防衛戦*3
クラークは動揺のあまり咳き込んで、それに頭の上の鳥が驚いてバサバサ羽ばたく。そこにアレックスの笑い声が重なって、一気に室内は賑やかになってしまった。
「な……何を」
「違うのか?」
「い、いや、そういうわけでは。そういうわけでは、ない」
「ほんとにかぁ?」
いい加減咳き込み終えたクラークは、にやにやと笑うアレックスを少々強めに小突く。アレックスは尚も笑っていたが、クラークは『話は終わりだ』とばかり、さっさと席を立つ。
「なあ、クラークよお」
だが、アレックスの声がクラークを追いかけてきた。
「お前は色々と我慢しがちみてえだが、国もいい加減、変わる時だ。お前だって、何でもかんでも我慢するこたあ、ねえと思うがね」
ちら、と振り返ってみて、クラークは少々、後悔した。アレックスが下卑た笑みでも浮かべていてくれればもう一度小突いてやって終わったのだが、アレックスはまるで、親が子を見守るような目でこちらを見ていた。
「……ま、精々急ぐんだな。エルフってのは美形ぞろいなんだろ?エルフの里に住んでる娘なら取られちまうぞ」
「むしろ、その方がいいような気もするんだが」
アレックスが妙に優しいものだから、クラークもつい、そんなことを言う。
「彼女には早く幸せになってもらいたい。その方が落ち着く」
本音である。
クラークは本当に、そう、思う。
オリヴィアが誰か、エルフとでも、周辺の人間とでも、親しくなって、身を固めることになったなら……そうしたらいよいよ、自分もここに落ち着けるな、と。それがあるべき状態だろう、とも思う。
「色々ともう、夢が叶った後だ。これ以上、高望みするのも身の丈に合わない気がする」
「いいじゃねえか。職業と恋人は別口じゃねえのかい?」
「かもしれないな。だが私は少し疲れた。いよいよ色々と諦めて、囚人達の脱獄の手引きをして、看守と弁護士助手の兼業を始めて……色々なことが変わりすぎて、それで手一杯だ。これ以上更に何かが変わったら、いよいよ倒れるかもしれない」
元来、クラークはそういう性質だ。変化していくのが苦手で、周囲が変化するのも苦手だった。だから、今、この激動の時を生きているだけで精いっぱいで……職業も暮らしも変わった今、更にここから何かを変える余力が無い。もし余力があったとしたら、それは全て、この国を変えることに費やしたい。
「ま、お前がそう言うんなら、いいけどな。彼女の結婚式で泣くなよ」
「ああ。笑って門出を祝うことはできる」
アレックスは少々呆れたようにため息を吐いて、それから、クラークの頭の上にずっといた鳥を、ひょい、と抱きかかえて連れていく。鳥は人に懐きに懐いており、このままブラックストーンに泊まっていく気でいるらしい。この妙に危機感の無い鳥のことが若干、心配にならないでもない。
「彼女の結婚式で、か……」
鳥とアレックスを見送って、ふと、クラークは思う。
……オリヴィアの結婚式を想像した時の嫌な気分は、姉をとられたくない弟のものだろうか。
翌々日の新聞では、『大規模な抗議活動』についての記事が一面大見出しを飾っていた。オリヴィアが手紙に書いてくれたものの前段階のもので、王都から離れた大都市で起きた活動らしい。
これには多くの国民が参加し、いよいよ無視できない風潮になってきている、と。そう、新聞では報じられている。
「いよいよだな。次は王都か」
クラークは万感の思いで、この新聞記事を読んだ。
国が、正しさを取り戻していく。これはずっとずっと望んでいたことだった。それだけに、クラークの感慨は、深い。
「ああ。……感慨深いなあ。やっとこの国の王が死ぬのかあ」
その一方で、エルヴィスは妙にのほほんとした様子で笑みを浮かべている。『感慨深い』とは言っているが、彼の場合、クラークのそれとは感慨の種類がまるで異なるだろう。
「そういえばお前の罪状は国王暗殺未遂だったな……」
「うん。まあ、俺が殺そうとした奴、もう死んでるけどな。かれこれ100年以上前に」
……エルヴィスと話していると、クラークは自分の感慨が薄れていくような気がしてならない。どうも、エルフの寿命とこの国の歴史の話が始まると、話の幅が大きすぎて全てがどうでもよくなるような、そんな気分になってくる。エルフ達はいつも、こんな気分で日々を過ごしているのかもしれない。
「さて。となると、いよいよこの戦いも終わりかぁ。用意した大砲、無駄になっちまったかなあ」
「どうだろうな。まだ油断はできないが……まあ、お前を連れ去るにあたって、向こうには正当な理由など無い。こちらには不当な理由が無い。よって、ここでお前を連れ去っても、国民感情を逆なでするだけだ。ここから先、全てをかなぐり捨てて恐怖政治を行う方へ舵を切らない限りは、問題ないだろうな」
クラークはそう答えつつ、『大砲を何に改造すれば無駄にせずに済むだろうか』などと考え始める。
ここまで、クラークは正しい方法でエルヴィスを守ろうとしてきた。それだけに、国は攻めてくるとしたら、いよいよ法の全てを捨ててくる、ということになる。それはそれで怖いな、とも思うが、恐らくそれはできないだろう、とも思う。
……『国』とは、1つの生き物ではない。数多の人間の集合体なのだ。
国王の意思だけが国民の意思ではない。ここから先、国王が正しくないことをしようとしても、それに従って違法行為に手を染める者が、果たしてどの程度でてくるだろうか。
だが、クラークの思考は打ち切られた。
「おーい!クラーク!お前宛てに手紙だ!多分ヤバいやつだろ、これ!そういう封筒してるもんなあ!」
アレックスが封筒を手に、駆けてきていた。その手にある封筒は『ヤバいやつ』……つまり、公的文書に使われるような定型の封筒である。
クラークは早速、中を見てみると……。
「……こう来たか」
手紙は、国からだった。
『看守と弁護士助手の兼業は認められない。公務員の兼業は家業に関わるもののみとする』
……尚、クラークが国軍に持ち帰らせた文書は、トレヴァー弁護士事務所の助手として作成したものである。
もう一度きちんと確認してみたが、公的な文書である。
『家業以外の兼業は認められない』という……つまり、クラークに、看守業と弁護士業の両立をさせないための通達が、正しい方法に則って、やってきたのだ。
「えっ、これまずくないか?」
「まあ……どうだろうな」
クラークは頭痛を感じつつ、ため息交じりに説明する。
「兼業が認められない以上は、国軍に持ち帰らせた書類を無効にするか、私が看守としてここに居る正当な理由を失うか、どちらかということになる」
「えええー」
まさか、連中が今更、正しい方法を取ってくるとは思わなかった。国軍は正しい方法で、クラークをエルヴィスから引き離そうとしている。
あの文書を持ち帰らせたのは、あれがある以上、エルヴィスの存在が書類上にしかと残ることになるからである。
今、一番嫌なのは、国軍にエルヴィスを攫われてしまうと、『そもそもブラックストーンにはそんな人物は元々居なかった』という主張に対抗できないことである。
何せ、エルヴィスはエルフだ。戸籍がある訳でもないので、国は『そんな者は居ない』と言えてしまうのだ。そして、存在しないものに対して何をしたかなど、後から訴えられてもまるで痛くないだろう。
だから、公的な書類を国に送り付けた。エルヴィスがここに存在する証拠を、残しておきたかったのだ。
だが、弁護士助手を認められないなら、あの文書は再発行する必要がある。オリヴィアかエバニに再発行してもらうことになるだろうが、時間がかかる。時間がかかっている間に攻め込まれては大変だ。
……なら看守を辞任するか、とも考えてみたが、そうなるとクラークは、ブラックストーンに居る権利を失うことになる。刑務所に居ていいのは看守だけだ。看守の方を諦めるなら、クラークがここに居ると不法滞在扱いになる。
つまり、この状況は、あまりよろしくない。
……だが。
「おーい……まずいんだよな?なあ、これ、まずいんだよな?」
「そうだな」
「でも嬉しそうだよなあ、クラーク」
……そう。クラークはこれを多少、嬉しく思う。
国が、一部分だけでも、正しさを取り戻した。それは、クラークにとっては喜ばしいことなのである。多少、自分が不利になったとしても。
「国の正しさが垣間見えた」
「それで嬉しいのかあ!……やっぱりお前、すげえなあ」
クラークが苦笑しているのを見て、エルヴィスはけらけらと楽しそうに笑うのだった。
「……まあ、実家の畑を手伝うとか、そういう理由で兼業してる看守は何人か見たことがあったが、弁護士と兼業してる奴は見たことが無かったからなあ。しょーがねえって言やあ、しょーがねえんだが」
アレックスはそう言って、はあ、とため息を吐く。
「でもよ、別にいいだろ?お前が看守を辞めても、俺は『所長権限』でお前を掃除夫として雇用するからな」
「ああ、そうだな。所長には所内の業務の維持のために人員を雇用する権利がある。それで私を雇ってくれればいい」
勿論、然程、問題は無い。
刑務所は看守だけで業務を回しているわけではない。用務の者がいたり、配達の業者が出入りしたりして成り立っている。よって、刑務所の所長は所長の判断によって、既定の人数までなら職員を雇用することが可能なのである。
現在のブラックストーン刑務所は囚人の規模が50人を下回る刑務所であるため、所長判断で雇用できる人員は3人だ。……つまり、クラークをその枠で雇えば、何ら問題ないのである。
「ただ、問題は、それを国に受理させるまでにもまた時間がかかりそうだってことだよなあ」
が、問題があるとすると、その手続きにまた時間がかかる、ということである。
今回、国がわざわざ兼業届の不受理を言い渡してきた以上、彼らにはこれを不受理にする意味があった、ということだ。
つまり、そう遠くなく、また襲ってくる。それも、確実に。それでいて、『正しい』手段に則って。
……そう、考えられるのだ。
なので。
「……国が、改心したということか……?」
クラークは、悩むことになる。
どうも、国は、暴力に訴えかけることをやめたらしいぞ、と。