫌そうにそっぽを向くミリアの姿が見えた。
「ねえ、アレルは何をしてたの?」
「ん? あ〜、色々と始める前に少し注意事項をな。······それより、瑠璃はそっちか?」
暗殺者の話など聞かせたくないアレルは、アリシアが肩から下げている小物入れを指差しながら訊ねる。すると、アリシアが小物入れの覆いを開けた隙間から瑠璃が顔を出す。
──主様、ルリはここにいますよ。
小物入れを買う時もアレルは思ったのだが、つくづく瑠璃は蝶ではなくて妖精なのだなと改めて思う。いくら寝床として整えたとはいえ、小物入れの中はそこまで広くないので普通の蝶ならば翅がボロボロになりかねない。
しかし、瑠璃はそんなのお構い無しに自由に出入り出来る程に丈夫な羽を持っている。そもそも、蜂蜜水を直接飲めてる時点で妖精以外の何者でもないんだけどと、アレルは心の中で付け加える。
──どうかしましたか?
ただ、そんな事を思っていたのを不思議に感じたのか、瑠璃はアレルへ声を伝えてくる。
「いや、何でもないよ。アンネの事よろしくな、瑠璃」
──はい、お任せ下さい!
瑠璃はそう言うと、張り切って警戒する為かシュッと小物入れの中へと戻る。しかし、目の前のアリシアからは、何故か不満そうな視線をアレルは貰ってしまう。
「えっ······と、どうした?」
「······そういう言われ方だと、私が子供みたいじゃない」
「いや、そういうつもりで言った訳じゃ······」
何故か、アリシアは子供扱いされるのを嫌う。だが、一行の中で一番年下なのは確かなのだから、ある程度は仕方ないと受け入れて欲しいとアレルは思う。
だが、そこでアレルが困っていると近くのロバートが助け舟を出してくれる。
「アンネ様、本日は町の中も守備隊の目が行き届いております。お日柄も良いので、存分にお楽しみになれると思います。ですので、その様なお顔で時間を無駄になさらず、お早めにお出掛けなさる事をお勧め致します」
「は······はい」
ササッと、ロバートの声掛けに対してアリシアはアレルの影に隠れながら応える。アレルは、そんなアリシアにそこまでロバートの事が苦手かと思うも、ロバートの方もアリシアに苦手意識を持たれてるのを自覚してやってるから手に負えないと擁護を放棄する。
ただ、ロバートがわざわざ町中の安全を保証するみたいな発言をしてきたので、何か裏付けがあるのだろうと思ったアレルは、可能な限り穏やかな笑顔をアリシアへ向ける。
「ほら、ロバートもああ言ってるし、楽しんでこいよ。······なんなら、ミリア一人を迷路の中に放り込んで放置するなんてのもオススメだ」
しかし、最後は小声でいたずらっぽくアレルは笑って見せる。それに、調子を取り戻したのか、アリシアは僅かに片頬を膨らませる。
「そんな事したら、ミ······クリスが可哀想でしょ? もうッ、アレルはいつもそうなんだからっ」
「はいはい、これからは気を付けるよ。それより、早く行かないと楽しむ時間が減るぞ」
「むぅ〜、じゃあ続きは私が帰ってからだからね」
アリシアは、それだけ言い残すとアレルへ背中を向けて、メリルとミリアの待つ通用口へ小走りで駆けていく。その背中を見送るアレルだったが、二人と一緒に姿が見えなくなる直前に振り返って軽く手を振るアリシアに、アレルは自らも軽く手を振って返す。
そうして、アリシアを見送ったアレルだったが、不意にロバートから声を掛けられる。
「随分と、懐かれておいでですね」
「いや、そこは信頼されてるとかって言えよ。それより、ほら······忘れないうちに返しとく」
そう言って、アレルはアリシアから渡されたハンカチとサイドポシェットに入れてあった新品のハンカチを合わせて、ロバートに差し出す。それを、ロバートは受け取りつつもアレルへ小言を言ってくる。
「わざわざ新品などを添えずとも、そのまま返して下さってよろしいものを」
「うるせえな、一応の礼儀みたいなもんだろ! ······それより、さっきのアリシアへ言った言葉はどういう意味なんだ?」
「実は、昨晩のうちに周辺の黒羽根に連絡を取って町の警備に当たらせて御座います。本来は、アレル様に気負わず休んで頂く為ではありましたが、思い掛けず役に立ちましたね」
「そういう事か」
つまりは、元より守備隊など当てにはしておらず、黒羽根達が目を光らせているから何かあれば即座に動くとの事らしいとアレルは理解する。その事に、やれやれとアレルは肩を竦めるのであった。




