一章〜拠り所〜 二百二十九話 全てが解消した訳ではないけれど
アリシアは、ベッドに腰掛けて準備をする訳でもなく、おもむろにサイドテーブルのぬいぐるみに手を伸ばす。そうして、まるで自身を落ち着けるみたいにしてぬいぐるみを撫でるアリシアに、アレルは装備を身に着けながらどうすべきか考える。
(別に、このままでもアリシアは自分で立ち直るとは思う。でも、なんか任せっきりにするのも無責任の様に感じるんだよな)
そう思ったアレルは、思い切ってアリシアに声を掛ける事にした。
「なあアリシア、なんか不安とか迷いみたいなものを抱えているなら、話してみてくれないか? その、話したくなければ別に話さなくて良いんだけどさ」
そんなアレルの言葉に、アリシアはぬいぐるみを撫でる手を止めて顔を上げるも、直ぐに俯いてしまう。
「話して良いのかな? こんな、こんな······私のワガママを話して」
「話すだけなんだから、そこまで気にする必要はないだろ」
ぶっきらぼうに言うアレルに、アリシアは頑ななままに肩を僅かに震わせる。
「でも、ね······こんな気持ちを言葉にしちゃったら、嫌われるかもしれないって······怖いんだ」
言い終わりに、アリシアは心の内に抱えているものが不意に口から飛び出さない様にするみたいに、ギュッとぬいぐるみを抱き締めて口を噤む。対するアレルは、肩を竦めながらアリシアが重く受け止め過ぎない様に軽く話す。
「それぐらいで嫌いになんかならないよ。だって、人なんて表があれば裏があるのが普通で、どんなに親しい人にだって言えない事の一つや二つ誰にだってあるだろ。そういう部分を見せられたからって、それで嫌いになる奴なんて、勝手な理想を相手に押し付けておいて勝手に幻滅する様な奴だけだよ。それに俺だって、異世界人なんて裏の顔があった訳だし、アリシアと瑠璃に話せて楽になれた。だから、アリシアさえ良ければ、話してくれて構わない。俺は、ちゃんとありのままのアリシアを受け止めるからさ」
そこまで言ったアレルに、僅かにだが安堵したのか、アリシアは顔を上げてポツリポツリとその胸の内に秘めたものを吐露し始める。
「······あのね、実は今日起きる前から変な胸騒ぎを感じているの。何か、何かね、大切なものを全部根こそぎ踏み躙られそうな、そんな妙な存在が近くにある様な気がするの」
アレルは、アリシアの言葉によって厨房で聞いたタチアナの話を思い出す。まさかとは思うアレルだったが、偶然の一致だと聞き流せる様なものでもなかった。
「それでね、起きた時に、アレルはまだ寝ていたし······着替えたりして気を紛らわせたりしてたんだけど、やっぱり胸騒ぎが収まらなくて、その······寝ているアレルに、ね」
そこで、アリシアは言うべきか言わざるべきか、逡巡しているみたいにモジモジし始める。しかし、先程のアレルの言葉が後押しになったのか、決心した様に頷くと続きを話し始める。
「いけないとは、思ったんだよ。でも、なんかそのままだと胸騒ぎに押し潰されちゃいそうで······だから、その、少しだけ······少しだけ、アレルの隣で添い寝させてもらったの」
アリシアは、シュ〜っと頭から湯気を立ち昇らせる程に赤面すると、抱えていたぬいぐるみを盾にしてアレルの視線からその顔を隠す。
しかし、アレルは宣言通りそれをどうこう言う事もなく、ただその時のアリシアの心配をする。
「それで、胸騒ぎは収まったのか?」
「あっ、うん。でもね、その······今度は恥ずかしくなっちゃって、なんかバツが悪くて、直ぐにアレルの事を起こしちゃった」
「それが、今朝のか」
アレルは、起床時に感じたアリシアの違和感に対する答えを得る。しかし、そのまま黙るとアリシアを不安にさせると思ったアレルは続けて話す。
「まあ、それぐらいなら嫌いになるなんて事はないから、安心してくれ」
アレルはそう言うものの、アリシアの表情は晴れる事がなく、再びぬいぐるみを抱く腕に力が込められる。
「······私ね、やっぱり怖いの。近くにいる誰かが、いてくれる誰かが······私の前からいなくなるのが。さっきの······アレルは、冗談って言っていたけど、本当にアレルがいなくなっちゃったらどうしようって、怖くなって、不安で······朝の胸騒ぎもあって、自分ではどうしようもなくなっちゃったの。······ごめんね、嫌だよね。こんな、私みたいな······面倒な人」
そう言って、アリシアはぬいぐるみで顔を隠す様に俯いてしまう。
それに、安易過ぎてやりたくはないアレルだったが、他にアリシアの意識を自身に向けさせる方法が思い浮かばなかったので仕方無くアリシアに近づく。
そして、一度は手を伸ばすものの躊躇いからその手を止めたりしながら、結局アレルは伸ばした手でアリシアの頭をフード越しに優しく撫でる。
「アレル?」
「俺の気持ちを、勝手に決めないでくれよ。世の中には、面倒な事を好む変わった奴もいるんだからさ。······まあ、俺もそんなのの一人だなんて思ってなかったけど。でも、アリシアが面倒なのなんて、最初から判っていた事だし今更だろ? 騎士の格好した奴から逃げてる、フード姿の女なんてさ」
その、どこか馬鹿にした様なアレルの言葉に、顔を上げたアリシアはムッとする。
「それは······その通りだけど、言い方が意地悪だよ」
「でも、少しは元気出たみたいじゃないか? 怖いなら怖いって言えば良い、面倒なのだってそれがアリシアなんだから良いじゃないか。俺も、それぐらいなんかでは、アリシアを嫌いになっていなくなったりしない。だから、アリシアはアリシアのままで良いんだよ」
アレルは、微笑みながらポンポンとアリシアの頭を撫でて、手を離そうとする。
しかし、その手はぬいぐるみから手を離したアリシアに掴まれる。そして、アリシアは掴んだアレルの手を両手で包んで、自身の胸元に引き寄せる。
「アリシア?」
「やっぱり、アレルって温かいね。······なんか、優しかった頃のお兄様に近い温かさを感じる」
そう言うと、アリシアはそのまま瞑目して動かなくなってしまう。
そんなアリシアの手は、アレルよりも冷たくなっていた事でアリシアの感じていた不安を推し量れたアレルは、変に反応する事なくアリシアが動くまでじっと待つ。
そして、段々と体温差が感じられなくなると、アリシアは目を開けてアレルの手を解放する。
「······アレル、ありがとう。まだ、少し不安だけど一応大丈夫だから、ね」
アリシアは、そう言ってアレルに対して微笑んでくる。それに、安堵したアレルもつられて微笑む。
「そうか、それなら準備して出掛けるか?」
「うん!」
何がどう大丈夫になったのか、アレルには解らない。ただ、伝えられる事は伝えたと思うアレルは、後の事はアリシアを信じて外套へと手を伸ばす。
すると、邪魔になると思ったのか、肩の瑠璃がアレルから離れてアリシアの方へと飛んでいく。
「ルリちゃんも、ありがとね」
──ルリは、何もしてませんよ?
瑠璃に、微笑みながら感謝を伝えるアリシアに通訳は無粋だと感じたアレルは、黙って外套を身に着けるのであった。




