一章〜出逢い〜 四話 少女の頼み
「······あまり、いい気分はしないな」
青年は、ピクリとも動かなくなった影狼を見下ろして呟く。
その直後、影狼の絶命が確認出来た途端に、青年は身体から勝手に力が抜けてその場にへたり込む。
それは、当然のことだった
。
今回は、青年にとって初めての、本当の殺し合いだったのだ。肉体的な疲労は勿論、緊張の糸が切れた事による、精神的なものが青年を脱力させた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、何とかな」
駆け寄るアリシアに、青年は片手をブラブラと振って答える。
──カラン
アリシアが、青年の肩にそっと触れた瞬間、影狼の肉体に刺さったままだった騎士剣か抜け落ちる。
そして、影狼の肉体はズブズブと溶けていくみたいに、その骨だけを残して地面へと消えていった。
「なあ、ここら辺りの狼って、あんな魔法みたいのを使うのが普通なのか?」
「いえ······その」
青年は、どこか歯切れの悪いアリシアに、ジト目を向ける。
(······おい、まさかとは思うけど、嘘だったのか? 最初にも、嘘を吐かれたし······疑って掛かった方が良さそうだな)
青年が、そんな事を思っていると、隣で申し訳無さそうにしていたアリシアが、凄い勢いで頭を下げる。
「申し訳ありませんでした!! 私が、見間違いをしていました」
「はぁ?」
その謝罪に、青年は自分の耳を疑う。
「どういう事なんだ?」
「えっと、それは今あなたが倒したのは影狼ではなく、魔法も使える影獣〈シャドウビースト〉の方だったのです」
そう言って、本当に申し訳無さそうに小さくなるアリシアに、気が引けるが青年は訊くべきを問う。
「参考までに、何で間違ったんだ?」
「それは······影獣は影狼の上位種にあたり、影狼から進化するものもいるから注意する様にと、教わっていたのですが······」
そうして、弁明するアリシアは、まるで花が萎れていくみたいに、次第に俯いていく。
「じゃあ、見た目には判りづらいんだな?」
「はい。それに、影獣に遭った時はすぐに逃げるようにと、
ミリアに言われていたのです。······あの、私の不注意で危険な事をやらせてしまって、本当にすみませんでした。その、お詫びという訳ではありませんが
──」
アリシアは、そう言いながら青年の傷口に手を伸ばす。
「《光よ、この者の傷を癒やし給え》」
アリシアが、青年には理解出来ない言葉を呟くと、その手に柔らかで暖かな光を宿して、青年の傷口に触れる。
すると、青年の傷口は痛みが和らぐのと共に、その傷が塞がっていく。
「これは?」
「私が、使える魔法です。今は、これぐらいの事しか出来ませんので」
「いや、謙遜する事じゃないだろ」
「いえ、私の魔法よりも、メリルのものの方が効果は上ですから」
そうは言うものの、魔法なんて初めての青年には、アリシアが使う魔法ですら充分凄く感じた。
そうして、傷口が完全に塞がるのと同時に、青年はその場で立ち上がる。
それから、青年は屈んだままのアリシアに手を差し伸べる。
「あっ······ありがとうございます」
「いや、こっちこそ礼を言うよ。傷を治してくれて、ありがとう」
青年は、そうしてアリシアを立ち上がらせると、改めて左足で何度か地面を踏みつける。
すると、アリシアが青年の顔を覗き込む。
「痛みますか?」
「いや、全然痛みは無いよ」
「そうですか」
フード越しで、青年から表情は判らないが、アリシアの口元が微笑んだのだけが見える。
すると、青年はアリシアから視線を移し、白目を剥いたまま失神している鎧男に近づいていく。
「何か、なさるのですか?」
「ん? ああ、少しな」
アリシアに、生返事をしながら、青年は鎧男の腰にある道具入れ──サイドポシェットの様なものをガサゴソと物色する。
そうやって、青年は目当ての物を手探りで探す。
そして、青年はその道具入れから一本の丈夫そうなロープを取り出す。
それから、鞘ごと帯剣ベルトとサイドポシェットを鎧男から外し、足で雑に鎧男をうつ伏せにすると、手にしたロープで鎧男を後ろ手に縛り上げる。それで、余分が出たロープは、騎士剣を拾ってから剣で切り、サイドポシェットへとしまう。
最後に、青年は騎士剣を鞘に納めて、帯剣ベルトを使って自身に装備する。
「まあ、こんなものか」
そう言って青年は、これで終わりといった感じで、まるで埃を払うみたいに両手を叩く。
その一連の行動に、アリシアは首を傾げる。
「えっ······と、あなたは一体何を?」
「一応、追われていたんだろ? だったら、縛っておいた方が安心出来るだろ。······まあ、剣と装備は、ワンコから助けたのと殺さず見逃す代わりの駄賃だな」
青年は、話しながらサイドポシェットを物色して、金子袋を取り出す。
意外な事に、袋はずっしりしていて、それなりの硬貨が詰まっている事が判る。
青年は、真面目に貯め込んでいた鎧男に対し、素直に手を合わせて金子袋をちゃっかりサイドポシェットごと頂く。
しかし、その様子を見ていたアリシアが、咎める様な眼差しを向けてくる。
「あの、何故そんな事をするのですか?」
言葉遣いや仕草から、かなり育ちが良いのだろう。そんなアリシアには、盗賊紛いな青年の行動が理解出来ない。
それに対し、青年はやれやれと肩を竦める。
「コイツ、目を覚ましたら、またアンタの事を追い掛け回すだろ? その時に、装備もなし、金もなしじゃ、拠点なりなんなりに帰るしかなくなる。そうすれば、アンタもその分遠くに逃げられるだろ?」
「私の為······なのですか?」
「·······正直に言えば、そっちは建前で、コイツの装備を奪わないと、記憶喪失の上に何の装備も無しで、野垂れ死ぬのが目に見えているからな」
青年は、自身が置かれた状況から、仕方なくといった感じで話す。
ただ、青年はこうも思う。
最初、激昂して抜き身の騎士剣を向けてきた時点で、鎧男は殺されても文句は言えなかった。それを、これぐらいで済ませるのも大分甘いのではないかと。
本来なら、鎧すらも剥ぎ盗った上で両足も縛り、肉食動物の餌コース。もしくは、後腐れなくこの場で殺すのが、変な恨みを買わずに済む方法だろう。
しかし、そこまで非情になれない自分は、やはり甘いなと青年は感じる。
「さて······それじゃ、俺はコルト? に向かわせてもらうけど、いいか?」
さも、自分の役目は終わりだと、先に進む前に一応アリシアに確認する青年。
対して、アリシアは急に判断を求められた事で動揺する。
「えっ!? は、はい、それはあなたの自由ですが······でも、その──」
「何か、問題でもあるのか?」
戸惑うアリシアに、青年は話しやすくなる様に、出来るだけ穏やかに問い返す。
青年には、このままアリシアを無視して進む選択肢もあった。しかし、それを選ぶ事はしなかった。
騎士に追われ、逆賊と罵られながらも、その相手から必要な道具を拝借する青年に咎めるような視線を送る。そんな、善人丸出しの、それでも素性は明かせない不思議な少女。
記憶喪失で、こんな面倒事の気配しかしないアリシアと関わるのは、青年にとっては危険でしかない。
しかし、どこか危なっかしいアリシアを、青年はこのまま放っておく事が出来なかった。
すると、そんな青年の心なんてつゆ知らず、アリシアは躊躇いがちに青年の顔色をうかがう。
「······あの、最初にも言ったと思うのですが······私達を助けて頂けませんか?」
青年の顔色を見ながら、アリシアはまるで神に祈りでも捧げるみたいに、両手を胸の前で組んで懇願する。
それに、青年は『達』という言葉が殊更が気になってしまう。先程のアリシアの話から、ミリアとメリルという人物の名前があった。
つまり、この二人がアリシアの同行者と仮定すると、アリシアの願いを聞き入れた場合、青年は最低でもアリシアを含めて三人を助ける事になる。
その事に、自身の実力も不確かな青年は、渋い表情を浮かべる。