防衛戦*1
クラークはエルフの里に翌日まで滞在して、そして翌々日の朝、出発することにした。
オリヴィアもエバニも『もう少しゆっくりしていいけばいいのに』と言っていたが、クラークは自分にできることを見つけてしまった以上、すぐにでも動き始めたかったのである。
囚人達やエルフ達に見送られ、クラークは多少慣れた魔導機関車の運転で、ブラックストーンへと帰ることになった。
そうして翌日の夕方、クラークは無事、ブラックストーンへ帰ってきた。
……そう。『帰ってきた』のだ。いつの間にやら、クラークにとっては、ここが『帰る場所』になっていたらしい。おかしな話だ、と思う。ここに来た時は絶望に沈み、僅かに残った理性だけで狂気を抑え込んでいたような有様だったのに……いつの間にか、ここへ自ら望んで帰ってくるようになったのだから。
「ただいま」
「おかえり、クラーク。エルフの里はどうだった?」
「エルフ達が『おおタンバリンマスター』と歌っていた」
「あー、あれ、里でも流行ってんのかあ。ははは」
図書館のアレは幻聴ではなかった。そしてエルフの里ではやはり、幻聴ではなくタンバリンの音がしゃらしゃらぱんぱら、と響いており、エルフ達は『人間達の歌を教えてもらった!』と楽しそうに『タンバリンマスターを讃える歌』を歌っていたのである。奇妙であった。非常に、奇妙であった。
「土産だ。エルヴィスにこれを持って行ってくれ、あれも持って行ってくれ、とエルフ達が沢山持たせてくれた」
「え?……ああっ!これ、リリエのケーキだ!うわあ、嬉しいなあ。あいつが焼いたケーキ、グレンが一回、祝祭の日に焼いたのの次に美味かった!」
ケーキの包みを渡したエルヴィスがくるくると回って喜んでいるのを見て、エバニも似たようなことを言っていたな、と思い出す。……常に二番手のリリエさんとは、一体どんなエルフなのだろうか。少々、気になってこないでもない。
エルヴィスは魔導機関車の荷台からエルフの里の土産を降ろしては、『これはフェルスのところの杏酒かあ!懐かしい!』だの、『あっ、鈴の木の実だ!俺、これ好きなんだよなあ……』だの、『えっなんだこれ!知らねえ!』だの、逐一感想を言ってけらけら笑っていたので、クラークはまるで退屈しなかった。
途中からアレックスも荷下ろしに参加して、『エルフの里ってのは、妙なモンがあるんだなあ……』と、くねくね動く人参か何かに似た謎の物体を手に首を傾げたり、『おい、エルヴィス。こいつは酒か?なら俺にもちょっと寄越しな』『えっ、これ人間が飲むとぶっ倒れると思うぜ?』などと会話したり、楽しくやっていたので、やはり、クラークはまるで退屈しなかった。
……それからクラーク達は、エルフの里土産である杏酒とリリエのケーキ、それに『これはただ焼いて食うのが美味い』とエルヴィスがうきうき調理した、うねうね動く人参めいた謎の物体の丸焼きを囲んで、食事ともおやつともつかない時間を過ごした。
謎の物体の丸焼きは、焼き上げると何故かトロリと濃厚なカスタードクリームのようになった。美味しかったが、食べてみてもこれが何なのかはよく分からなかった。
「そっかー。オリヴィアと仲直りできたんならよかったよ」
「そうだな。嫌われてはいないようで、私もほっとしている」
食べ、飲みながら更に供されるのはクラークの土産話である。エルフの里の話は、エルヴィスに懐かしがられ、アレックスに新鮮がられた。
だが、2人がエルフの里の話以上に聞きたがったのが、クラーク自身の話である。
「でも、よかったのか?弁護士になる話、蹴っちまって」
「ああ。お前と同じだ。『ここが気に入ってるから出ていかない』」
クラークは、オリヴィアの誘いを断った話もした。断った理由については、話さないつもりだが。
「お前がいいなら、いいけどさあ……」
エルヴィスは釈然としない様子でいたが、クラークはこの選択に後悔など無い。
……クラークは、この『終身刑のエルフ』が国にいいように使われないよう保護し、そして、エルヴィスがここに留まる理由を探るために、ここに居ると決めたのだから。
……また。
「それに、弁護士の仕事はある程度、ここでも手伝える。ここには大きな図書館もあることだし、判例を探して写して郵送するくらいならできるからな」
クラークは、オリヴィアの誘いを、完全に断ったわけでもなかった。
そう。離れていても、できる仕事はある。特に、このブラックストーンは複数の図書館の蔵書を併せ持つ、中々類を見ない図書館だ。裁判の判例を書き写したものなども置いてあるため、オリヴィアに必要そうな資料を揃えて送る手伝いくらいはできるのだ。
「もう検閲も無いからな。兼業届は一応、出した。紛れて届いていないかもしれないが、義理は果たしているから問題ない」
「お前も結構スレたよなあ。それでいて本質が何もブレてねえのがすげえよお前……」
クラークはブラックストーンでの使命も、オリヴィアの手伝いも、どちらも諦めたくないのである。
さて。
翌日から、クラークはくるくるとよく働き始めた。
看守としての仕事は、今まで通り、3人でののんびりとした暮らしである。それと同時に社会情勢に目を向け、主にエバニやオリヴィアを頼って情報を仕入れては『終身刑のエルフ』が狙われないかどうか、常に警戒を続けた。
エルヴィスを保護する、という使命の為に、オリヴィアの手伝いが役立った。
オリヴィアからは時々手紙が届き、『こういう資料が欲しい』『こういった判例は過去に無かったか』といった内容が書いてあったので、それに合わせた資料を用意しては送り返す。そしてそのついでに、オリヴィアやエバニから、エルフの里近辺の近況を聞くことができたのである。
……やはり、国はそろそろ、エルフの里を危険視してきたらしい。それもそのはず、つい先日、クラークの有給休暇の最終日に、この国最後の刑務所も脱獄を許し、その囚人達がエルフの森の周りへと向かっていったというのだから。
エルフの森と、その周りの脱獄犯達をどうにかしたい国であったが、更にそこへ脱獄犯以外の一般市民まで加わってきて、手に負えなくなっている。彼らは『国に未来は無いからここで新たな国を創る!』と息巻いており、国がこれに良い顔をするわけがない。
が、それを武力で叩き潰そうとするには、エルフが邪魔だ。エルフの技術は人間のそれとはまったく異なる。
よって国は……終身刑のエルフを、人質に使いたいだろう、と。そう、予想される。そのためにどのような手段を用いてくるかも、ある程度、オリヴィアやエバニと相談して予想できる。対策は、それなりに順調。エルヴィス本人にもそれとなく警戒を促したところ、エルヴィスは分かっているのかいないのか、彼なりに対策を始めたらしい。
……そうして、クラークは看守業と弁護士の助手と、2つの業務をそれぞれこなし……否、看守と言うにはあまりにも、その内容が偏り過ぎていたが……とにかく、日々、楽しく働いて過ごした。
そう。楽しいのである。不思議なことに。
「……やりたいことをやる、というのは、大切なことだな」
「んだよ、突然」
「義務感だけで看守をやっていた時と比べて、今は、毎日が楽しくて」
クラークはそう、アレックスに零した。アレックスはきょとん、としていたが、クラークが少々の戸惑いを含めつつ説明すれば、やがて、にっ、と笑って、クラークの頭をがしがしと撫でた。
「あー、まあな。そりゃ、俺もそうだ」
「アレックスも?」
「俺は看守になって長いが、今が一番楽しいかもしれねえなあ。ま、単純に業務が楽になったっつうだけかもしれねえけど」
アレックスはクラークとは異なる考え方で看守をやっていた。最低限、看守としての役割は果たす。手は抜かないが、然程、仕事熱心というわけではない。楽ができるならそれに越したことは無い。アレックスはそういった人間だ。
だが、考え方が異なろうとも、それぞれに楽しく仕事ができているなら、それに越したことは無い。最近のアレックスは、以前よりも楽しそうに見える。本人もこれが楽しいと言っているのなら、クラークもそれがいいと思う。
「ブラックストーンは俺達の城だ。防衛機能はしっかりつけとかねえとな。で、次は何を仕込む?」
「そうだな。北の方はエルヴィスが何かしたらしいから、やはり、正門の方をもう少し手厚くしようと思うんだが」
……尤も、クラークは『友人であるエルヴィスを守る』という目的の下に動いているが、アレックスは『友人のついでに、折角だから派手にやる』という目的が含まれているのだろうが。まあ、お互いの目的が、必ずしも完全に一致する必要は無いのだ。クラークは今は、そう考えている。
そうして、季節は廻り、冬になる。クラークがブラックストーンで迎える、3度目の冬である。
雪が降りしきる、クラークは鉛色の空と、そこからふわふわと舞い降りてくる雪を見上げて、ほう、と白い息を吐く。
あまりに寒いので、囚人用にと購入した例の防寒具一式を纏っている。ふわふわした耳当てをしてしまえば耳が温かく、そして、音が遠く薄くなって、現実味が薄れていくようだった。
……クラークがこのようにして屋外に居るのは、郵便を待っているからだ。
一秒でも早く受け取りたい郵便が、恐らく、今日、届く。だから、今も門の上の見張り塔で、郵便配達員が来るであろう道をずっと眺めているのだ。
「よお、クラーク。寒くないのか?」
そうして待つクラークの元に、エルヴィスがやってくる。エルヴィスは『寒くないのか?』と問うてくる割に、薄着だ。何せ、彼はエルフだ。魔法を使う以上にも何か、人間とは異なる感覚を持っているのだろう。
「まあ、そうだな。お前の魔法もある。それに、この防寒具は優秀だ。まるで寒さが感じられない」
「ははは。コートを選んだ奴が良かったな」
「そうだな」
クラークはエルヴィスの冗談に乗って笑ってみせながら、また、門の下の道へと目をやる。まだ、郵便配達員は来ない。ただ、静かに雪が降っているだけだ。
……だから、暇と雪に任せて、クラークは疑問をようやく声に出す。
「……エルヴィス。お前がどうして、ブラックストーン刑務所に居続けようとするのか、聞いてもいいか」
雪に紛れて消えるかどうかくらいの声だ。エルヴィスに聞こえなかったらそれでいいし、聞こえなかったふりをして流してくれてもいい。そう思って、聞いた。
……だが、エルフの長い耳は、微かな人間の声までもをしっかり拾い上げたらしい。
「ん?前も話した気がするけど……まあ、ここが気に入ってるんだよ。本当に、それだけだ」
あっさりと、エルヴィスはそう答える。その笑顔にも、言葉にも、偽りは見当たらない。
「だが……それだけでは、ないだろう」
そう。偽りは見当たらないが、それだけとも思えなかった。クラークはどうしても、その先を知りたい。
……すると、エルヴィスはまたもあっさりと、答えた。
「ここは、俺の友達の家だったからな」
その時だった。
「おー……来たか」
雪の降る道をやってくるのは、郵便屋……ではないだろう。どう見ても。
「招かれざる客、って奴か?」
「……そうだな」
クラークは緊張しながら、彼らを見下ろす。
……こちらへ向かってくる彼らは、間違いなく、『終身刑のエルフ』を奪いにやってきた者達だ。
「ま、精々派手にやってやろうぜ」
「そうだな」
クラークは緊張しながらも、頭の中では冷静に、自分のこれからの行動を組み立てていく。大丈夫だ。準備は、万端。ここで負けるつもりは、無い。
「おおーい!クラーク!あれ、もうやっちまっていいか!?」
そこへ駈け込んで来たアレックスへ、『勿論』と答えると、クラークもまた、自分の持ち場へ向かうことにする。
「よーし、派手にやっちまうかぁ!」
アレックスは呵々として笑いながら、諸々の準備を始める。
「あいつの城だし、守らなきゃあな」
エルヴィスはその手に、古めかしい弓を持っていた。
……そして、クラークは。
「相手が正しくない行いをしようとしていても、こちらは正しくあるべきだからな」
書類を持って、門の外へと出ていくことにした。