エルフの里*4
「ただいまー……あら、クラーク。久しぶりね」
「あ、ああ。久しぶり……」
玄関のドアを開けて入ってきたオリヴィアは、クラークを見るとすぐ、如何にも気軽な様子で挨拶してきた。クラークもそれに応えるが、ぎこちない。自覚できるほどには、ぎこちない。
そんなクラークを見て、オリヴィアはきょとん、とすると、すぐ笑い出した。
「……何よその顔。今にも死にそうじゃないの、あんた。大丈夫?」
「まあ……」
実際、今にも死にそうな気分なのであながち間違いではない。クラークはそれほどまでに緊張している。最早、何が怖くて緊張しているのか分からなくなるほどに緊張しているのだ。
「……ま、いいや。わざわざ呼び付けて悪かったわね。長旅、疲れたでしょ」
「大した疲れじゃない」
実際、旅の疲れなど今の緊張に比べれば大したことではなかった。クラークは強く、そう思う。
「そう?ま、それならいいんだけれど。あ、そうだ。まだおやつ、お腹に入る隙間ある?これ、食べましょ」
オリヴィアは笑ってそう言うと、手にしていた包みを見せてくる。
「おお!それはまさか、リリエさんの!?」
それを見て、何故かエバニが目を輝かせた。オリヴィアはそれに笑って『その通り!』と答える。
「さっきリリエ……えーと、私の今の顧客のエルフのお姉ちゃんから貰って来たの。森の木の実のケーキよ。絶品なんだから」
「じゃあパパが切って来るよ。そしてパパも一切れ貰う!リリエさんのケーキは美味いから!ママのケーキの次に美味いから!」
「はいはい。それママとリリエにも聞かせてあげてよ。ママは喜ぶだろうし、リリエは人間のそういう話聞くと『きゃー!』って喜ぶから」
実際に『きゃー!』をやって見せながら、オリヴィアは笑って、エバニも笑って、そしてエバニはいそいそと、ケーキの包みを持って台所の方へと消えていった。
……そうして、オリヴィアとクラークだけが、取り残される。
「じゃあ、えーと……うん」
オリヴィアは少々、気まずげな顔をして……そしてそれ以上に気まずいクラークは、何を言っていいのか分からず、ただ、固まり続け……。
そして。
「えいっ」
うに。
……オリヴィアは、クラークの頬をつまんで伸ばしていた。
「あっ、流石に小さい頃みたいには伸びないわねえ……ふーん」
「おいいあ、ああいえうえ」
「何言ってんだか分かんないわあ」
へっ、と笑って、オリヴィアは尚もうにうにとクラークの頬を伸ばし続ける。
「あのねえ!あの時、結構私、傷ついたんだからね!」
きっ、と眦を吊り上げてクラークを睨みながら、オリヴィアは更にクラークの頬を伸ばす。
「うああい」
「何よ!反抗期だったっての!?生意気!」
「おいいあ、おいいあ、ああいえ」
「離してやらないから!ほーら、ほっぺ伸びちゃってもう男前が台無し!ざまーみなさいよっ!」
オリヴィアのなんとも子供じみた攻撃にクラークは只々困惑していたが、『男前……』と少々、照れた。それを見たオリヴィアは『何照れてんのよ、あんた馬鹿なの……?』と呆れた顔をしていたが。
……そうしてエバニが『ケーキ切り分けたぞ!』と戻ってくる直前、ようやく、クラークの頬は解放された。
「……痛いんだが」
「丁度良かったでしょ。弟分のくせに生意気なのよ!」
「弟分……」
クラークはなんとも言えない気分である。やはり、オリヴィアはまだ、クラークのことを弟分と思っているらしい。それはありがたいことでもあり、少々辛いことでもある。
「ま、いいや。これで私の方はすっきりしたから」
だが、ひとまず、オリヴィアが少々気まずげに笑っているのは、よかった。
そう。オリヴィアが笑っていてくれれば、クラークは随分と、救われた気分になるのだ。彼女が辛そうな顔をしているのを見るのが、一番嫌だったから。
「……失礼なことをしたと、思っている。すまなかった」
改めて、謝罪する。彼女を傷つけたことについては、深く、反省している。彼女を遠ざけたかった気持ちに偽りは無いが、それでも。
「ええ、本当にね!でももういいわ。今ので気が済んだから。あんたももう気にしないでよ」
オリヴィアはそう言って、エバニが持ってきたケーキの皿を1つ引き寄せ、うきうきとフォークを握り……。
「……それとも、私のほっぺ、伸ばす?」
ふと気づいたように、そう言った。
「いや、やめておこう」
オリヴィアの様子を見て、ようやく、クラークも緊張から解放される。オリヴィアは何も変わっていない。変わってしまったのはクラークだけで、そして、オリヴィアはまだ、クラークが変わっていないものと思っている。それだけのことなのだ。
それからクラークは、多少ぎこちなくもオリヴィアと会話した。
オリヴィアは今、トレヴァー弁護士事務所の十八番であるエルフと囚人の弁護のため、忙しく働いているらしい。『パパも戻ってきたから手伝わせようと思ったら、パパは町づくりに精を出し始めちゃって!もう!手が足りないのよ!』とのことである。隣でエバニは『その通り!』とにこにこ頷いてはオリヴィアに小突かれていた。
クラークはオリヴィアにも、今の刑務所暮らしの話をした。ついでに、『独房で寝てみたら案外寝心地がよかった』という話もしてみたところ、大層、オリヴィアのお気に召したらしい。オリヴィアはしばらく笑い転げて、『その様子、見てみたい!』などと言いだす始末である。
その是非はともかく、オリヴィアが楽しそうにしてくれるのは悪くない。クラークは、次に会う時までにはもう少し面白い話を仕入れておきたい、と思った。
「それでさ。あんたを呼び付けちゃった理由なんだけれど」
雑談が一段落したところで、ふと、オリヴィアは真剣な顔をクラークに向けた。
「さっきも言った通り、今、こっちは弁護士の手が足りないの。囚人は当然として、エルフも今、国からいちゃもんつけられたりして大変だから」
「いちゃもん?」
「ええ。人間の町への滞在許可証無くして滞在した罪、なんてものがね、今、エルフ達に吹っかけられてるの。そりゃあ当然、許可証なんて持ってるわけ無いわよね。エルフの滞在に許可証が必要だ、ってことを決めた翌日にそんなの言われてもね!通達だってされてなかったのよ?信じられる?」
「それは酷いな」
今、国としては、エルフを抑え込むための手段が欲しいのだろう。エルフの森の傍に居を構えている囚人達を警戒し、彼らへの対抗策として、エルフの行動の抑制を考えている。
……そして、あわよくば、エルヴィスのように『終身刑のエルフ』が手元にあれば、森のエルフ達に対する人質として利用することができる、と。だからこそ、町に住んでいるエルフ達に、新たに作り上げた罪を被せて捕らえようとしているのだろう。
「だからね、クラーク」
オリヴィアは居住まいを正す。それにつられて、クラークも居住まいを正す。そんな2人をエバニがにこにこと見守っているが、それはさておいて……。
「あなたさえいいって言ってくれるなら、私、あなたを雇おうと思ってるんだけれど。どう?」
……オリヴィアが掛けてきた誘いへの返事を、クラークは、今から必死に考えなければならない。
そう。考えなければならないのだ。
……おかしな話である。ここでオリヴィアの話を請ければ、クラークはずっとなりたかった弁護士となって、活動ができる。諦めた夢をもう一度、手に入れることができる。
エバニやオリヴィアと共に仕事ができるなら、本当に、願ったり叶ったりだ。これ以上ない労働環境となるだろう。不思議なエルフ達の近くで暮らすというのも悪くない。エルフという生き物には、エルヴィスで大分、慣れているから。
……そう。エルヴィスだ。
今、クラークの決断を止めているのは、きっと、エルヴィスなのである。
「……エルヴィスが、どうも、刑務所から出たくないらしい」
「へ?」
自分の考えをまとめるように、クラークはそう、話し始める。
「このままだと、彼が人質扱いされかねない。彼がずっと『終身刑のエルフ』だったのは、彼をエルフに対しての人質にするためだろうから。そろそろ、上層部だってこの状況を打破する方法が無いことに気づくだろう。そうなった時、いよいよエルヴィスが危ない」
クラークの話を、オリヴィアもエバニも、真剣な顔で聞いてくれた。それを少しばかり申し訳なくも思いながら、クラークは2人へ、頭を下げた。
「だから……すまない。この話は、断らせてほしい。私はもう少し、ブラックストーンに居たい。そこで何か、できることがあるはずだから」
馬鹿な決断をしたような気もする。だが、それを言うなら、今更だ。
看守になった。脱獄の手引きまでした。これ以上、愚かな決断などあるだろうか。あったとしても、今更だ。0が1になるのは大変なことだが、2が3に、3が4に増える程度、最早何でもないことである。
「……あなた、変わったねえ」
少々後ろ向きに決断したクラークを見て、オリヴィアは小さく、ほう、とため息を吐いた。恐らく、落胆ではなく、感嘆の意を込めて。
「本当に変わっちゃった。ねえ、クラーク。あんたさあ、前は、『自分にできることが無いから看守になった』なんていう風に言ってたのに。今は、『自分にできることがあるから看守で居たい』なんて言うのね」
オリヴィアの言葉を聞いて、ああ、矛盾しているな、と思う。一貫性が無い、のかもしれない。
そう。クラークは随分と変わった。変わったということは、一貫性が無いということだ。筋道が通らない。そういうことを、クラークはしている。
……だが。
「いいじゃない。うん。なんか、多分、それでいいのよ」
オリヴィアはそう言って笑う。それが、クラークには申し訳なく、ありがたく、そして眩しい。
「……その、誘いを断ってしまって、申し訳ないが……嬉しかった。同情以外の理由で、誘ってもらえて」
眩しさから目を逸らすように俯いてそう伝えれば、オリヴィアは『あー』と声を漏らした。
「うー……うん。そうよね。前回は、うん、そんなかんじだったものね。失礼なこと言っちゃってたわ」
「あ、いや、別に、あなたが失礼だっただとか、そういう話では」
「いや、失礼だったでしょ。うん……それを認められない程未熟じゃないつもりよ。失礼なことする程度には未熟だけど……」
オリヴィアが少々しゅんとしてしまったのを見て、いよいよクラークはおろおろと戸惑う。それをエバニはにこにこと見ているが、にこにこしていないで何とかしてくれ、とクラークは内心で思った。この友人は、つくづく、こういう時には不義理なのである。
「ねえ、クラーク」
やがて、オリヴィアは、妙に決意を込めた目で、クラークを見上げてきた。
「……やっぱり、私のほっぺ、伸ばす?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
自分でも何を言っているのか分からないし、何をやろうとしているのかよく分からなかったが、クラークはオリヴィアに提案されたままに、オリヴィアの頬へ恐る恐る手を伸ばす。
ふに。
……ふに、ふに、ふに。
そして親指の腹と人差し指とで、あまり力を入れないように、そっと、そっと、オリヴィアの頬をつまんでは離し、つまんでは離す。
未知の感触に、クラークはしばし、夢中になっていた。それにオリヴィアはとまどっていたが、エバニは『まあ、気持ちはわかる』と頷いていた。
……後に、クラークはオリヴィアから『あの時のあんた、人間の赤ちゃん見た時のエルフ達みたいな顔してたわよ』と言われるのだが、今のクラークはそんなこと、知る由もないのである。