一章〜非望〜 三百九十八話 届く情報
メリル達の部屋を後にしたアレルは、さっさとやるべき事を済ましてしまおうと厨房へ急ぐ。ただ、またもジェームスに捕まると厄介だなと思いつつ階段を下りて厨房の方へ向かうと、反対に厨房からこちらへ向かってくるタチアナにアレルは遭遇する。
話を聞くと、やはりジェームスがアレルのおかわりを怪しんでおり、厨房へ足を踏み入れれば問い質されるだろうとの事だった。そんなジェームスの暴挙を止める為、タチアナはわざわざ厨房から食器の回収に出向いてくれたという訳らしい。なので、アレルはタチアナの厚意に甘えて食器を預けるのと一緒に感謝を伝え、ジェームスに勘付かれる前に厨房へ続く廊下から退散した。
そんなこんなで、アレルは中庭へ出る為にカウンターの前を通るとクラウスに声を掛けられる。
「あっ、お客様、少々よろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
クラウスの呼びかけに、話を聞こうとアレルは足を止める。
「あの、昼食後から弟が中庭で何やら準備をしている様子なのですが、お客様の頼みというのは本当なのでしょうか?」
クラウスの言葉から察するに、兄のクラウスを鬱陶しく思ってるロバートが碌な説明もせずに約束の準備をし始めたのだろうとアレルは思う。その行動に、一応は兄の経営する宿なんだから説明ぐらいはしろと、アレルは心の中でロバートに文句を言う。
「悪い、本当だ。昨日、報奨として投げナイフを貰ったから、その扱いを教えて欲しいって頼んでいたんだ。変に気を揉ませて、すまなかった」
「はあ、それならば良いのですが······弟は、昔から私の事など構わずに好き勝手やるので」
「······ああ」
クラウスのボヤキに、なんと返せば良いか判らないアレルは適当な相槌を返す。ただ、そこにはロバートのクラウスに対する甘えもある様な気がアレルにはしている。
たぶん、ロバートは説明しても説明せずとも、結果的には自分の意思を押し通すから変わらないと思ってクラウスへの説明を省くのだろう。しかし、そこにはクラウスならばロバートの行動を最終的には許してくれるだろうという、ロバートの甘えが存在している。もし、これがクラウスではなく他者であった場合、ロバートは金銭の授受などの交渉や取引を惜しまないだろう。
そう思うアレルは、口ではなんと言ってもロバートにとってクラウスは兄以外の何物でもないのだろうと、内心少しだけ安心する。
「あの様な弟ですが、私にとっては家族なのです。どうか、よろしくお願いします」
クラウスはそう言って、ロバートの事を考えていたアレルに対して深々と頭を下げる。ただ、何故かこの場限りではない様な頼み方に、アレルは少々疑問を抱く。
「いや、それは構わないんだけど······流石に、この先の事までは判らないって」
アレルの返事に、頭を上げたクラウスは少し神妙な面持ちで話し始める。
「······今の弟の様子は、二十年以上前にある方についていく為に家を飛び出した頃と重なるのです。まあ、あの頃の様に無謀な事はしないと思いますが、もし今後も弟がお客様と関わるのであればという話です」
「そういう事なら、こっちこそそう願いたいと思ってる。でも、本人からしばらくここを離れるつもりがない事も聞いてる。だから、ここで頼まれる程の関わりは持てないと思う」
「それでも、弟としては今後もお客様と関わるつもりだと思います。そうでなければ、弟が昨日の様に手を貸す事自体無かったはずですから。今も、お客様の為に積極的に何かを行っています。······お客様の目には、どう見えているか判りませんが、弟はああ見えて他者に興味が無いのです。だから、ああして人の為に動く事は本当に珍しいのですよ」
他者を見下しているとは、ロバート本人からアレルは聞いている。もしかしたら、クラウスもロバートから聞いた事があるのかもしれない。
ただ、そんなロバートが興味を示したのがディミトリスと自身だけだとしたなら、クラウスの心配する気持ちも解らなくはないとアレルは感じる。それならば、ここで曖昧な返事をしてクラウスの心配事を増やすのも嫌だと感じたアレルは、笑みを浮かべて胸を叩く。
「そういう事なら、任せてくれ。少なくとも、俺に関わってる時ぐらいは心配させないようにするから」
「そうですか······ありがとうございます」
クラウスは、くれぐれもお願いしますと付け加えて再び深々と頭を下げる。そんなクラウスに、軽く返事を返したアレルは今度こそ中庭へと足を向ける。
そうして、中庭への通用口を抜けたアレルは、積み重なった木箱や的の描かれた板を目にする。それも一つや二つではなく、各所に疎らに配置されてる上に高さや角度までもがそれぞれで違っている。おそらく、それでナイフ投げの感覚を掴ませようとロバートが考えているのだろうとアレルは考える。
そこへ、不意にアレルは声を掛けられる。
「アレル様、割とお早い到着でしたね」
「うぉ!?」
全く気配を感じさせず、背後のやや斜め後ろから声を掛けられたアレルは、意図せず変な声を上げてしまう。その反応に、ロバートはあからさまに呆れた態度でため息を吐く。
「何を驚いていらっしゃるのですか。私がここにいるのは、兄から聞いていたのでは御座いませんか?」
「いや、聞いてはいたけど無理だろ······そんなのに気付くのは」
それでも、警戒していたなら気付けた可能性ぐらいはある。しかし、今のアレルはほぼ無警戒に近い状態にある為、普通の人の気配にも疎くなっている。
それ故に、只人ではないロバートの、それも背後からの気配に気付けというのはどだい無理な話だった。
「まあ、それはさて置き······アレル様、こちらはどうなさいますか?」
そう言って、ロバートが差し出してきたのは弾倉帯の様に四本の投げナイフを連ねたものだった。その形状から、サムブラウンベルトの様に肩掛けのあるアレルの帯剣ベルトの、右肩から左腰にかけての部分に固定出来そうだった。
なので、アレルは投げナイフ帯とも呼ぶべきものをロバートから受け取り、帯剣ベルトの肩掛けの部分に固定する。その際、柄の方を左手側に向けて固定したので、アレルはおもむろにナイフの一本を左手で抜いてみる。
抜いてみて判ったのだが、滑り落ちないよう鍔の無いナイフを支えるみたいに、弁の様なものが鞘となる部分には付けられていた。その材質は柔らかくも、ナイフの重さでは動く事がなく、引けば簡単に抜けてナイフを押し込むと弁が返ってナイフを支える。
「随分と、勝手が良いな」
その使用感に、アレルは思わず声を漏らす。それに、ロバートはニヤリと満足そうな笑みを浮かべる。
「それは、私が一番苦心したところで御座いますからね」
「いや、お前が作ったのかよ!?」
レザージャケットの補修といい、ロバートには本当に出来ない事の方が少ないみたいだった。ただ、そんなアレルのツッコミをものともしないロバートは、何食わぬ顔で話を続ける。
「あと、ナイフに関しては商会にて同様の物の取り扱いが御座いました。もし、紛失や予備の物をお求めなら商会の方へご一報下さい」
ロバートがそう言うのも、投げナイフも紐を付けて投げる訳ではないので、回収が難しい場合の事を言っているのだろう。つまる所、ナイフ自体は貴重なものではないから無理に回収しようなどと考えるなと、ロバートは暗に言っている。
そんなロバートに対して、解ったから早いとこ投げナイフの扱いを教えてくれとアレルは思う。しかし、次にロバートが口にした事によりアレルは緩んでいた気を引き締める。
「アレル様、投擲術の手解きの前にご報告が御座います。商会から、『蜃気楼』についての情報が届いています」
その言葉に、コルトにてパメラが調べておくと言っていたのをアレルは思い出す。そして、目下最大の懸念と言っても過言でない相手の情報という事で、アレルの緊張感は否応なしに高められる。




