一章〜出逢い〜 二話 遭遇する脅威
「はぁ? ······何をいっ!? クッ、何だ? ウッ、やめっ!? ウワァァァァア!?」
青年が叫ぶと同時に、鎧男の影から黒よりも深い漆黒の体毛の、人程の大きさの狼が鎧男に飛び掛かった。
漆黒の狼は、体当たりの様に鎧男を押し倒すと、前足で両手を抑え込んで男の喉笛を噛み千切らんとする。
「あれは······影狼〈シャドウウルフ〉!?」
青年の背に隠れながら、アリシアは突然の襲撃者の名を叫ぶ。
「何だ、それ? 危険なヤツなのか?」
青年は、未だに兜のおかげで 噛み付かれずにいる、鎧男から視線を外すことなく問う。
(返答次第では、鎧男を見捨てて、逃げる算段をしなければならない。でも、逃げる事が出来なかったらどうする? 戦うならば、素手では心許ない。まともな武器は、鎧男の騎士剣だけだな。······念の為、尖った枝先でも拾っておくか)
青年は考えを纏めると、落ちている枝を拾い、後ろ腰のベルトの隙間に挟む。
しかし、死ぬかもしれない状況で意外と冷静な自分に、記憶を失う前の自身はどんな人物だったのだろうと、青年は俄然気になった。
そして、青年がそんな事を考えているのを知らずに、アリシアは青年の問いに返答する。
「そうですね······影狼の強さ自体は普通の狼と大差はありません。しかし、影の中を移動するので犠牲となる者は少なくありません。ただ、貴方は先程、どうして襲われるのが判ったのでしょうか?」
「ああ、それか。······影の中で、何かが蠢いているのに気付いて、注視していたんだ。それで、ソイツの気配が騎士剣の煌めきに反応して急変した。だから、目印になっているだろう剣を捨てろと叫んだが······間に合わなかったな」
青年は、間に合わなかったと言うが、鎧男は叫びこそしなくなったものの狼の餌食にはなっていない。
それを、鎧男が気絶していると受け取った青年は、その手に握られた騎士剣の入手を狙う。
そして、牙と兜とでガチャガチャ五月蝿い騒音を奏でる影狼を見る。
その様子は、まるで餌を前にした犬のそれで、青年には隙だらけの様に感じられた。
「本当に、ただの狼と大差ないなら······なあアンタ、少しの間巻き込まれない様に離れとけ」
「えっ!?」
青年はそう言うと、アリシアの返事を待たずに、鎧男を組み伏せる漆黒の狼に向かって駆け出した。
青年は、走る勢いをそのままに、自身の腰程の体高の狼の腹部に渾身の右足を叩き込む。
すると、つま先をミドルキック気味に抉りこまれた影狼は、青年の想定以上に蹴り飛ばされていく。
「うげぇ······」
砂の代わりに、粘性液体を詰め込んだサンドバッグを蹴った様な嫌な感触が、右足を通して青年に反ってくる。
蹴り飛ばす瞬間、臍の下に力を入れたせいか、転がる程度の筈だった影狼は、近くの木に叩きつけられるまで飛ばされている。
「まあ、結果オーライだ。さて······うわぁ、涎でベチャベチャ」
青年が、鎧男を見ると傷だらけで歪んだ兜に守られた顔は無傷だったが、影狼の唾液まみれになっていた。しかし、襲われた衝撃で気絶したせいか、鎧男自身はそれに気付いていない。
青年は、気絶している鎧男を無視して、その手から離れた騎士剣を拾い上げる。
──ボォゥン、ブゥン
──ヒュッ、ブゥゥン
それから、数度その場で剣の振り感を確かめる。
(騎士剣──とは言うものの、剣種としてはロングソード。馬上での使用を想定したもので、どちらかといえば斬撃力よりも刺突力重視の武器だったはず。面で捉える斬撃ではなく、点で捉える刺突でなければ決定力に欠ける。その上、振りを確かめた感じでは、俺に剣術の経験は無いだろう。······分が悪い賭けになりそうだ)
青年は、自身の戦力を分析すると、体勢を立て直しつつあった影狼に対して騎士剣を構える。
──グゥルルゥゥ!!
剣を構えた青年に対して、影狼は牙を剥き出しにして威嚇する。そこから放たれる敵意は、青年の肌をビリビリとヒリつかせる程だった。
何で、鎧を着込んだ騎士が餌で、剣を構えただけの自分が敵なんだと、青年は心の中で影狼の脅威判定に悪態をつく。
──ウォゥゥオォォン!!
すると、影狼は四足を広げて 踏ん張りを効かせた体勢になり、頭だけを空に向けて遠吠えを始めた。
「何か······嫌な気配だ」
何故か、狼から放たれる殺気が、まとわりつく様な邪気が、じわじわと自身に迫るのを青年は感じる。その、ただならぬ気配に、青年の生存本能が警鐘を鳴らしている。
それでも、青年は自身の直感に従いアリシアの位置を確認すると、自身を挟んで影狼との対角線上にいない事に安堵する。
──ウォォオゥゥン!!
瞬間、青年に目掛けて不可視の何かが、影狼から放たれる。
「なっ!?」
牙や爪に俊敏性、それから影に潜る能力ばかりを警戒していた青年は、完全に不意を突かれた。
青年は、慌てて騎士剣を防御にまわすが、影狼が放った不可視の塊の到達が速く、直撃ではなくとも青年は真後ろに吹き飛ばされる。
「グッ!? ······クソッ、どこが普通の狼なんだよ」
もしかして、ここではこれが普通の狼なのかと、青年は悪態をつきながら思うも、直ぐ様体勢を整えて、再度騎士剣を構える。
(不可視の塊······発射前の遠吠えから察するに、音の塊もしくは空気の塊をぶつけられたのか? 当たった感じ、幅はそれ程ではないし、直線にしか撃てないなら避けるのは難しくない。······ただ、直撃した訳じゃないのに、思い切り丸太でどつかれたみたいな衝撃だ。油断して、何発も食らうのはマズイ)
「あの······」
「もっと離れてろッ!!」
その時、近くの木陰に隠れていたアリシアが、自身に近寄ろうとしたところを、青年は左手を向けて制止して更に離れる様に叫ぶ。
──シイィィ
「野郎······!!」
予想外の攻撃で動揺する青年に、まるで嘲笑するかの様に口顎を歪ませて、見下げた視線を送る影狼。
しかし、青年は挑発にのる事なく、影狼が仕掛けてくるのを待つ。
青年は、記憶喪失ながらも、自身が戦闘に関して素人であろう事は自覚している。
それ故に、自分から動いて迂闊さを晒すよりも、多少不利でも影狼の攻撃に耐えて、反撃の機会を探す方を選んだ。
すると、そんな青年の覚悟も知らないだろうに、影狼が前足の爪で青年を引き裂こうと飛びかかる。
爪は、回避しようと身を屈めた青年の右頬を掠めて、青年の前に影狼の横腹が晒される。
瞬間、仕掛け時だと感じた青年は、そんな無防備な腹目掛けて、すれ違いざまに影狼の下腹部を左下から斬り上げた。
「──ッ!?」
ところが、青年の放った斬撃は影狼の腹を斬り裂くことなく、青年の手に鈍い感触のみを返す。
青年自身は、斬り裂いたつもりであったが、実際は影狼の腹にめり込ませるに留まり、まともなダメージを与える事が出来ていない。
(クソッ、手応えがまるで無い。こんなんだったら、剣じゃなくて鉄パイプの方がマシな攻撃になっている。······こうなったら、少し剣に対するイメージを変えて扱うか)
「ハァ······スゥ······」
青年は、息を整えるとそれまで両手で構えていた騎士剣を、片手で構え直す。
左手を胸の前に、右足を引いて剣を握る右手を腰の辺りで構える。
すると、構えを変えた青年を値踏みするかのように、影狼は青年の左手側にゆっくりと、歩いて回り込む。
青年も、影狼の動きに合わせ、自身の正面に影狼を捉えるように、体の向きを変え続ける。
「······」
──ゥゥゥゥ、フゥゥ
半回転程、青年と影狼が互いに回ったところで制止して、静かに睨み合う。