一章〜拠り所〜 百七十八話 壮大な夢
馬車まで行くと、ジェームスが調理器具までは持っていく必要がないと言ったので、アレルは残りの食材だけを持って厨房へと引き返す。
そうして、調理台に食材を並べたアレルは、ジェームスに必要な調理器具を出してもらう。
「悪いな。手伝いだけじゃなくて調理器具まで出してもらって」
「いえいえ、知らない料理を知る事の出来る機会に恵まれたのですから、これぐらいはやらないと」
アレルは、ジェームスが用意するのを横目に、下拵えが必要な食材を並べていく。それで、下茹でが必要なほうれん草が出てくる。
それでアレルは、かまどに火を入れる為に薪投入口の蓋を開けて薪を入れるも、火種になりそうな物が見当たらない。
「アレルさん、少しどいて下サ〜イ」
「は?」
身体は素直にその場を明け渡すも、ジェームスのクセの強い口調に反応した頭が変な声を漏らさせる。
しかし、当のジェームスはそんなのお構いなしに、桶に張った水の中から赤い小石を二つ取り出す。それから、綺麗に小石の水気を拭き取り、二つをマッチを擦るみたいに擦り合わせると、そのままそれを薪投入口に放り込む。
すると、数秒後にパチパチと薪が燃え始める。
「ジェームス、今のは?」
「火石です。知りませんでしたか?」
「名前だけなら、聞いた事はある」
アレルは、ロナとパメラの話でそんな名前が出てきた事を思い出す。そんなアレルに、ジェームスは作業しながら説明を始める。
「火石は、大きな括りで言えば精霊石とも言われていて、比較的火の精霊が多く存在していると言われている火山付近などで採れるものです。その内側に精霊の霊力を宿した石とも、精霊から漏れ出した力の結晶とも言われてますね」
「じゃあ、なんで水の中に?」
「複数の火石を纏めて置くと、自然に発火してしまうのですよ。それを防ぐのに、複数の火石を保管するには水の中に入れておくのです。幸いにして、多少の水気があっても火がつくので」
アレルは、ジェームスの説明を聞きながら、火の入ったかまどでほうれん草を下茹でし始める。ただ、そのまま黙って作業するのも何だと感じたアレルは、世間話程度に気になった事を訊ねる。
「なあ、精霊石って他にもあるのか?」
「ありますよ。例えば、アレルさんは馬車に水樽を載せてますよね?」
「ああ」
「その底に、おそらくですが浄石という水の精霊石が入っているはずです。それを入れておくと、汚れなどを浄化し水が腐るのを防いでくれます」
「へえ、そんなものがねぇ」
思えば、樽で密閉しておけばある程度は大丈夫たろうと高を括っていたアレルだったが、水の劣化だけが心配だった。しかし、そんなものがあるのなら、心配は杞憂であったと悟る。
「まあ、そちらも精霊の住処となり得る場所で入手出来るらしいのですが、過去にはそれを水を生み出す石と勘違いした帝国が奪おうとしたとかという話もありますね」
ジェームスの話を耳に入れながら、アレルは下茹でが終わったほうれん草を火から下げる。
「何か手伝う事はありますか?」
「じゃあ、生姜と燻製肉を細かく刻んでくれるか」
言いながら、アレルはスープカレーもどきから大きな具材を取り出して、それらを細かく刻んでいく。
ジェームスも、それに続いて生姜と燻製肉を刻み始める。
「それで、ルクスタニアでは精霊信仰が根付いているので、精霊石を取り過ぎるということはしません。しかし、そうでない帝国に侵略された場合、二度と精霊の恩恵を受ける事が出来なくなると、戦争になった歴史もありますね」
「やっぱり、取り過ぎって良くないのか?」
「と言われていますね。あくまで、精霊に敬意を払うという信仰の下に行われていますから」
答えながら、ジェームスは自らが刻んだ食材を渡してくる。それを受け取ると、アレルは生姜は別にして、自身が刻んだ具材と燻製肉をフライパンで火にかける。
「なあ、適当な器にトマトを潰しておいてくれないか?」
「はい」
アレルに言われ、ジェームスは適当な器を取り出してトマトを潰し始める。
「にしても、帝国ってそんなに水資源が枯渇しているのか?」
「ええ、帝国出身者に聞いた話ですが、各地にオアシスはいくつかあるらしいのですが、全て皇室に押さえられていると聞きました。その皇帝が、水を欲しているのですから、余程不足しているのでしょうね」
「だったら、侵略じゃなくて交渉でもすればいいだろうに」
言いながら、アレルはジェームスに潰したトマトを渡す様に手を差し出す。それに、ジェームスはサッとアレルに潰したトマトが入った器を手渡す。
アレルは、そうして受け取ったトマトをフライパンに加えて、しばらく煮立たせる。その後で、具材を一旦取り出してからスープカレーもどきと生米を投入する。
「なあ、もう一つ薪で火を入れても良いか?」
「それなら、私がやりますよ」
そう言って、ジェームスが火を入れてくれたので、その間にアレルは下茹でしたほうれん草を刻んで、卵を溶き卵にしておく。そして、鍋を用意して米と米の五倍の水を入れて、ジェームスが火を入れたかまどの火にかける。
「これで、どっちもしばらく放っておく。ジェームスも、ありがとな」
「いえいえ、中々に興味深いものを見せてもらいましたから。ですが、こちらのはポリッジに似ていますね」
ジェームスは、お粥の方の鍋を覗き込むながら言う。
(ポリッジって、オートミールのミルク粥の事だよな)
「まあ、似ているというかほとんど同じ様な物だしな」
「ほう、そうでしたか」
アレルの言葉に、ジェームスは増々興味深いといった様子で鍋を見る。その姿に、アレルはジェームスに対して少し興味が湧く。
「なあ、何でそんなに知らない料理に対して、知ろうとするんだ?」
すると、ジェームスは鍋から離れてアレルへと向き直る。
「夢なんですよ」
「夢?」
「はい。いつか、世界中の料理をこの手で作りたい。そして、それを世界中の人々に振る舞って満足してもらいたい。その夢の為に、未知の料理は一つでも多く知りたいのです」
ジェームスの夢を聞いて、アレルはそれが簡単な話ではない事を悟る。
元の世界ならば、移動や滞在に掛かる経費や時間の問題を解消出来れば、難しくともある程度は可能な夢かもしれない。しかし、戦争や内戦に加えて、魔物や盗賊の脅威が存在するこの世界で、ジェームスが語る夢がどれ程難しい事なのか、アレルには想像出来ない。
そして、一料理人であるジェームスがその難しさを理解していながら、恥ずかしげもなくその夢を人前で語った事に、アレルはジェームスを素直に尊敬する。
「ジェームス、お前って凄いんだな」
「いえ、まあ······いつかはと、願っているだけですから。それより、アレルさんには夢はないのですか?」
「夢······か」
正直に言えば、アレルはそんな事を考えた事もなかった。
気付けば異世界にいて、その上記憶喪失で、アリシア達に出会ってからは変化していく状況に振り回されているだけだった。
そんな、今の自分の夢とはなんだろうか、記憶を失う前の自分にはあったのだろうか等と考えつつも、アレルは粥の方へ溶き卵と刻み生姜にほうれん草を加えて塩を振る。
「アレルさん?」
「いや、今は夢なんて無いな。一日一日を生きていくので精一杯だ。でも、いつか夢を持てたらいいなとは思ってる」
言いながら、アレルはパエリアの様な何かにも取り出していた具材を戻す。
「そうですか。でも、旅をしているアレルさんならば、必ず夢と呼べるものが見つかりますよ」
「だと、良いけどな」
そうして、完成した二品をアレルは何も言わずともジェームスが用意してくれた皿へと盛り付けていく。それから、アレルは配膳に使うトレイに、お粥の皿と三人分のパエリアの様な何か、人数分のスプーン、小皿のイチゴと瑠璃の蜂蜜水を載せる。
「じゃあ、片付けを──」
「そちらは、私がやっておきますよ。アレルさんの鍋も洗っておくので、食器を下げる時にでも取りに来て下さい」
始めからそのつもりだったのか、ジェームスはアレルの片付けという言葉に反応して、そんなことを言ってくる。
「いや、でも悪いから俺がやるって」
「いえ、クラウスさんに聞きましたが、まだ滞在なさるのでしょう? ならば、代わりにアレルさんの知っている料理を教えてもらうというのはどうでしょうか?」
ムフフ、とどこか計算高い笑みを浮かべるジェームスに、アレルはため息を吐く。
「そっちが本音か」
「駄目ですか?」
そう聞き返すジェームスだったが、壮大な夢を聞かせた後でそれはズルいだろうと、アレルは肩を落とす。
「分かった、ジェームスの夢を叶える助力になるなら、少しぐらいは教えるよ」
「本当ですか!? 助かります! では、そういう事ならば冷めないうちに、料理を持っていってあげて下サ〜イ」
そう言って、ジェームスはアレルに料理の載ったトレイを持たせると、その背中を押して厨房の扉まで歩かせる。
それに、またもやクセの強い語尾で混乱したアレルは、されるがままになってしまう。
「それでは、また後ほど」
そして、厨房から追い出されてしまったアレルは、笑顔で手を振るジェームスに見送られる。
「······ああ、色々とありがとな」
「こちらこそですよ」
そんな、ジェームスの言葉を背中に受けて、アレルは色々あった厨房を後にした。




