攻勢*1
……そうして、国軍の一部隊がまるごと、寝返った。
それもそのはずである。彼らは最早、任務を達成することがほぼ不可能となった。その状態で帰ったとしても、彼らに明るい未来は無い。
そして何より、こちら側に寝返れば……言ってしまえば、『勝ち馬に乗る』ことができる。そう、クラークは諭したのである。何も、沈みゆく国と心中してやる義理は無いだろう、と。
……結局、そうして国軍一部隊がまるごと寝返ったブラックストーン刑務所は、以前よりも賑やかになったのである。
寝返った彼らと連絡が取れなくなった、と国が気づいた頃には、もう遅い。次の部隊が差し向けられてきたが、それについても同様に対処し……更に、こちらへ寝返った部隊が『俺達は寝返った!お前達もこちらへ来い!』と説得にあたってくれたため、一回目より迅速に寝返らせることに成功した。
そうしてブラックストーン刑務所は、どんどんと盤石の守りを手に入れていく。流石に職業軍人が2部隊分集う刑務所ともなれば、警備は万全である。
「いやー、なんかよお、賑やかになっちまって……妙なかんじだよなあ。元々はこれ以上に人数が居たってのに、3人暮らしに慣れちまったもんだから」
「そうだな。私も違和感がある」
アレックスと苦笑を交わしつつ、大砲の整備を行う。大砲は何だかんだ、偉大である。国軍の移動の足をこれで破壊してしまえば、案外、彼らは寝返ってくれやすい。威嚇にも持ってこいなこの大砲の設計図を送ってくれたのはラウルス・ブラッドリーだ。次に会った時には深く礼を言わねば、とクラークは決めている。
「……ああ、来たな」
そして、クラークの元に、一羽の鳥が飛んでくる。ぱたぱた、と白い翼をはためかせてやってきたその鳥は、ぴい、と鳴いてクラークの腕の中へやってきて、そのままもそもそとクラークのコートの内側へ潜り込んでくる。寒かったらしいが、こんなところで暖を取らないでくれ、とクラークは思っている。
襟から鳥が潜り込んだせいでふくふくと柔らかくくすぐったい胸のあたりを探って、鳥の脚からなんとか手紙を外す。相変わらず潜り込みっぱなしの鳥は好きにさせておくことにして、手紙を開いてみると……それは案の定、エバニからの報告だった。
「なんだって?」
「そろそろ片が付く、だそうだ。恐らく、大都市が一斉に国からの離反を発表することになるだろうな」
「おおー、遂に、かあ」
アレックスは感慨深げに表情を綻ばせた。クラークもまた、それに笑って頷きながら、この国に革命の波が確実に広がっているのを実感する。
「となると、ようやくこのムショにも平穏が訪れる、って訳か」
「まあ、国も『終身刑のエルフ』に構っている場合ではなくなるだろうからな」
……そして、この国はひっくり返る。今まで無視されていた正しさが再び蘇るのだ。
その時を思いながら、クラークは今日も、ブラックストーンおよび終身刑のエルフを守る。すっかり慣れっこになってしまったことだが……今もまた、遠くの方から国軍の装甲車がやってくるのが見えている。
さて。
そうして、クラークはブラックストーン刑務所という、ある種の隔絶された場所において、新聞とエバニからの手紙から、革命の様子を眺めていた。
革命は、日々、進んでいった。あちこちの都市が離反を表明し、国は最早、その火消しができる程の力すら持っていなかった。
王権側からは『要求を呑み、治世を改める』という表明があったが、そんな表明では最早、革命は収まらない。革命軍はしかと、国王の退位要求を突き付けて、この革命を有耶無耶の内に終わらせないよう動き続けていた。
そして……案外、クラークは暇にならなかった。というのも、国は最後の最後まで、終身刑のエルフさえ手に入れられれば何とかなる、とばかりにブラックストーンを狙ってきていたからである。おかげでブラックストーンも随分と賑やかになってしまったが。
だが、逆に言ってしまえば、国が兵力をブラックストーンに割いてくれたおかげで、エバニ達が動きやすくなった、とも言えるだろう。ブラックストーンは終身刑のエルフを守る城塞として、そして、大きな囮として、機能し続けたのである。
一週間もすれば、遂に王都もこちら側の手に落ちた、と新聞が報じた。そしてその翌日には、王城勤めの役人達も揃って辞表を提出した、と報じられた。
その間にエバニからは『明後日くらいには革命が終わりそうだね』とウキウキした様子の手紙が送られてきていて、それを読んだクラークは国軍をまた寝返らせつつ、笑みを深めた。
……そして。
遂に、国王が退位を表明し、この国は終焉を迎えたのである。
国中、連日連夜、お祭り騒ぎになった。皆が、国の滅びを喜んだ。
一度、全てが破壊されてしまった国を新たに立て直すのは大変だろう。だが、それでも、今まで通りの日々をずっと続けていくよりはずっといい日々が始まるのだ。それを理解している国民がどれほど居るのかは分からないが……少なくとも、クラークは、そう理解していた。
「感慨深いなあ」
クラークの横で、エルヴィスがそう、呟く。
「俺は、この景色が見たかったんだ」
エルヴィスが見つめる先の空には、花火が上がっている。誰が上げたのやら、随分と派手で華やかだ。それを見ていたアレックスは『折角だ、こっちでもやるかぁ』などと言いつつ、大砲の方へと向かっていった。……祝砲でも撃つつもりらしい。
「……長かったなあ、ここまで」
エルフの『長かった』はきっと、本当に長い。クラークが生まれて死ぬよりもさらに長い間の時が、エルヴィスの『長かった』の中に含まれているのだろう。
「お前は、国王暗殺未遂でここに入ったんだったな」
……そこで、クラークはふと、聞いてみることにした。
「国王を暗殺しようとしたのは、何故だ」
「うーん……どうしても忘れられなかったし、どうしても許せなかったんだよなあ」
エルヴィスは思い出すようにそう言って、それから、ふと笑って、自分が座っている門の石材……ブラックストーン刑務所の建材の一部としてずっとここにある石を、そっと撫でた。
「……まあ、人間、だからなあ」
その時だった。
「おおーい!クラーク!エルヴィス!」
門の下から明るい声が聞こえてきて、2人はそちらに意識を向ける。
……すると。
「エバニ!……と」
「うわー、マジかあ」
そこには、にこにこ笑顔のエバニと……拘束された元国王や高官達が居た。
「こういう時、刑務所って便利だなあ」
「便利も何も、元々がこういう用途だからな……」
そうして、元国王や高官達は皆、ブラックストーンの独房に入ることになったのだった。独房がエルヴィス以外に埋められている様子を見るのは実に久しぶりのことである。
「ようこそ、ブラックストーン刑務所へ!……へっへっへ、罪人がここに入るのは久しぶりだなあ」
「ようやく刑務所が本来の役割を取り戻すねえ。いやあ、よかった、よかった」
アレックスもエバニもにこにこと楽し気である。人が増えれば活気づく。増えた者が囚人であっても。
「……それで、これは一体、どういうことだ」
さて。新たに囚人となった者達が独房ですすり泣いているのを背景に、早速、エバニからことのあらましを聞くことにしたのであった。
「いや、簡単なことだよ。彼ら、国外逃亡しようとしていたからね。横領その他の罪に問われる人達だし、丁度、他人の魔導機関車を盗もうとしていたからそのまま捕まえてきた。終わり」
「そ、そうか……」
……ことのあらましは、非常に単純である。
そう。この国は正しさを取り戻した。つまり、今まで罪を犯しながらも地位の高さや隠蔽によって裁かれずにいた者達も裁かれる、ということなのだ。国王も高官達も、皆、横領などの罪がある者達であったので、このように刑務所に連れてこられることになった、というあらましらしい。
そう。刑務所だ。……つい先週まで3人暮らしだったこの刑務所にも、やっと囚人が戻ってきた。それも、ずっと囚人になるべきであった者達が囚人としてやってきたのだから、喜ばしいことである。
「まあ、これで看守業に張り合いがでるよなあ。おい」
「そう、だな……」
尤も、元国王達が正式に囚人となるのは、裁判が終わってからである。それまでは勾留、という扱いになるので、正式には刑務所が再稼働したわけではないのだが……それにしても、張り合いが出る。それは、間違いない。
アレックスも大いに張り切っている横で、クラークはエバニと情報共有などをし、それから……ふと、自分が謝罪しなければならないことを思いだした。
「その、エバニ。今回、オリヴィアに大変失礼なことをして、申し訳なかった」
クラークが頭を下げると、エバニは、きょとん、として……それからけらけらと笑い出した。
「ああ、家業のために婚約したアレか!うん、うん、まあ、僕はまったく気にしていないよ。中々面白い発想だったし、実際、あの時はあれが最適解だったわけだし」
ひとまず、エバニはまるで怒っていないようだった。自分の娘が婚約騒動に巻き込まれたというのにこれだから、多少、呑気ではある。
「……まあ、君が気にするっていうなら、オリヴィアに直接謝ってやってほしい」
「彼女も、ここに?」
予想していなかった言葉を聞いて、クラークは思わず顔を上げる。てっきり、オリヴィアはここに来ていないのだと思っていたが……。
「うん。どうも、君と顔を合わせるのが嫌でこっちに来ないみたいだけれど」
……にこにこと笑うエバニの言葉を聞いて、クラークは絶望する。
これは、完膚なきまでに嫌われた、と。
……だが、それでも、礼節を欠いていい理由にはならない。クラークは重い石を引きずるような気分で刑務所の外へ出る。すると、そこへ停車してある魔導機関車に凭れて立ちながら、車の屋根に積もった雪を指先でつついているオリヴィアの姿があった。
「……オリヴィア」
意を決して声を掛ける。どんなに冷たい声、言葉を投げかけられたとしても逃げ出さずに謝罪するのだ、と強く意識を保って、クラークはオリヴィアが振り向くのを待つ。
……が、待った時間はほぼ、無かった。
というのも、クラークが声を掛けた途端、飛び跳ねるようにオリヴィアはクラークの方を向いたからである。
オリヴィアは目を見開いてクラークを見ると……じり、と、後ずさる。
「……お、オリヴィア?」
「な、何よ」
どうも様子がおかしい。オリヴィアはまるで、怯えた猫か何かのようである。クラークを睨む目にも然程力が無く、冷たさはまるで無く、余裕も無い。これは一体、どうしたことか。
「その……申し訳なかった。急に、あんな不躾な手紙を送って……」
だが、オリヴィアがクラークに警戒心を持っているのは当然のことである。偽装婚約の申し入れなど、あまりに突然であったし、失礼であることに変わりはない。今ここで、オリヴィアが冷たく踵を返して去っていったとしても何らおかしくないのだ。謝罪の機会を貰えているだけでも、ありがたいと思わなければならない。
だが。
「い、いいのよ。別に。その、そういう作戦だって分かってるし、ほら、あんたは可愛い弟みたいなもんだし。別に、気にしてないわ」
……オリヴィアの反応は、クラークの予想のどれとも違った。
てっきり、もっと手酷く拒絶されると思っていたのだが……どうも、オリヴィアは、クラークを許してくれるらしい。
だが……それにしては、どうも、反応が、おかしい。そう。おかしいのだ。実にオリヴィアらしからぬ反応である。もし、彼女がクラークを本当に許しているのであれば、明るく笑ってくれるだろう。このように目も合わせず、焦ったようにしどろもどろな言葉を連ねることなど、しないはずだ。
だが、だからといって、遠回しに拒絶されている、というわけでも、無いように思われる。オリヴィアは回りくどいことはしない性質だ。彼女がクラークを拒絶したいなら、もっと分かりやすく、拒絶するだろう。
つまり……。
「……熱でもあるのか?」
彼女は体調でも悪いのか。クラークが心配になってオリヴィアの顔を覗き込んでみたところ……ぎょっとしてこちらを見上げるオリヴィアの顔が、赤くなっているのが見えた。
これに、クラークは肝が冷える思いをした。
オリヴィアはこんな、冬のブラックストーンの屋外に居たのだ。冷えていないわけがない。そして、体を冷やして風邪でも引いていたら、ことである。
「ひ、ひとまず建物の中に!」
「へっ!?」
クラークは、オリヴィアをひょい、と抱き上げて、運び始める。大変だ、すぐに彼女を暖かい場所へ連れていかなければ、と、必死に。
「な、なにすんのよーっ!」
「すまない、謝罪は後でさせてもらう!」
クラークは必死で、オリヴィアを運んだ。オリヴィアはクラークに運ばれながらずっと、『クラークの癖に!クラークの癖に!』と混乱したように言いながら、赤くなっていた。