防衛戦*2
……クラークの元に『終身刑のエルフを受け渡せ』という内容の文書が届いたのは、先月のことであった。
やはり、国はいよいよ『終身刑のエルフ』を欲してきた。そして、エルヴィスを人質にしてエルフの里を落とし、同時に、エルフの森の周辺に集まった人間達をも徹底的に潰すつもりなのだろう。
なので……クラークはこれに対して、『否』と返事を出した。『法に定められている通り、囚人を移動させていいのは刑務所だけである。受け渡し先が刑務所でない以上、この申し出に応じることはできない』と。
それに対して、『国からの特例である。早急に受け渡せ』と返事が来たので、『囚人の権利は法によって守られている。囚人は虐待を受けることはなく、適切な環境で、更生を目指す権利がある。そして現在、終身刑のエルフは当刑務所において更生中であり、本人も当所における継続した服役を希望している。よって求めには応じられない』と返信した。
これにいよいよ国は苛立ったらしい。返事の手紙を寄越すのではなく、このように武装した人間達を寄越してきたのだから。
クラークが門の外へ出ていくと、国から派遣されてきたのであろう人々は明らかに困惑した。
クラークが1人で、かつ丸腰で出てきたのが予想外だったのだろう。だが、武装してクラークが出てきたなら、それはそれで『国に武力で楯突く気か』と嘲っていたはずである。つくづく性質が悪い。
「止まれ!こちらは国軍だ!名を名乗れ!」
「クラーク・シガー。ブラックストーンの看守です」
横柄な態度の者に対して、多少のろのろと敬礼してやれば、相手は不愉快そうにクラークを睨みつけてきた。
「事前に書面で通達したとおりだ。『終身刑のエルフ』を出せ。連れていく」
「どちらへ?」
「それは貴様には関係のないことだ」
横柄な集団は、クラークを無視してさっさと門の中へ入っていこうとする。
だが、クラークはそんな彼らの前に立って、彼らを止めた。
「関係が無い、というわけには参りません。申し訳ないが、私はブラックストーン刑務所の副所長として、囚人の管理を行うことが義務付けられていますから」
「……副所長?」
「ええ。現在、ブラックストーン刑務所には私と所長の2名が居ります。看守が2人なので、片方が所長でもう片方が副所長です」
クラークが主張すると、横柄な国軍は如何にも面倒そうにため息を吐いた。
「刑務所の副所長如きが国に逆らう気か?我々の行動は国の意思だ」
後ろに控えていた何人かが、剣を抜いている。クラークを脅してここを通るつもりらしい。『国の意思』を掲げて。
……無論、クラークはこれを許すわけにはいかない。
「いいえ。あなた達の行動は国の意思ではない」
クラークは淡々と、そう言ってのけた。
これには兵士達がどよめく。『なんと無礼な』と囁く声が聞こえてくるが、クラークからしてみれば、彼らこそが『無礼』だ。
「……貴様。誰に向かって口を利いているか分かっているのか?」
無礼な男が凄んで見せるが、クラークは退かない。ただ、誇り高く、胸を張って、自分の『正しさ』を貫くのみである。
「この国は法治国家です。この国の意思とは、法である。そしてあなた達の行動は、法に則っていない。よってあなた達の行動は国の意思とは食い違う。違いますか?」
「あなた達の行動には正当性がありません。私は看守であり、法治国家に住まう者です。正しくない行いを見逃すわけにはいかない」
クラークの言葉に、いよいよ皆が怒り始める。……後方で控えている兵士達の中には、クラークの言葉に困惑している者も居た。だが、彼らも自らの上官に逆らう気は無いらしい。
「偉そうに、意味の分からないことをほざくな!」
無礼な男が剣を抜く。
正しさを、正しくない方法で捻じ曲げようとしている。自らの正しくない意思を、正しくないと自覚せずに振りかざしている。
そしてきっと、分かっていながら、法の理念を無視している。
……これを許すことは、できない。
どん、と激しい音が響く。
それは、兵士達の後方に落ちた火球によるものである。兵士達は大いにどよめき、クラークの目の前で抜刀していた無礼者もまた、火球の落ちた跡を振り返って茫然としていた。
そうして『最新兵器が何故ここに』と言わんばかりの表情で慄く彼らの頭上から、からからと笑い声が降ってくる。
「へへへ……ブラックストーン刑務所が火を噴くぜ!」
門の上の見張り塔。ブラックストーンがかつて城であった頃にはきっとそこから矢を射っていたのであろう場所から、アレックスが顔を覗かせていた。
それから先は、非常に一方的に勝敗が付いた。
『ブラックストーン刑務所如き』を警戒することもなく、あくまでただ2人程度の人間を脅せば済むと思っていた彼らは、まさか大砲が導入されているなどとは思わなかったのである。
だが、残念ながら、この刑務所にはブラッドリー魔導製薬社長の監修付きで、大砲が導入されているのだ。廃材と簡単な魔導機関だけで作られたそれは、耐久性こそ無いものの、こうした威嚇に用いる分には十分な代物である。
更に、どこからともなく、矢が飛んでくる。風のように飛んでくる矢に、一団の剣は次々と弾かれ、それを拾おうとした者の靴のつま先が地面に縫い留められていく。
……こんな有様であったので、無礼な一団は撤退を余儀なくされたのである。全く、予想していなかっただろうことに。
そして、彼らに『撤収』と号令がかかってすぐ、クラークは動き出した。
「これは後日、書留で提出予定の文書の写しだ。持ち帰ってくれ」
近くに居た、如何にも上層部の者であろう男に、持ってきた書類を押し付ける。押し付けられた男は大層戸惑った様子だったが、クラークは気にせず、ぐいぐい、と書類の封筒を押し付けてやった。
「エルヴィス・フローレイについての書状だ。ブラックストーンから動かせない理由と法的な根拠について書いてある。持ち帰って読んでくれるよう、責任者に伝えてくれ。では、確かに渡したからな」
「え、え……?」
クラークはさっさと門の中へ入って、門を閉じてしまう。これで、義理は果たせる。法的に、そして人道的に正しい手続きを踏んで、エルヴィスをここへ留めおくことができるのだ。今後とも、クラークは堂々と彼らを撃退することができるだろう。
「よーし!あの野郎共、逃げ帰っていくぜ!へっへっへ」
アレックスが品の無い笑い声を上げる先では、文字通り『逃げ帰る』連中の姿がある。クラークはアレックスの横で、多少すっきりした気分を味わっていた。……彼らの様子を見てすっきりした気分になってしまうのは品が無いか、とも思ったのだが、今は多少、自分に甘くなっておくことにした。
「俺、もうちょっと弓の練習しておかねえと、すっかり鈍ってるなあ……うーん、もう200年か300年ぶりだもんなあ、弓使うの……」
そして、エルヴィスは弓の腕を少々気にしているらしい。これにはクラークもアレックスも、驚く。何せ、あれで鈍っていたとは思えないほどの弓の腕だったので。
「その割には上手かったが」
「そうかぁ?多分、エルフ仲間に見せたら笑われるぜ、今の……」
靴のつま先を狙って撃つような芸当ができるのだから大した弓の腕だと思うのだが、エルヴィスは自分の腕に納得がいっていないらしい。まあ、その辺りは人間とエルフとで感覚が異なるのだろう。……だとすると、エルフというものは本来、とてつもない弓の名手ということだろうか。恐ろしいことである。
「さて、次も連中は来るだろうが……その時はマジで大砲、ブチ当てていいんだな?」
「いいんじゃね?よし、やろうぜ!」
「いや、駄目だ。あくまでも大砲は威嚇と武装解除に留めてくれ。相手が発砲してくれば正当防衛が成り立つが、抜刀しただけのところに大砲を撃ってしまうと少し怪しくなる」
今回の撃退が一段落したところで早速だが、クラーク達は既に次回以降のことを考えて動かなければならない。
国の連中が、エルフの里よりもブラックストーンを落とす方が簡単だと思っている間はずっと、ブラックストーンと終身刑のエルフは狙われ続けるだろう。
そしてその間の防衛において、クラークは、自分達の正しさを大切にしたいと考えている。
ここでの『正しさ』は、他者に認められるための手段だ。誇りも信念も関係なく、ただ、手段としての『正しさ』である。クラークにしては珍しいことに、初めからそういう動機で、『正しさ』を求めることにした。
……今後、エルヴィスおよびエルフの里を、少しでも不利な状況にしないために必要なことだ。今回、エルフが過剰に反撃を行ってしまえば、今後国が安定した後も『エルフは狂暴だ』などと言われてしまうかもしれない。
そうならないように、クラークは今から、『正しさ』に則って動くことにしている。今の、そして未来の人間とエルフ達の為に。
「なんだよ、ケチだなあ。大砲ででかいのぶちかましたっていいだろうがよお」
「ケチでもなんでもいいが、大砲で人を撃つのは駄目だからな」
「けちー」
「けちー」
「……2人ともいい歳してそんな顔をするな」
50を過ぎた人間と、400すら過ぎたエルフとが揃って膨れ面をして見せるものだから、クラークは苦笑しながら少々乱暴に彼らの頬をつついてみた。
……オリヴィアの方が柔らかかったな、と思った。
さて、一回目の襲撃からブラックストーンおよび終身刑のエルフを守り切ったクラークだったが、早速、次の防衛に向けてブラックストーンの整備を始めた。
今回、大砲を設置したのは防衛の一環である。そして大砲は、中々に効果があった。
何せ、大砲だ。音が大きい。振動もある。威嚇にはぴったりだ。……そして、目立つ。
「おおーい、クラーク!やっぱり新聞に載ってる!」
そう。目立つのだ。目立つので……今回の事件は、新聞に、載った。
新聞社の取材に応じたのは、つい半日前。仕事の速い新聞社の者達に脱帽ものである。
取材から半日でできた新聞には、『ブラックストーン刑務所、襲われる』と大見出しで書かれていた。そして、国軍の横暴な振る舞いや、その正当性への疑いが書き連ねられており……更には、国軍が撤退時、腹いせのためか、近隣の住民に怪我をさせたとも書いてあった。
これには、民衆も動くだろう。特に、エバニ達は間違いなく、動く。この記事を元にして、民衆を動かそうとし始めるだろう。
そしてその先に待つのは……革命である。
そう。ようやく、この国は変わる。変化して、変化して、その変化をより大きなものにして、多くの者に気づかせて、共に動いて……そうしてようやく、この国は変わろうとしているのだ。
すぐに決着がつくものでもないだろう。だが、確実に、終わりを迎えるはずのものでもある。
そのために、ブラックストーンで防衛を行い、エルヴィスを守る。そうしている間に、エルフの森近郊の町を中心にして、様々な物事が動いていく。だからクラークはまずは、ブラックストーンとエルヴィスを守らねばならないのだ。
「おーい、クラーク。郵便受けに鳥が挟まってたが、こりゃエルヴィスんとこの鳥か?」
「挟まっ、た、だと……?そんな鳥も居るんだな」
5日後。次の大砲を設計していたクラークの元に、そう言ってアレックスがやってきた。
ひとまず、郵便受けに挟まっていた鳥を解放してやって、水と果物を分けてやる。少々どじな鳥は水と果物で満腹になると、クラークの頭の上で丸くなって眠り始めた。妙に警戒心の薄い鳥である。こんな鳥だからこそ、郵便受けに挟まるようなことになるのだろうが……。
さて、鳥が運んできた封筒を見てみれば、それは、オリヴィアからの手紙である。いつも通り、資料の請求であるらしい。
「ああ、オリヴィアからだ」
クラークは少々表情を綻ばせて、集めるべき資料のリストを作る。なんだかんだ、オリヴィアからの依頼はクラークにとって楽しいことなのだ。
また、手紙にはあちらの近況報告もあった。『近々、王都近辺で大規模な抗議活動が行われる予定である』といったことから、『アイレクスおじさんが子供達と一緒にポーション作ってるから、こっちの怪我人はすぐ治るわ』といったこと、そして『パパが転んで鼻血を出しながら歩いていたらエルフ達が寄って集ってポーションを浴びせたもんだから、パパの肌艶がよくて腹が立つわ』といったことまで、様々な話題が書いてある。
……それらを読みながら、クラークは思わず笑っていた。オリヴィアの文章から、オリヴィアの表情までもがはっきりと伝わってくるようであったから。
「……なあ、おい、クラーク」
そんなクラークを見ていたアレックスは、ふと、にやにやした笑みを浮かべつつ、身を乗り出して聞いてきた。
「お前、そのオリヴィアって子に惚れてんのかい?」