一章〜拠り所〜 二百一話 残る影響
アレルは、手から伝わる温もりを不思議に思いながらも、身体を動かす事なくゆっくりと目蓋を開ける。
「あっ、起こしてしまいましたか?」
「ん? ここは?」
目覚めたばかりで、混乱するアレルはそう言いながらも、目覚める前から感じていた温もりの出処を目で追う。ただ、それはやはりというか、それしか無いと言うか、当然アレル以外にこの部屋にいる人物によるものだった。
「私達の部屋ですよ。それと、なんかアレルが苦しそうに手を伸ばしていたので、思わず握って起こしてしまいました。すみません」
フードを脱いでいたアリシアは、エヘヘと何かを誤魔化すみたいに笑う。しかし、それにアレルは首を横に振る。
「いや、良くない夢を見ていたからちょうど良かったよ」
「夢? それって、どんな夢ですか?」
「あ? あ〜、······どんなだっけ?」
確かに、目覚める前までは覚えていた。しかし、目覚めた今は、まるで記憶に蓋でもされたみたいに頭に霧がかかって思い出せない。
ただ一つ、強烈に残っているのは感情が伴っていた事のみ。不安と恐れ、それらを刺激された何かをしなければ命を失うという警告。
だが、そんな自身ですらどうすれば良いか判らず、理由さえも説明する事が出来ない感情をアリシアの前で吐露する訳にはいかないアレルは、アリシアにそれらを悟られない様に笑みを浮かべる。
「······忘れちった」
「もぉ〜······何ですか、それ?」
「仕方ないだろ。夢なんて、そんなもんなんだから」
「それも、そうですね」
中腰のアリシアは、サラリと垂れ下がった髪を耳に掛けながら、にこやかに微笑む。
そんな、どこか大人びて見えるアリシアの仕草に、アレルは不意をつかれて見惚れてしまう。
「アレル?」
そこへ、アレルの微細な変化を見逃さなかったのか、アリシアは再び髪が垂れ下がらない様に抑えながら首を傾げる。
それに対して、アレルは慌てる事なく、アリシアの意識を逸らせる為の一手を打つ。
「いや、そろそろ身体を起こしたいから、離してもらえるか?」
アレルは、そう言ってアリシアに握られたままの手を上下に揺らす。すると、アリシアは無意識に握り続けていたのか、頬を僅かに赤くして慌てながらアレルの手を離す。
「あっ、うん! そう······だよね、私が握ってたら起きられないよね?」
言い訳を口にするアリシアを横目に、アレルは身体を起こすが、その瞬間パサリとアレルの身体から床へと黒い布が落ちる。それを、アレルが不思議そうに眺めていると、アリシアが慌ててそれを拾い上げる。
「アリシア?」
「こ、これね、アレルが身体を冷やさない様にって掛けたんだけど······ね、アレルが上掛けの上に寝ちゃったから、その······勝手にごめんね」
アレルは、アリシアが何に対して謝ったのかは瞬時に理解出来た。要は、断りもなくアレルの外套を使用した事に対して、アリシアは申し訳ないと感じているのだ。
それが解ったアレルは、アリシアの気遣いに微笑みを浮かべる。
「別に良いよ。そんな事より、気遣ってくれてありがとな」
「······うん」
アリシアは、アレルの礼に外套を抱えながら、モジモジとしたままはにかむ。アレルは、アリシアの反応に安堵して、ベッドから立ち上がって部屋の中を見渡す。
窓の外はすっかり日が落ちて、部屋にはランタンの様な揺らめく明かりが灯っている。このぼんやりとした明かりと、明度が低い窓ガラスでは外から部屋の中は見えないだろうと判断したのか、アリシアはフードを脱いでいる。
最後に、アレルはテーブルに目を向けると、そこには二人分の夕食が湯気を立てていて、そこに瑠璃の姿も見つける。
「瑠璃は、何しているんだ?」
「それは、ジェームスという方が夕食を運んできた時に、ルリちゃんの蜂蜜と水を頼んだのですが······」
アリシアは、どこか申し訳無さそうに答える。それでも、未だアリシアに差し出されたであろう蜂蜜水の前から、瑠璃は動かない。なので、アレルはその理由を知る為に瑠璃に近づく。
「瑠璃、少し良いか?」
──あ、主様!? はい······どうぞ。
瑠璃の許可を得て、アレルは瑠璃の前に置かれた蜂蜜水の小皿を手に取り、零さない様に揺らしてみる。
「あ〜、これは少し濃いかな」
アレルは、その少しとろみの残った水に対して、そんな評価を下す。
「そうなのですか?」
「ああ、瑠璃にはもっと水みたいな、というかほとんど水と同じぐらいにしてやらないと駄目なんだ。まあ、妖精だから多少は大丈夫だろうけど」
アレルは、訊ねてきたアリシアから外套を渡してもらい、外套のフードを部屋の内側に向けた状態で壁に掛けながら答える。
それから、アレルはアリシアと瑠璃を交互に見るが、二人共同様に申し訳なさそうに肩を落としている。見かねたアレルは、それをなんとかしようと一肌脱ぐ事にする。
「お〜い二人共、二人がそこまで気にする事じゃないだろ? 俺が起きていれば、無かったはずの問題で、俺が一番悪いんだからさ」
──主様、そんな事は!?
「アレルは、悪くないよ。私が、上手く出来なかったから」
瑠璃もアリシアも、そんな事を言って自身の責任だと言い張ってくる。そんな二人に、アレルは微笑む。
「じゃあ、二人がそう言うなら罰として、二人で協力して作り直してみろよ。アリ······アンネは、瑠璃に訊ねながら作業を担当。瑠璃は、言葉が通じなくても意思を伝える手段はあるだろ? どうにかして、アンネに自分が食べられる状態になる様に伝えてみせろ」
そう言うアレルに、アリシアと瑠璃は互いに顔を見合わせると、しばらくして同時に頷く。
「頑張ろう、ルリちゃん!」
──はい、アリシア様!
「決まったんなら、それが作り終わり次第三人で夕食にしよう」
そう声を掛けるも、アリシアと瑠璃は既に作業に集中し始めていて返事をしない。アレルは、そんな二人の様子に笑みをうかべながら、作業を見守る。
(こうしておけば、万が一俺がいなくなっても上手くやっていけるだろ)
アレルは、別に二人が悪いと思ってもいなければ、罰を与えようとした訳ではない。
ただ、自身がいなければ再びこんなトラブルが起きるのではないかという懸念から、アリシアと瑠璃で協力する経験を積ませておきたかった。そうでないと、夢での警告通りに自分が死んだ時に、瑠璃の面倒を見られる人間がいなくなってしまうから。
別に、夢なんかでの事を信じている訳ではないが、こういう備えは普段の積み重ねだとアレルは考える。それ故に、アレルは今後もこういう機会があれば、同様に経験を積ませようと決心する。
あくまでも、念の為だと自身に言い聞かせて。
「出来ましたッ!」
苦戦したのだろうか、その喜びもひとしおといった感じで、アリシアが声を上げる。それに、瑠璃もそんなアリシアを称えるみたいに、アリシアの周りをクルクルと飛び回る。
「じゃあ、食事にしよう」
「うん!」
──はい!
アリシアと瑠璃、二人の返事を受けてアレルは食事を始める為に椅子に近づく。自身の不安を隠す為、微笑みの仮面を被りながら。




