攻勢*2
「……聞いてくれ。オリヴィアの様子がおかしい」
「ああうん、知ってる」
翌日。クラークはエルヴィスに相談していた。
オリヴィアは、特に風邪を引いたでもなく、体調に問題は無かったらしい。それでも念のためエルヴィス謹製のポーションを飲ませたが、それでもオリヴィアの様子がおかしいことは変わりなかった。
オリヴィアは、クラークが近づくと挙動不審になるのである。ぴゃっ、と怯えた猫のような反応をし、じりじりと警戒しながらクラークを遠巻きに眺め、そしてクラークが近づくと逃げ出す。
……どう考えても、おかしい。おかしい、のだが……。
「……それで、その、私は少々、思いあがった勘違いをしそうで」
クラークはこの手のことに鈍く、この手のことが得意ではない。だが、一通りの知識はある。知識を繋ぎ合わせて目の前の事象と照合する能力も、ある。それ故に、クラークは『思いあがった勘違い』をしそうなのだ。つまり、それが『勘違いではない』という方向に。
「おっ、クラークお前、中々やるじゃないか!その調子だ!」
が、相談してみたエルヴィスは目を輝かせてクラークを焚きつけようとしてくる始末である。相談する相手を間違えただろうか、とクラークは心配になるが、昨日の内にアレックスに相談した結果とエルヴィスの反応は然程変わらない。なら、エルヴィスの意見は然程的外れではない、ように思われる。
そう『勘違い』しているだけかもしれないが……そう『勘違い』していたいクラークもまた、居るのだ。
「……嫌われているのではないなら、いいんだが」
「えっ、そりゃねえだろ。それだけは絶対に、無い!お前、絶対に嫌われてはいないからそれは安心しろよ!」
ひとまず、そこは確実らしい。
そう。どうやらクラークは、オリヴィアに嫌われているわけではないようだ。無礼を働いたが、それでも。この幸運に、クラークは安心する。
だが。
「これでいいのか、少しばかり不安になる」
……クラークは少しばかり、不安にも、なるのだ。
「えっ、どうしたんだよ、急に」
「さっきまでちょっと浮かれてた奴が何言ってんだオイ」
エルヴィスとアレックスにそう零せば、2人はきょとんとしたり呆れたり、それぞれの反応を見せてくれた。どうも、2人の反応がクラークに安心をもたらしてくれるらしい、と気づいたのは最近のことである。この2人と話すと、落ち着くのだ。
「私は犯罪者だが、裁かれずにいる。国は治りつつある。私は今も仕事を楽しくやっている。その上……更に望んでも、いいのだろうか。これが正しいことなのか、分からなくなってきた」
少し前まで、クラークは全てを諦めていた。この世界のことも、自分のことも……当然、オリヴィアについてもそうだ。オリヴィアにはどうか幸せであってほしいと願っていたが、自分がその隣に立てるとは、思っていなかった。
だが、今は、思ってしまっている。不相応だぞ、と思う自分も居ないわけではないのだが、それでも、どうにも、この考えに抑えが効かない。
「いや、これについては正しいも正しくないも無いよな?」
クラークが悩む横で、エルヴィスはまるきり軽い様子でそう言って首を傾げる。
「人間が人間を好きになって、もっと好きになってもらいたいって思うことに、正しさなんて必要あるのか?エルフには無いぞ、そういうの」
「人間にもねえっての」
アレックスも賛同しているので、クラークは『そういうものだろうか』と、また少しばかり不安を落ち着けることができる。
「……どうにも、不安で。最近、おかしいんだ。オリヴィアのことになると妙に行動的で、その割に、ふと気づくと不安になる。正しくないことをしている気がして、間違っている気がして、その、不安になる。今までこんなこと、無かったものだから」
「お前、真面目だなあー。そんなに考えることないと思うぞ。国が変わるんだから、お前も変わったっていいだろ」
エルヴィスはそう言うが、クラークにとって正しさとは、生きるための規範である。それを見失った時、クラークは……真っ当に生きていける気がしない。
「それに、ほら。お前がオリヴィアとくっついたとして、困る奴って居るか?多分、居ないぞ」
だがエルヴィスはそう言う。アレックスも、『その通り』とばかりに頷くのだ。
「……オリヴィアにとって良いことかどうかは分からないだろう」
不安なクラークはそうも聞いてみるのだが。
「ならオリヴィアに聞いてみるしかねえだろ」
な?と問いかけてくるエルヴィスの言葉について考えれば、すとん、と腑に落ちた。
……今までクラークは、社会全体や集団に対しての正しさに基づいて生きてきた。だが……今回のこれは、それとは異なる。
「な?お前ら2人だけの問題だ。正しいのかそうじゃないのかは、お前らで決めればいいんだよ」
そう。2人だけの問題だ。2人の間での正しさに基づかねばならない。
つまり、これはやはり……今までのクラークの生き方には無かったことをしなければいけない、ということなのだろう。
「……そうだな。正しさは、私が決めるものじゃない。彼女に聞いてみないといけない」
クラークは立ち上がる。目標があると、人は俄然、元気になるものだ。そんなことを思いながら。
「おっ!遂に行動に出るのか!」
「ああ。オリヴィアに直接、挙動不審の原因を聞く」
「えっお前この期に及んでまだ確認作業か!」
「ことは慎重に進めるに限る」
エルヴィスは呆れた様子だったが、クラークはこの方針を変える気は無い。
国は変わった。クラークもまた、随分と変わった。そして、今までずっと諦めていたものが、どういうわけか、目の前に転がり込んできたのだのだから。
……そう。ずっと、諦めていた。
始めは嫉妬と憧れだった。エバニを実の父親に持つ彼女が、酷く羨ましかった。
そんなクラークに対して、オリヴィアはずっと、態度を変えなかった。彼女は自分に嫉妬する年下の少年相手にも、良き姉のようであってくれた。ずっと。
……そんなオリヴィアのやさしさは、クラークに諦めを与えたのだ。クラークの中で、オリヴィアに対する嫉妬と憧れは少しずつ形を変えていたが、オリヴィアはまるで変わらず、クラークに接してくれていたから。
だからクラークは諦めた。諦めて諦めて、自分の職業も諦めて理想も諦めた後で、惨めに『姉だと思っていない』などと言いはしたが、それでもオリヴィアにとって自分はずっと『弟』なのだと諦めていた。
……だから今、絶対に、この機を逃がしたくない。今度こそ、諦めないでいたいのだ。
そう思えるだけの気概が、まだ、クラークの中には残っていたらしい。或いは、そういう風にクラークが変わってしまったのか。
いずれにせよ、クラークは、自分がこんな奴だということを初めて知った。それに少々戸惑いつつも、クラークは変わりつつある自分を受け入れ……そして、自分が従うべき『正しさ』を確認するべく、オリヴィアの元へ向かうことにした。
「オリヴィア。少し、いいだろうか」
「な、何よ」
司法関係の本を読んでいたらしいオリヴィアにそう声を掛けてみると、オリヴィアは弾かれたように本から顔を上げて、そしてクラークを睨みつけてきた。そんなオリヴィアに『隣、いいか』と聞いてみれば、オリヴィアはクラークを警戒した様子でありながら、どうぞ、と隣の椅子を示してくれたので、クラークはそれに座る。
「私に対して、あなたの反応が少々妙だと思ったので、原因を聞きに来た。私は何か、してしまっただろうか。婚約の話で腹を立てているなら、そう言ってほしい。或いは、あなたを不快にさせるようなことをしてしまっていたら、教えてほしい」
オリヴィアを見つめてそう聞いてみれば、オリヴィアは少々、申し訳なさそうな顔をする。それを見てクラークは『ああ、彼女は本当に、私を嫌っているわけではないのだな』と安堵した。
「その、不快とか腹を立ててるとかじゃ、ないから。ただ……」
オリヴィアは申し訳なさそうにそう言うと、むにゅ、と口を引き結んで、視線を彷徨わせて、言葉を探し始めた。
……そうしてクラークがじっと待っていると。
「……その、あ、あんたが婚約だなんて変なこと言ったもんだから」
「ああ」
「なんか、その、変なかんじがしただけよ!」
オリヴィアは、少々自棄になったように、そう言ったのである。
「……そうか」
どうやら、オリヴィアはクラークを嫌ってはおらず、そして、婚約の話をされて変なかんじがしたらしい。……それはクラークからしてみると、大きな一歩である。
「な、なんで嬉しそうにしてるのよあんた」
「いや、すまない。嬉しくて」
戸惑い、警戒する様子のオリヴィアに対して、ついつい笑みが零れてしまう。
「どうやらやっと、弟じゃないものになれそうだから」
オリヴィアは走り去っていった。『クラークの癖に!』だそうである。
「おーい、クラーク。お前、俺が今まで見てきた中で一番悪い顔してるぞ」
そして、通りがかったエルヴィスにそう言われる程度には、クラークは浮かれていた。
さて。クラークは看守として、勾留中の元国王達を見張りつつ、元々軍部に居た者を看守として登用するために彼らの教育係をやりつつ、日々、仕事に明け暮れていた。
新人教育にあたって、クラークは『細かい』だの『お堅い』だのと言われることがしばしばあったが、それら全ては必要なことだ、と説明すれば理解を得ることができた。彼らは『まあ、武力で迫られた時にも書類を持って出てきた奴だったし、実際、それで俺達に勝ったからな……』と納得したらしい。
……そして、それらの業務の合間合間で、オリヴィアに話しかけに行った。
オリヴィアは以前の、気が強くしっかりした印象を覆さんばかりに挙動不審であった。彼女は彼女で、エバニと共にここで弁護士業をやっているのだが、クラークが近づくと随分とぎこちない様子になってしまう。
年上の、自分よりしっかり者であったはずの女性が随分と可愛らしく見えるものだから、クラークは毎日が妙に楽しい。
クラークはよく笑うようになった。クラーク自身にその自覚は無いのだが、エルヴィスにもアレックスにも、『お前、最近明るくなったなあ』と言われる始末である。つまり、気が緩んでいるのだろう。
……だがどうやら、この状態のクラークを嫌う者は、居ないようなので。何よりオリヴィアは、クラークを嫌ってはいないようなので。
クラークは変わってしまった自分自身に少し戸惑いつつも、日々、少しずつ、慎重に、オリヴィアとの距離を詰めていくのだった。