一章〜拠り所〜 二十一話 資金調達
酷い食事を味わったアレルは思う。
風呂が命の洗濯ならば、食事は命の源だ。あんな食事では、自分の命が先細りするという危機感に晒されたアレルは、自身に課した枷が緩む。
可能な限り、異世界に元の世界のもので影響を与えない様にしようと考えていたアレルではあったが、食事に関してだけは我慢が出来そうになかった。
別に、全く無いものを創り出そうという訳ではない。
ただ、この世界に元からあるもので、自身の口に合うものを作る程度なら良いだろうと、アレルは断腸の思いで自らの枷を緩めた。
それはどこかで、影響し合うのが当たり前というメリルの言葉が、免罪符の様になっているのも関係しているのかもしれない。
「ハァ······さてと」
何故か、食事で気疲れさせられた上に、自身の覚悟すらも揺らぐ事になったアレルは、気を取り直して次の行動に移る。
(取り敢えず、必要物資の購入は宿が決まってからの方が良いし、その前にアリシア達が泊まる宿を探す必要もある。ただ、最初に資金調達の必要があるから、美術商を探すのが先かな)
そう決断したアレルは、そのまま商業区を散策する事にした。
商業区は、馬車を多用する者があまりいない北側居住区と違い、小さな路地はほとんどなく、ほぼ全ての道で馬車の利用が可能な道幅がある。
ただ、流石にその道幅は大通りに比べれば狭くなる。
そして、商業区には大きな店舗と中規模の店舗が各地に点在し、その隙間を埋める様に小さな店舗が建てられている。
しかし、店の大小が業績に反映されている訳ではなく、家具や馬車などの大物を扱う店は自然と敷地が広く、高級な美術品や装飾品を扱う店は警備のしやすさから小さな店舗となっていた。
(流石に賑わっているな。問屋なんかもあって、どちらかといえば住民向けではなく、商人や旅人向けの区画なのかもな)
文字が読めないアレルだが、外から見える店内の様子や、モチーフが描かれた看板とあわせて何の店かを判断していた。
その中で、アレルは目的の美術品を取り扱う店を見つける。
その店は、他に数軒ある美術商と比べ地味な店構えで、外から見える位置に美術品を置いていない、本当に美術商かどうかすら怪しい店だった。
(まさに、イメージ通りだな)
しかし、それはアレルが探し求めていた理想そのものだったので、アレルはその場で満足そうに頷く。
すると、アレルはポケットの財布から一枚のコインを取り出す。
それは、何を記念して造られたものかアレルは覚えていないが、細かな絵柄が描かれた記念コインだった。
何故か、財布の中には同じ様なコインが数枚入っており、片面に一本松、もう一方に折り鶴やハトの絵柄が描かれているものだった。
記憶喪失ながらも、アレルは自身の内に感じるものから、それはコレクション目的ではなく、何かの願掛けで持っていたものの様に感じた。
物悲しさに反骨心、それから何かを鼓舞するかの様な気持ち、そんな様々なものがコインを目にすると湧き上がってくる。
それにアレルは、例え失っても残るものもあるのだなと、少しだけ感傷に浸る。
そして、アレルはそんな記念コインの一枚を手にしたまま、美術商の店の入口をくぐる。
「店主、少し査定して貰いたいものがあるんだが」
「はい、品物はどちらでしょうか?」
店を入ってすぐ、アレルはカウンターの中にいた男に声を掛けた。
男は、細身だが派手ではない身なりの良い服装をしており、他に人がいない事からも男が店主だと一目で判る風貌だった。
そんな店主に、アレルはでっち上げの経緯を話す。
「返り討ちにした盗賊が持っていたものなんだが、金になるか?」
アレルは、そうして入手先を怪しまれない様に先手を打ちながら、手にしていた記念コインを店主の前に置く。
「ほう、これは!? ······一つだけお訊きしますが、何故ウチをお選びに?」
コインを見て、驚嘆の声を漏らした店主だったが、一転目付きを鋭くしてアレルに問い掛ける。
その様子は、まさしくアレルの受け答え次第で、店主の今後の対応が変わるであろう事が容易に解る程の緊張感を作り出していた。
しかし、アレルはお世辞や誤魔化しに逃げず、店主に不敵な笑みを返す。
「まず、無駄に派手な店構えの美術商は駄目だ。物の価値なんてろくすっぽ解らずに、綺羅びやかな物に高値をつける。······逆にここは地味だが、商品はカウンター奥で保管され、きちんと手入れされている。それは、価値の解らない客に無遠慮に触らせない様にする為と、商品それぞれに適した保存状態を保つ為だろ? そんな店だと思ったから、ここを選んだ」
「そうですか······では、アナタ様はこのコインが高値で売れるとお思いですか?」
「ああ、勿論」
アレルは、自信たっぷりに答える。
アレルは、この店に入るまでに銀貨と銅貨を使って気付いた事があった。
それは、銀貨も銅貨も大硬貨以外は真円ではなく角張った硬貨である事。加えて、表面には造られた国を示す紋章ぐらいしか刻まれていない、実用性のみを重視したものである事だった。
(この世界、おそらく鋳造技術が拙いか、技術があってもそれを硬貨の製造に使用していない可能性がある。だから、真円で細かな絵柄が描かれたコインは、美術的価値が高く評価されると推測出来る。······まあ、元の世界の物を売るのに抵抗はあるが、一点物になるし売却相手は貴族辺りだろう。広く知れ渡る事はないだろうし、何よりアリシア達を安全に目的地まで連れて行くのにも金が必要だ。背に腹は代えられない)
そんな事を考えるアレルの言葉に、店主は静かに瞑目する。そして、少しの後ゆっくりとその目を開ける。
「わかりました。······正直に申しますと、ワタシはこの様な品物を扱った経験がございません。ですから、ワタシには値段をおつけする事が出来ません」
その予想外な言葉に、アレルは一瞬面食らってしまい、僅かに言葉を失う。
「······そうか。出来れば、旅支度の為に直ぐに使える金が欲しかったんだけどな」
(まあ、そう上手くはいかないか。金に関しては、何か別の手段を考えるしかないか)
アレルは落胆しながらも、どこか元の世界のものを売らずに済んだ事で安堵しているところもあった。
そうして、長居するのも悪いと感じたアレルは、店から出る為にコインを返してもらおうと手を伸ばす。
しかし、アレルのそれよりも早く、店主が手を伸ばしコインを確保してしまう。
「金貨二十枚!」
「はい?」
「まずは、この場でお客様に金貨二十枚をお渡しします。ワタシは、この後直ぐに中央区の貴族様を相手に商談をしてきます。可能な限り高値で買って頂ける様に努めますので、売却額の三割を仲介手数料としてワタシが、残りから金貨二十枚を引いた金額を後日お客様にお渡しするというのは、どうでしょうか? 勿論、どのような結果になろうとも金貨二十枚は返さずとも結構です」
思いがけない店主の提案に、アレルは戸惑う。
「その提案は助かるが、売値が二十枚で損失なし。二十九枚で、ようやくそっちに三割の手数料が入る計算だろ?」
「ええ。ですが、交渉次第では金貨八枚以上がワタシに入ります。これは、ワタシにとっても儲ける良い機会です。先程も言いましたが、お客様に返金を求める事はしません。なので、ワタシに任せて頂けませんか?」
「いや、でも······」
アレルには、金貨の価値など判らないが、二十枚が相当な大金なのだけは解る。たかが記念コインに、そこまでの価値があるとも思えない。
それ故に、それを受け取る事に抵抗が生まれる。
「ご安心下さい。ワタシは、普段中央区内で商いをしておりまして、こちらの店はワタシ個人の息抜きでやってる店なのです。貴族様方への接客は、気を遣いますからね。まあ、そういう事情がありまして、中央区内に滞在中の貴族様の中に購入して下さる心当たりもございます。なので、後はお客様さえ了承して下さるだけでいいのです」
そう言って、店主は深々と頭を下げる。
(まあ、ここまで言うなら勝算があるんだろう。こっちは損しないし、任せてみるか)
店主の熱意に押され、アレルは安易な考えで任せてみる事にした。
「そこまで言うなら、分かったよ。任せる」
「有難う御座います! では、只今金貨をご用意致します」
店主は、そう言い残して店の奥へと消えていく。
しばらくして、店主が奥から戻ると、アレルの前に十枚ずつ重ねた金貨を二列、それと上質な革袋をその隣に並べる。
「こちらが、お約束した金貨二十枚になります。それから、この革袋は差し上げますので、金貨の持ち運びにお使い下さい」
「ああ、ありがたく使わせてもらうよ。ありがとう」
そう言って、受け取った金貨は円形で、おそらくは王家の家紋だろうものが刻まれている。
きっとこの紋章を見て、どこの国の金貨か判別した上で、金の含有量とかの差で国ごとに金貨の価値が微妙に変わるんだろうなと、アレルは思う。
そんな事を考えながら、アレルは金貨を革袋へ入れていく。
「それでお客様、コルトを発つのはいつになるでしょうか?」
「そうだな······」
(今夜、アリシア達と話して······結果がどうなろうと、旅支度はしっかりしたい。アリシア達と今後も共に行動する事になった場合、追手の動向も気掛かりにはなるが、焦って準備不足になる方が後々に苦しむ事にもなるか。······となると、二日後の朝あたりが妥当か)
ひとまず、アレルはアリシア達の護衛の継続を前提に、疲労が溜まっていそうなアリシア達にとっても、そうした方が良い様に感じる。
「二日後の朝に、出立予定だ」
「では、お手数ですが明日の午後にでも、もう一度ここにお越し下さい」
「わかった、こっちこそ面倒掛けてすまないな」
「いいえ、滅相もございません。それでは、明日のお越しをお待ちしております」
そう言って、深々と頭を下げる店主を後目に、アレルは店を後にした。




