一章〜拠り所〜 二百九十一話 用意された楔
ロバートとラルフが、二人で協力しながら魔神のアンデッドをアレルから引き離す中、一人残されたアレルの耳にはとある人物の声が届く。
『お若いの、先程は取り乱してすまぬな。小さいお嬢さんのお陰で、またこうして話す事が出来る様になりましたわ』
「その声、伝承語りの爺さんか? てか、瑠璃のお陰?」
アレルは、長剣を支えに片膝をつく様な体勢になりつつ周囲を見渡すが、老人の姿は見当たらない。
『ええ、あのお嬢さんは随分と希有な······いや、それはどちらかと言えばこんな状態の私の声が届くお若いのの方ですかな? 申し訳ないが、訳あって姿を見せる程の事までは出来んのです。それより、何かお困りではないのかね?』
「あの、アンタが魔神って呼んでいたアンデッドを、動かしている死霊術の楔になっている部分が判らなくてな」
時間的にも、体力的な面でも、余裕がないアレルは率直に現在の問題を幽霊の老人に話す。すると、しばしの間の後幽霊の老人はアレルの問に答えを返す。
『魔神様の······いえ、アンデッドの体を良く見てみて下され。何か、変な所は御座いませんかな』
そう言われ、アレルはロバートとラルフが戦う魔神のアンデッドを観察してみる。
夜闇の中、町の外壁に掲げられた篝火からの明かりのみを頼りに見ると、魔神のアンデッドの体は徐々に爛れる部分が多くなってきている。ただ、未だに腐り落ちるまでには至っておらず、骨の露出した部分にもそれらしき物は何も見えはしない。
しかし、その全体を俯瞰で観察してみると、一つだけおかしな部分にアレルは気が付く。
「頭部だけ、腐乱が進んでない!?」
『その通りです。体の方は、当時討伐された時点で処分されてます。しかし、あの頭部の骨だけは、討伐者が討伐の証として王国の王都へと献上された物です。なので、お若いのが言う楔とは頭部なのではありませんかな?』
そこで、アレルはラルフから聞いた話と幽霊の老人の話を合わせる事で、ようやく合点がいく。
ラルフの話だけでは、王都から運ばれた布を巻かれた何かとは、運びやすい手荷物程度の大きさだとアレルは思い込んでいた。だが、それが討伐された魔神の頭部だったとすれば、全ての辻褄が合ってくる。
ビットーリオに反意的なラルフがいる事、後詰めの部隊が来ない事、今回の人員がラルフ以外全て切り捨て可能な傭兵であった事。その全てが、ラルフ率いる部隊を生贄に魔神のアンデッドを呼び出し、シープヒルや他の町々すらも壊滅させた上であわよくば辺境伯までも殺害しようという策略で、一本の線として繋がってしまう。
(いや、でも少しおかしな点がある)
そう、それは今回の計画の要となる魔神の頭部の所在を、比較的新しい家だと聞くビットーリオが何故その存在を知っていたかだ。
アレルが聞いた話では、ビットーリオは内政で功績を上げて今の地位を築き上げたと聞いている。そうなると、重宝されるのは戦時ではなく平時となるはずなので、ビットーリオが台頭してきたのは百年前に停戦状態になった亜人戦争以降だと考えられる。
だが、そうなるとビットーリオがどこでいつのタイミングで魔神の頭部が献上されていると知ったのかが問題となる。勿論、今を生きる人間であるビットーリオが二百年前にいたはずはない。そして、あくまでも献上品とするならば、その保管は王城にてされていたと思われるが、伝承を聞いた時のアリシアの反応からそれが王城にあるとはアリシアも知らなかったと考えられる。つまり、次期女王のアリシアにすら伝えられていないという事は、既に公的文献からは魔神信仰の件は抹消されている事が判る。
そうなると、魔神の頭部は王城の中でも人の目に触れない場所で放置されていた可能性が出てくる。それ故に、そんな物をわざわざ引っ張り出すには、元から魔神の頭部が王城にある事を知っている必要があると、アレルは考える。
(二百年も昔の事だ、そんなの知っている奴なんているのか? いや、でも······偶然発見して······は違うな。それだと、魔神の頭部が今まで見つからなかった前提が崩れる)
そんな事まで考えてしまったアレルに、幽霊の老人が声を掛ける。
『お力になれましたかな?』
「あっ、ああ。ありがとう、これで何とかなりそうだ」
『それなら、無理して出張ってきた甲斐もありましたな。では、身勝手ながらお若いのに全てを任せましたぞ。魔神と······の、因縁を······下され。······したぞ』
言いながら、幽霊の老人の声は徐々に掠れて聞こえなくなってしまう。ただ、アレルにはその最後の言葉が何を言っているのかが判った。
(魔神と集落との因縁を絶ち切って下され。頼みましたぞ、か。たぶん、それをやり通したところで爺さんが還るべき場所に還れるとは限らない。それでも、どのみちアイツは倒さなきゃならないんだ。やってやるよ)
そう思うとアレルは、ひとまず今回の黒幕の事を考えるのは後にして、幽霊の老人がくれた助言をどうやってロバート達に伝えるかを悩む。
下手に声を掛けると、二人の意識を削いで危険に晒してしまう可能性がある。現在、それ程までにロバートもラルフも集中して戦っている。
ただ、そうして手をこまねいているアレルの前に、三度紫色の煙が実体を作る。
「またかよ、しつけえなッ!」
アレルは、長剣を支えにしながら右足を軸に立ち上がり、姿を現した隷属山羊に対して長剣を構える。
「アレル様ァ! 今、そちらに行きますので耐えて下さい!」
「来なくていい! それより、頭だッ! ソイツの頭だけ腐乱が遅いから、そこが楔だッ!」
アレルは、新たに四匹出現した隷属山羊に気付いたロバートの助力を断り、これ幸いと魔神のアンデッドの楔となっている頭部を狙えと指示する。それに、ロバートは何か言いたげに表情を歪めるが、何も言わずにそのまま魔神のアンデッドへと蹴りを繰り出す。
それを横目に、アレルはいい加減嫌になってきた隷属山羊との戦闘へ入る。しかし、ただ立っているだけでも、左足と右の肋が痛みを伝えてくる。それ故に、アレルは自ら動く事無く隷属山羊の攻撃を待つ。
そこへ、一匹の隷属山羊がアレルに突進を仕掛けてくる。それに、アレルは長剣の突きを合わせて仕留める。
「クッ······!?」
最小限の動きに留めても、アレルの身体はこれ以上動くなと痛みを強めて訴えてくる。その痛みに、アレルは思わず左手を柄から離して右の肋を抑えてしまう。
そこへ、今度は二匹の隷属山羊が突進してくるも、痛みに耐えていたアレルは反応が遅れる。
「それでもッ!!」
アレルは、近くまで来た隷属山羊の顔面を迎撃の間に合わない長剣ではなくそれを握る右手で殴りつけ、たたらを踏んで突進を止めた隷属山羊を後続の隷属山羊との間に入れる様に動いて後続の隷属山羊の頭突きを防ぐ。
しかし、出来たのはそこまでで、限界を迎えたアレルは遂に片膝をついてしまう。ただ、それだけで終わらせる訳にはいかないアレルは、自身から重なって見える二匹の隷属山羊を纏めて串刺しにするみたいに、その首を長剣で突き刺す。
ただ、それだけでは仕留める事は出来ずに、二匹の隷属山羊は長剣を抜こうと暴れまくる。その足掻きは、少なくともアレルの負傷を刺激して苦しませてくる。
そうして、しばらくは粘ったアレルだったが、程なく限界を迎えたアレルは長剣から手を離しそうになる。
「クソ······がッ」
だが、その間際に鋭い剣閃が二度程奔る。
「大丈夫か、アレル君?」
その声が聞こえると、長剣で刺し貫かれていた二匹の隷属山羊は霧散して、顔を上げたアレルの前にはラルフが立っていた。
「何でこっちに?」
「奴の骨は硬い。俺一人では、何度斬り掛かれば良いか判らない。ロバート殿も、同様の考えで君の助力を求めている。······まだ、戦えるか?」
「それ、無理だって言えば休ませてもらえるのか?」
アレルがそう訊き返す間に、ラルフは最後の隷属山羊を始末する。そして、そんなラルフはアレルに振り返ると苦笑いを浮かべる。
「出来ないだろうな」
「じゃあ、訊くなよ」
アレルは、ラルフの返事に軽口で応えると、ラルフが差し出した手を取り立ち上がる。
そうして、二人でロバートが相手をしている魔神のアンデッドを睨むのであった。




