一章〜非望〜 三百九十九話 新たな懸念
『蜃気楼』、その名を初めて聞いたのはロナからだった。不可視の術を用いて、手斧と暗器を巧みに使いこなすロナとダニーの二人でも梃子摺る凄腕の暗殺者。
正直、ロナとダニーの二人がどれ程の強さだったのかは知らない。それでも、買い物の際に目の当たりにしたロナの速さとダニーの怪力は、真っ向勝負だけは避けたいと思えるものだった。
そんなロナとダニーを相手に、真っ向から善戦出来る程の戦闘技術を持っている上に姿まで消す事が出来る正体不明の暗殺者。その情報が聞けるとなったアレルは、何故か妙な緊張感で口の中が渇く感覚を覚える。
「では、アレル様よろしいでしょうか?」
そんな、アレルの様子を気遣ってか、ロバートは話し始める前に確認を取ってくれる。アレルは、それに一度深呼吸で自身を落ち着けてから首を縦に振る。
「頼む」
「はい、畏まりました」
アレルの返事に、恭しく頭を下げたロバートは顔を上げるとスゥッと軽く息を吸う。
「では、まず最初に······残念な事ですが、商会の力を以てしても蜃気楼なる者の素性を暴く事は叶いませんでした。なので、調査方法を改め過去の暗殺と思わしき事例を全て洗い出し、そこから蜃気楼の起こしたものだと判断出来るものを探したそうです」
「いや、この数日でなんて手間の掛かる事してんだよ」
「その様な事はありません。そもそも、最初に素性を調べ上げる事が出来なかった時点で、羽根の面目は丸潰れで御座いますからね。おそらく、無能の誹りを受けたくないからと躍起になって調べ上げたのでしょう」
全く嘆かわしい、と呟くロバートはその体たらくを罵る。ただ、それに関してアレルはロバートの要求が高過ぎなのではないかと思う。
しかし、このままだとロバートによるダメ出しが始まりそうだったので、アレルは話を戻しに掛かる。
「それで、調査の結果はどうだったんだ?」
「まずは、蜃気楼が暗殺を行っている地域の特定が出来ました。基本的に、帝国とルクスタニアの二国間で仕事を請け負っているそうです」
「いや、ちょっと待ってくれ。それって、凄く効率が悪くないか?」
「ええ、とても悪う御座います。それというのも、ルクスタニア北側にある大山脈は大陸の北側を分断してますし、帝国のある大陸西側へ行くにはティエルナを通らねばいけません。まあ、昔はこちらから大陸北側へ行く時は海を経由するか西側を陸路で迂回するかでしたのですから、それを踏まえれば東西の移動などはまだ良い方かとも思えますが」
「面倒な地形してるよな」
その一言が、何故かロバートの説明欲を刺激して、余計な知識が披露される。
「その地形も、大昔に神々の争いがあった頃、他の神から奪った土地を無理矢理自身の土地に繋げた神がいらっしゃったそうで、その際に互いの土地のぶつかりが大山脈を作ったと言われています。更に言えば、その時代では公国の辺りも大山脈形成の折に出来た大河の底だったそうで、その大河が山を削って出来た渓谷が現在のティエルナ辺りの土地だとも言われています」
「じゃあ、その大河の名残が今の国境の川か。でも、地図を見るとティエルナ周辺も小さな山みたいになっているよな?」
「それは、ティエルナ教の教典の中で語られています。今からおよそ五千年前の頃の話で、教典内ではある日ティエルナ周辺に天から山が降ってきたと書いて御座います。中でも、ティエルナ教の御神体とされる御山からは、未来について書かれた書物が見つかったとされています。その書物は、教団内でも一部の者しか目に出来ないとされ、今ではティエルナ神降臨の証拠とされております」
その話を聞いて、アレルは大陸形成について少し考えを纏め始める。
(確か、プレートテクトニクス論だと大陸プレート同士のぶつかり合いで山や山脈が出来たはずだから、ルクスタニア北の大山脈はそれで説明が出来る。でも、ティエルナ周辺の話は完全にファンタジーだな。······山が降ってきたって、浮遊大陸でもあったのか? いや、それよりも今は蜃気楼の事だ)
色々と考えたアレルではあったが、現状で大陸の成り立ちなんてどうでも良く、より重大な蜃気楼の話に戻すべきだと頭を切り替える。
「なあ、脱線のきっかけを作ったのは俺だけど、そろそろ話を戻してくれないか?」
「ええ、では地形の話はまた後ほどに致しましょう」
その言葉に、アレルはどんだけ地形の話が好きなんだよと、心の中でツッコミを入れる。ただ、そんな事を知らないロバートは咳払いを一つしてから話を戻す。
「さて、移動が非効率という話でしたね。ところが、商会の記録を調べるとルクスタニア側で行われた暗殺は、実のところ全てここ六年程で行われているものなので御座います。それ以前の暗殺は、全てが帝国で行われているのにも関わらず、六年前からルクスタニアでも依頼を請け負う様になった。······アレル様、ここから何か考えられますか?」
「んなもん、六年前に何かがあったって考えるのが普通だろ? ······でも、両国間を行ったり来たりするなら手間なんかも単純に二倍以上だよな。何で、そんな事を始めたんだ?」
首を傾げるアレルの言葉に、ロバートはそれを待っていたとばかりに笑みを深める。
「これは、話を聞いた私の推測では御座いますが、蜃気楼なる者は個人ではなく複数人、もしくは集団を形成している可能性が御座います」
「複数人······確かに、それなら話の辻褄が合うな」
「実は、商会からの情報にはもう一つ御座いまして、蜃気楼には仕事のやり方に二通りのやり方があるのです。まず、ルクスタニアで良く見られるのが、標的だけを殺して速やかに去っていくやり方。もう一つが、帝国側に多い標的の遺体を損壊させた上で、標的の護衛を務める者を一人攫うというやり方で御座います」
そのやり方の違いを聞いて、アレルはロナ達から聞いた話の印象だと、ロナ達がやり合ったのは前者の方な感じがした。しかし、ロナ達がやり合ったのは帝国での事である訳で、話に矛盾が生じてしまう。
一体、どういう訳なんだとアレルが悩んでいると、そこにロバートから更に情報が与えられる。
「アレル様、お悩みの様に見えますね。もしかすると、それを解決出来るかもしれない話が御座いますが、どうなされますか?」
「聞かせてくれ」
「はい、これは報告を聞いた私の推測ですが、蜃気楼が二人いると仮定して暗殺を時系列で追うと見えてくるものが御座います。仮に、ルクスタニアの者を前者と、帝国の者を後者と呼びましょうか。まずは後者の方ですが、こちらが一度暗殺を請け負うとその後数ヶ月の間足取りが途絶えます。その間の暗殺依頼に対しては、前者が請け負っていて、仕事のやり方から見てもそれは間違いないでしょう。この後者がいない間は、前者が帝国側の暗殺も担っていると思われます。······一応、両国間の移動日数なども緻密に計算して単独である事を装ってはいますが、仕事のやり方の違いが誤算でしたね」
ロバートの話から、それがほぼ間違ってはいないだろうとアレルは感じる。それならば、ロナ達が昔遭遇したのは後者が雲隠れしている間の前者という事で矛盾は無くなる。
だが、そこでアレルは蜃気楼が女であるというロナの言葉を思い出す。女で、二人の暗殺者。何故なのだろうか、それでアレルは妙な胸騒ぎから不安を口にする。
「なあ、もしかしてタチアナが蜃気楼の片割れなんて事は無いよな?」
しかし、口にして即座にそれは無いかとアレルは思い直す。タチアナの身のこなしは、暗殺者のそれではない。それを確信させてくれるみたいに、呆れ顔のロバートが深いため息を返してくれる。
アレルは、蜃気楼が二人以上いるという衝撃で煽られた不安のせいか、頭の回転がいつもより鈍っている事を自覚するのであった。




