攻勢*3
そんなある日のことだった。中庭を見回っていたクラークは、まだ雪の降るそこでオリヴィアを見つけた。
オリヴィアはほんの少し、庭に出ただけなのだろう。冬のブラックストーンの屋外に出るには薄着であった。
「オリヴィア。冷えるといけない。庭に出るなら防寒着を」
クラークは慌ててオリヴィアに駆け寄ると、自分が着ていたコートをオリヴィアの肩に掛ける。
「え?ちょ、ちょっと。あんたが寒いでしょ」
「私は私が寒いよりあなたが寒そうにしている方が堪えるんだ」
戸惑うオリヴィアに対して笑って答えれば、オリヴィアは余計に困惑したような顔をする。
「何か、見ていたのか」
「ええ。まあ……氷が張ってるの、見てたのよ。ああ、冬だな、って」
オリヴィアは中庭の隅の方、小さな水たまりがすっかり氷の床になっているところを指差した。
「……小さい頃、あんた、ああいうの踏んで滑って遊んだりしない妙な子だったわよねえ」
オリヴィアの言葉に、そうだったか、とクラークは思い出す。小さい頃の記憶など、あまり確かなものでもないが……それでも覚えていることはあった。
「いや、あなたの見ていないところで時々やっていた。あなたが楽しそうに氷で滑って遊んでいるのを見て知っていたから」
「えっ、なんでわざわざ私の見てないところでやってたのよ」
「氷ではしゃぐのは子供っぽいかと思った」
そうだった。クラークは確かあの頃、オリヴィア相手に大人ぶりたかったのである。子供が何を、と今なら思うが、当時のクラークは背伸びしてみせようと必死だった。
「あーあーあー、あんた確かに、こまっしゃくれたおチビだったわね」
「今はもうおチビじゃないんだが」
何か思い出したらしく笑うオリヴィアに、クラークは少しばかり不服を申し立てる。今のクラークはもう、おチビ扱いされては困るのだ。
クラークがオリヴィアを見下ろすと、オリヴィアは少しばかり不服そうな顔をする。……オリヴィアはクラークに、おチビのままでいてほしかったのだろうか。
「……おチビではない私のことは、嫌か?」
心配になって聞いてみたところ、オリヴィアは、『クラークの癖に!クラークの癖に!あとコートありがと!』と言い残して去っていってしまった。
……どうやら、おチビでなくとも嫌ではないらしい。クラークは安心した。
また別の日。
クラークは非番の時間帯、図書館で過去の判例を調べていた。エバニに頼まれたものだったので、できるだけ早く資料を作って渡したかった。
するとそこで、クラークと同じように調べ物をしているらしいオリヴィアの姿を見つけた。オリヴィアは眉間に皺を寄せつつ、真剣に資料を読んでいる。……だが、どうやらあまり順調ではないらしい。資料を捲っては読み、それを閉じてまた別の資料を見て……とやっているようである。
「オリヴィア。何か手伝えることはあるだろうか」
クラークがそう申し出ると、オリヴィアは今ようやくクラークの存在に気づいたらしく、大層驚いていた。だが、驚いてからすぐ、クラークに相談する気になったらしい。
「これに関連する資料、集めてたんだけれどね。どうも、いいのが見つからなくて」
はい、と見せられたものは、今、オリヴィアが担当している裁判のものだった。成程な、とクラークは一通りそれを読んで……。
「なら、こちらの書架を見てみてほしい。確か、似たような裁判の記録があったはずだから。確か……これだったか」
製本された判例録を一冊、本棚から抜き取って渡す。するとオリヴィアは、ぽかん、としてしまった。
「……詳しいのね」
「まあ……この図書館については、それなりに。付き合いが、長いから」
何せ、クラークはこの図書館を利用して長い。その間ずっと、オリヴィアやエバニに頼まれた資料を探してまとめたりなんだりとやっていたのだ。慣れもする。
「ええと、ありがと。おかげで捗りそうだわ」
オリヴィアが笑って礼を言ってくれるものだから、クラークは自分がこの図書館に多少詳しくなっていてよかった、と嬉しく思う。
「それは何よりだ。……これは戻しておくか?」
「いいの?ありがとう。あ、台ならそっちに……」
「いや、これくらいなら届く」
更に、オリヴィアが見ながら眉間に皺を寄せていた資料を書架に戻しておく。少し背を伸ばせば、十分に届く高さだったので、ひょい、と、何気なく。気軽に。
……だが。
「……なんか悔しいわね」
「え?」
「あんた、大きくなっちゃって……」
オリヴィアがぶつぶつと『クラークの癖に』と言うのを聞いて、クラークは思わず笑ってしまう。最近ではこの『クラークの癖に』を聞くのが、妙に楽しい。
それからまた別の日。
クラークが歩いていると、食堂で、オリヴィアと1人の元国軍兵が話しているのを見かけた。
何かあったのだろうか、と気になって近づいてみると、元国軍兵はクラークの姿を見て、途端に居住まいを正した。……確かに、一応、クラークはこのブラックストーン刑務所の『副所長』である。階級が上なので、彼の態度は正しいと言えば正しいのだが。
「何かあったのか」
「いえ、ブラッドリー弁護士に、以前の国軍がどのような状態だったかをお話ししていただけです!本官は決して、ブラッドリー弁護士に何かしようとはしておりません!」
察しがいいのか悪いのかよく分からない元国軍兵はそう言って敬礼してくる。……彼はクラークがオリヴィアのことを慕っていると知っているのでこのような態度になっているらしい。別に、彼を追い払おうとしてやってきたわけではなかったのだが。
「えーとね、ほら、一応、状況の把握は必要でしょ。弁護するにしても、弁護する人の敵にしても、国軍に関わってた人はそれなりに多いし」
「そういうことだったか。……ありがとう。是非、ブラッドリー弁護士に協力してほしい。その分、休憩時間は別途取ってくれ。勤務表を更新しておく」
オリヴィアから事情を聞いて、クラークは微笑む。元国軍の者が看守として働き始めているおかげで、そのあたりの証言を得るのが手軽になった。これによって正しさを追及しやすくなっているのだから、クラークとしては願ったり叶ったりである。
「え、えっ!?いえ、副所長のお手を煩わせるわけには……」
「いや、このくらいはさせてくれ。労働環境の整備はこちらの仕事だ」
また正しさが一欠片、この世界に増えていく。それが嬉しいクラークは上機嫌で、新人看守の休憩時間を新たに設けるべく、管理室へ向かうことにする。
「……いつの間にか副所長になってる」
そんなクラークの後姿を見送っていたオリヴィアが、そう零す。それを聞き逃さなかったクラークは、おや、と少し心配になる。
「ああ……言っていなかったか?すまない。名ばかりではあるが、私が副所長だ。アレックスが所長で……」
「いや、聞いてたけど……聞いてたけど……」
オリヴィアに説明していなかっただろうか、と心配になってそう言ってみると、オリヴィアはむにゅむにゅと複雑そうな顔をする。
「……本当に副所長なんだなあ、って。クラークの癖に……」
……あのはっきりとした性格のオリヴィアが『クラークの癖に……』とむにゅむにゅとした顔をしているのを見ると、なんとなく、胸の奥がむずむずするような気分になる。
そして、また別の日。
「オリヴィア。頼まれていた資料ができた。ここに置いておく」
「えっ早っ」
オリヴィアに資料を届けると、オリヴィアはぎょっとしたような顔で席から腰を浮かせた。
「ええ……それ、頼んだの昨日じゃない。いつの間にやったのよ」
「夜の間に。夜番までの間は時間が空いていたので、そこで」
オリヴィアが驚いているのは、クラークが少々仕事を急ぎ過ぎたからだろう。
クラーク自身、そんなに急いでやる必要のないものだったと理解している。だが、どうにも気が急いて、ついつい仕事に励んでしまった。
「あの、頼んでおいて言うのも何だけど、あんた、大丈夫……?寝てないんじゃない……?」
オリヴィアもクラークを心配しているが、確かにクラークは今、寝不足である。だがそれでも仕事をしてしまった理由は至極単純だ。
「……あなたからの依頼だったから、つい、嬉しくなってしまって」
どうも、最近のクラークはおかしい。
自分自身がおかしいことは承知の上だ。すっかり浮かれてこの調子なのだから。だが、クラーク自身は、『この変化は自分にとって必要なものなのかもしれない』と静観するつもりであるし、多少自分が変わったとしても、国が変わるよりは小さな出来事だろうと割り切っている。
「な、何よ。あ、あんたそんなに私のこと好きなの?」
クラークがこの調子なので、遂にオリヴィアは揶揄うようにそう言ってくるのだが……これにクラークは思わず、嬉しくなってしまった。
「やっと気づいてくれたか」
かくしてオリヴィアは逃げ出した。『クラークの癖に!』だそうである。
だがクラークはオリヴィアを追いかけた。逃がすつもりはない。
「オリヴィア!」
男の、それも看守という、それなりには体力が求められる仕事をこなしている者の脚と体力があれば、オリヴィアに追いついて彼女の前に回り込むことも十分に可能だった。
これでオリヴィアは、いよいよ逃げられないと悟ったらしい。
「その……」
オリヴィアが身構える前で、クラークはしどろもどろになる。しどろもどろになりながらも、それでも、この機会に問わねば、と、クラークは意を決した。
「その、オリヴィア。あなたは、どう思っている?聞かせてほしい。今すぐでなくとも、構わないから」
「これで『その気になれない』と言われたらどうしようかと思うと」
「おいおいクラークよお、お前、あれだけオリヴィア追っかけまわしておいて、いざ審判の時になるとこれなのかよ……」
「人間って本当におもしれーなあ」
尤も、その後すぐ、クラークはエルヴィスとアレックス相手にむにゅむにゅとした顔をする羽目になったのだが。
「クラーク!」
翌々日。クラークの元に、オリヴィアが大股でつかつかとやってきた。これから戦いに臨む戦士のような表情に、クラークも思わず緊張する。
……そして。
「私がオリヴィア・シガーになるか、あなたがクラーク・ブラッドリーになるか決めるわよ!」
ばん、と勇ましく机の上に叩きつけられたのは婚姻届であった。