エルフの里*3
しばらく、姿の見えないエルフとの硬直状態が続いた。
さりげなく、クラークは木の枝の上を見てみたのだが、木の葉に隠れて視界は悪く、どこに声の主が居るのか分からない。だが、確実に『何かが居る』ことだけは分かる。
クラークは、いつ矢が飛んでくるか、と恐ろしく思いながらも、『だがエルヴィスの同郷の仲間のはずだ』と信じて待った。
……すると。
「人間。お前はエルヴィスとどういった関係だ?」
幾分、棘の取れた声がまた、降ってくる。ひとまず、すぐに射殺されるようなことはなかったようだが、まだ油断はできない。
「関係……」
そこで、なんと返答すべきか考える。看守と囚人、と言ってしまえばそうなのだが、それでは少々不誠実なようにも思う。今のクラークとエルヴィスの関係が、一般的な看守と囚人のそれではないことくらい、クラークにもよく分かっている。
そうだ。もう、クラークは看守ではない。看守の役目を果たそうとはしているが、あの脱獄の日、クラークは看守としての立場を捨てた。
だから、クラークは、エルヴィスと……あの時、友達に、なったのだ。
「そ、その……と、友達、だ……」
嘘は言っていない。嘘ではないだろう、多分。烏滸がましいような気もするが、嘘ではない。
……そう思いながらも大いに緊張して、クラークが答えると。
さふ、と軽やかな音を立てて、腐葉土の上にエルフが1人、降りてきた。その位置がクラークの予想のどれとも異なっていたので、そこに居たのか、とクラークは少々驚く。
そしてそのエルフは、まじまじとクラークを見て……目を輝かせていた。
「……おおー、照れてる。照れ屋の人間だ!」
更に、そんなことを言いだした。
「て、照れ屋ではない」
「人間っておもしれー……ちょっとアイザックに似てるところあるなー」
そのエルフは弓と矢を片手にしたまま、くるくるとクラークの周りを回って、クラークを眺めに眺めた。クラークは『これは一体どうしたらいいんだ』と困惑しながらも、エルフに見つめられ続ける。
……すると。
「おおーい、何かあったのかい?……ん?」
向こうからやってきた声は、クラークにとっては救いの手に感じられるものだ。クラークが心底安堵していると、声の主……エバニ・ブラッドリーが、さふさふ、と腐葉土を踏みしめてこちらへやってくるところだった。
「おや、クラーク!久しぶり!」
「ああ。久しぶりだな、エバニ」
輝くような笑顔でやってきたエバニに手を取られて、クラークもエバニの手を握り返す。
……ようやく、クラークはエバニの前に堂々と立てるようになった。そんな風に思えた。
変わったことといえば、エバニが脱獄したことと、クラークがそれを手引きしたこと。そして何よりも、クラークの心境だ。
クラークは、一度全て諦めて、疲れ切って、そうしてようやく、エバニの前にこうして立てるようになった。
誇りも何も無いことを諦めて、見栄を張りたい気持ちが死んで、そして看守ですらなくなって……ようやく、エバニとただの友達に戻れた気がしたのだ。落ちるところまで落ちたと思っていたのだが、実際のところ、落ちてみてようやく、辿り着きたかったところに近づけたような、そんな気がしている。
「エバニ。この辺りに町ができたようだが、あれは、あなたが?」
「まあ、そうだね。……流石に脱獄仲間全員が入れるほど、エルフの里は大きくない。それに、僕達の後にも脱獄してくる者が増えるだろうと思っていたから、初めから町を作ることにしたんだよ。ああしておけば、今後人が増えても大丈夫だから」
やはり、あの町の様相はエバニ達によるものだったらしい。脱獄した囚人の中には知識層の思想犯が多かったこともあり、こうした先導は実にうまくいったことだろう。
「エルフの森は不可侵の森だから、国としても手を出しにくい。おかげでこちらは大した武力衝突も無く平和なものだよ」
「それはよかった……」
「ただ、そのおかげで国中から人が集まってきていてね」
エバニは笑いながら、実に楽しそうに、言った。
「特に手引きしなくても、この国の中心はこの辺りになりそうだね」
それからクラークはエバニと、最初に出会ったエルフと一緒にエルフの里へと向かった。エルフは終始目を輝かせながら『最近、人間が沢山来るから飽きなくていいなあ』と喜んでいた。『照れ屋の人間は珍しい!』とも。……これについてクラークは『照れ屋ではない』と反論したのだが、エルフはにこにこと嬉しそうにしているばかりだ。不本意である。
さて、エルフの森の中を進んでいくと、やがて、エルフの里に着く。そこは、まるでお伽話の中のような世界であった。
巨木の枝の上に可愛らしい家がちょこんと載っていたり、巨木の幹の洞の部分に家ができていたり。はたまた、石を積んで造ったらしい立派な城も見える。
そこかしこに花が咲き、蔓が伸び、そして、ほやりと光を灯す木の実が木の枝や蔓に吊るされていたり、花から滾々と水が湧き出て泉を作っていたり。太い太い木の根が道を作り、枝葉が屋根になり……エルフ達が植物と共に生きていることがよく分かる町であった。
不思議な町を進んでいくと、方々から視線が向けられる。エルフ達が揃って視線を向けてきては、『人間だ』『新しい人間だ』『珍しいね』『なんだか可愛いなあ。まだちっちゃい!』などと囁き合っている。どうやらクラークは、エルフ達からしてみると『まだちっちゃい』らしい。
エルフ達の視線を浴びて少々居心地の悪い思いをしながらもクラークが進んでいくと、やがて、新しく造ったのであろう家が見えてきた。漆喰で塗られた壁も、ガラスが嵌め込まれた窓も、どこか人間的な建物である。恐らく、あそこがエバニの家なのだろう。
エルフはクラークがエバニの家に入るのを見届けて、『じゃあ、楽しんでいけよ!』と去っていった。矢を射って威嚇してきたエルフと同一人物だとは思えない豹変ぶりである。
「じゃあ、どうぞ。遠路はるばる、大変だっただろう。ゆっくりしていってくれ」
「ありがとう」
エバニに招き入れられた家の中は、素朴で、どこか品がよく……そして、本が多い。エバニの家は昔からそうだった。図書館とはまた違った雰囲気の、この本だらけの空間が、クラークは大好きだったのだ。
「お茶は出せるぞ。あと、おやつも。クラーク。この森はいいぞ。ちょっと出歩けばおやつの木の実も茶葉も手に入る」
エバニがうきうきと台所へ向かったと思ったら、うきうきと戻ってきて、カップとティーポット、そして木の実が入った木のボウルを盆に載せてやってきた。勧められたそれらを口にすれば、茶は爽やかな香りが中々良く、木の実は炒ってあるのか香ばしく甘く、どちらも美味かった。
クラークが茶を飲み、木の実をつまむのを見て嬉しそうにしていたエバニも、一緒に茶を飲み、木の実をつまんで……そして、互いの近況報告をする。
クラークの方は、3人で刑務所暮らしをしている話だ。これがエバニには中々に面白がられた。『まさか君がそういう不思議な生活をしているなんて!』とのことだったのだが、クラーク自身も自分が随分と変わった自覚があるため何も言えない。
その通りだ。クラークは今、『不思議な生活』をしている。奇妙なことに。
「じゃあ、クラーク。君は今、それなりに楽しく、それなりに幸せにやっているっていうことかな?」
「幸せ……まあ、恐らくは」
エバニに問われて返事をすれば、エバニはそれはそれは嬉しそうな顔をする。『よかった!』とにこにこ笑うエバニを見ていると、なんとなく『あの奇妙な生活を、自分は幸せだと思っているんだな』とようやく受け止められるようになってきてしまう。
「そうかあ……ちなみにね、僕も今、幸せにやっているよ。君のおかげで」
そしてエバニは、そう言ってまたにこにこと笑う。
「私のおかげでは……」
「いやいや、君のおかげだよ」
クラークは慌てて否定したが、エバニは『クラークのおかげ』を取り下げる気は無いらしい。
「君があそこで脱獄を持ち掛けてくれなかったら、僕は生涯、妻にも娘にも会えなかっただろう」
エバニはそう言って、茶のカップに視線を落とす。
クラークはその『もしも』を考えて、少々寒気を覚えた。
エバニの一家は、クラークから見て、理想的な一家だ。幼いころからエバニ達を見ていて、クラークは心底、彼らが羨ましく……同時に、彼らが傷つけられることなどあってはならないと、強く思っていたのだ。
だから、その一家が、生涯離れ離れになるようなことにならずに、本当によかった。クラークは己の行いが多少なりとも自分の理想を守ってくれたのだと、ようやく実感できた。
「今はエルフの友人達に妻に娘に、楽しく皆で暮らしてるよ。老後の生活みたいだけれど、これも悪くないね。森の外の町づくりに協力するっていう趣味もあることだし……」
「ああ、森の外の町は……ええと、あれは、今後もっと大きくなっていくのか」
「多分ね。幸い、あちこちから脱獄してきた同志達が続々と集まってきてくれているんだよ。ああ、ラウルスも脱獄してきた。これも君のおかげかもしれないな。お行儀のいい思想犯達にお行儀の悪い前例を示せたっていうのは、大いに意味があったと思うよ」
ラウルス、というのは、エバニの兄だ。ブラッドリー魔導製薬の社長でもある彼だが、クローバレー刑務所に投獄されていたはずで……そして、クローバレーはブラックストーンの次に大量脱獄を許してしまった刑務所だ。恐らくラウルスも脱獄したのだろうと思ってはいたが、どうやら本当にそうだったらしい。
「この森の近くであれば国は攻撃してこない、と言っていたが……本当に?エルフごと巻き込む可能性は?」
「無いわけじゃない。だが、エルフもそれを許してくれているよ。『ご近所に人間が居ても居なくても、あの国なら攻めてきかねないし。それに、ご近所に善良な人間がいっぱいいると、眺めてるだけでも楽しいし』っていうことらしい」
エルフにとって、人間とは物珍しい生き物であるようだ。先程クラークも『照れ屋の人間だ!』と輝く瞳を向けられていたが、まあ、娯楽として楽しんでもらえるならそれはそれでいいのかもしれない、とクラークは割り切ることにする。
「それに、エルフだけだとどうしても数が少ない。いざ人間の国が攻めてきた時、抵抗しても犠牲が多く出るだろう。その点、我々が中心になって戦えば、エルフ達を守ることもできる。国の戦力は限られる訳だから、こちらは一極集中して迎え撃った方がいいんだよ」
「……やはり戦争になりそうか」
「うーん、どうだろうね。このまま王が素直に引き下がってくれるなら、そうならないだろうけれど。まあ、一応、準備だけは進めているよ。エルフの技術はやはりすごいし……それにこちらには、魔導機関とエルフの魔法の融合であるポーション工場の先駆者、ブラッドリー一家が揃ってるんだからね!」
暴力は、最後の手段だ。どうしようもない現状を変える時には暴力しか手段が残らないわけだが、それでも、暴力は肯定されるべきではないと、クラークは考えている。
クラークが行った脱獄の手引きだって、正しくはなかった。未来で傷つく人を増やす行為だっただろう。……だが、それでもクラークはこの道を選んだ。自分には取り切れない責任を、近い未来に放り投げてしまった。その決断自体には、悔いは無い。申し訳ないとは、思っているが。
「……まあ、それほど心配は要らないだろう。何せこちらは知能犯の集合体だ。各地の刑務所に収監されていた知能犯がたっぷり揃ったこの状況なら、まあ、色々と融通が利くことも多い。無血開城も、夢じゃないかもしれない」
エバニの言葉に多少の希望を抱きつつ、クラークは頷く。エバニがクラークと同じように、傷つく人を減らしたいと考えてくれていることが嬉しい。同じ方向、同じ場所を見据えている友人の存在は、とても心強いものだ。
「……さて。まあ、お互い、現状報告はこんなところにしておこうか」
茶を飲み、話し、話が一区切りしたところで、エバニはそう言って笑った。
「ええと、多分、君、オリヴィアに呼び付けられてここに来たね?」
「ええ。手紙が鳥経由で届いたから」
「成程なあ。いや、やっぱりそうか。最近、オリヴィアがそわそわしていたから」
エバニは楽し気にくすくすと笑っているが、クラークは、忘れていた緊張が徐々に戻ってくるのを感じている。
そう。オリヴィアだ。ここへ来たのは、オリヴィアに呼ばれたからである。今のクラークが最も緊張する相手であろうオリヴィアである。
「じゃあ、オリヴィアに君を譲らないとな。ほら、帰ってきたみたいだし」
窓の外を見てみると、こちらへ向かってくるオリヴィアの姿が見えた。
……クラークは只々、緊張した。