エルフの里*2
「……これは私のことか」
「他に誰が居るんだよ」
「お前……は兄か」
「そうだなあ、うーん、まあ、お兄ちゃんっちゃあそうなんだが、俺、オリヴィアの曽爺ちゃんと友達なんだぞ?お兄ちゃんってのも違うんじゃねえかなあ」
エルヴィスが『精々友達だよなあ』と首を傾げている横で、クラークは頭を抱える。
「……私に、エルフの森に、来いと」
「オリヴィアはそう言ってるなあ」
「……私はどうすれば」
「行って来いって。めんどくせえなあ」
エルヴィスにけらけらと笑われ、アレックスにも笑いながら肩を叩かれ、クラークはますます、頭を抱えたい気分になってくるのだった。
そうしてクラークは、有給休暇を取得した。
アレックスは『今更休暇もクソもあるかよ』と言っていたのだが、いくらたった3人だけの刑務所であったとしても、クラークはこうした手続きを疎かにしたくない性質である。
きちんと帳簿に自分の休暇の届けを書き込み、残りの休暇日数を算出し、ついでに『休暇中どこに滞在するか』といった書類も全て書き上げてアレックスに提出した。アレックスは『これ、確認する俺も面倒なんだがなあ』と言いつつもきっちり目を通してくれた。
……そうしてクラークは、無事に有給休暇を取得できてしまい……できてしまった以上は仕方なく、エルフの森へ向かうことにしたのである。
エルフの森は、人間の国の中にある。一応は。
というのも、国境近くの一部分がエルフの森なのだが、人間の国側がエルフの森の土地も領土であると主張しているだけなのだ。エルフは人間の国に帰順したわけではなく、そして、人間もエルフを統治できている訳ではない。
そして、エルフ側は人間の出入りを拒んでいるが、気を許した人間の出入りはむしろ積極的に歓迎しているらしい。そう、エルヴィスから聞いた。また、オリヴィアやエバニからも聞いたことがある。
なんでも、エバニの一族は代々エルフの友であるらしく、エバニの母エリカ・ブラッドリーの父であるグレン・トレヴァーは、エルフの里に歓迎され、森から持ち帰った希少な植物を売る国内唯一の花屋として重宝されていたのだとか。
また、エバニの弟、アイレクスは小さい頃から大層エルフ達に気に入られているらしい。クラークもアイレクス・ブラッドリーには会ったことがあるが、どことなく不思議な雰囲気の人だった。今思うと、エルヴィスに少し似た雰囲気で……要は、エルフに似た雰囲気だった、ということなのかもしれない。
エルフの森へは、ブラックストーン刑務所から魔導機関車で朝から夕方まで掛かるほどの距離である。勿論、運転に不慣れなクラークが続けて運転を続けることなどできないので、途中で宿を取って2日の旅程となる。
クラークは不慣れな魔導機関車を運転して、なんとかエルフの森まで向かうことになった。車の運転だけでも緊張するのだが、更に向かう先がエルフの森だというのだから余計に緊張する。
尤も、運転に集中せざるを得ない状況では、無駄な考えを止めることができて丁度良かったかもしれない。さもなければ、ずっとずっと、クラークはオリヴィアについて考え続けていただろうから。
クラークが予定していた宿に到着したのは、夜になってからだった。
宿の1軒目には『もう満室だ』と断られたので仕方なくあちこちを彷徨い、そうしてなんとか宿を取った。その宿にしても『あなたで丁度満室よ。よかったわね』とのことだったので、不幸中の幸いだったのだろう。
部屋は狭く、必要最低限のものしか置いていなかったがクラークには丁度いい。独房が中々気に入っているほどのクラークなので、狭さはむしろ歓迎の材料だ。
さて、部屋にずっと居て、ずっとぼーっとしていたかったのだが、そうもいかない。体は確実に栄養を欲しているので、食堂で食事を摂る。
宿に併設された食堂へ向かえば、そこは中々に混雑している。
魔導機関による灯りでもなく、古き善きランプの灯に照らされた食堂の中は、多少、薄暗い。だが、そこに集う人の表情は、それなりに明るかった。
板張りの床やテーブルは古びてはいるが、丁寧に磨いて手入れされ、善い齢の取り方をしたような趣がある。そしてテーブルの上に並ぶ料理は、素朴な煮込みや田舎パンなど、飾り気こそ無いが温かな雰囲気に満ちて、食欲をそそる。
……そんな食堂の中を見回して、クラークは首を傾げた。
恐らく、この食堂は昔からこうも繁盛していたわけではなさそうだ。だが、今は人々がそれぞれに料理を食べ、時には酒を飲み、込み合っているのだから不思議なことである。
この辺りは然程、人通りが多くない。この町に観光名所がある訳でもなく、学術機関がある訳でもない。要は、誰かが立ち寄るにしてもどこかへの中継地点としてであり、このように混雑しているとは、予想外だったのである。
「いらっしゃい。ご注文は?」
「ああ……消化に良さそうなものを適当にお願いします」
至極合理的な注文をすれば、注文を取りに来たウェイトレスはくすくすと笑った。
「お兄さん、胃の調子でも悪いの?」
「まあ、これから調子が悪くなりそうだ、といったところで」
先程までは車の運転のおかげで考えずに済んでいた。そして今も、疲労によって物事を考えずに済んでいる。が、到着してしまえば考えないわけにはいかないだろうし、考えるまでも無く、オリヴィアやエバニと会って話すことになる。……ちらと考えるだけでも胃が痛くなりそうだ。
「ところで、随分混んでいるんですね」
考えると胃が痛くなりそうなので、クラークはさっさと話題を逸らす。それに、この混雑の理由は多少、気になった。
だが。
「ああ、そうなのよ。ほら、最近、エルフの森の方へ向かう人が多いでしょ?」
唐突に、ウェイトレスからそう言われてクラークは驚いた。
「え?エルフの、森へ?」
「ええ。……あら?お兄さんは別の方へ行くんだったの?てっきり、お兄さんもそうだと思ったんだけど、違った?」
「ええと、まあ……」
曖昧に返事をしながら、クラークは只々、困惑する。
エルフの森は、人間を拒む森だ。だからこそ、人が向かうのはおかしい。
……とはいえ、最近、大勢の人間がエルフの森へ向かった例を知っているクラークとしては、『まさかな』と思いつつ、ウェイトレスの言葉の続きを待つ。
「ほら、最近、エルフの森の周りに町ができ始めてるでしょ?エルフの森は不可侵の森だから、エルフの森の近くに居れば、王国軍が攻めてくることもないんじゃないか、って」
「ま、町……?」
「そうよ。なんだか一気に人が集まって、一気に町の形になっちゃったって、この辺りでも評判なんだから」
笑うウェイトレスに生返事をしながら、クラークは……クラークは、何かとてつもなく大きなことが起きているのだと、実感した。
刑務所の中で暮らしていると今一つ実感できなかったこの国の動きが、今、身を以て感じられている。
……予想以上に、この国は大きく動いているのだ。
その夜はよく眠れた。不慣れな魔導機関車の運転は、クラークからごっそりと体力と精神力を奪っていたらしい。満腹になり、シャワーを浴びた後、眠りに就くのはあっという間だったのだ。これまた考える時間が無くて丁度良かったのかもしれない。
そして翌朝は、昨夜のうちに食堂で購入しておいた田舎パンを部屋で食べ、すぐに宿を出て車を走らせる。
「……車が多い」
そして昨夜のウェイトレスの言葉がいよいよ実感できる。なんと、街道には、車が何台も走っているのだ。
クラークの車以外にも、何台かの魔導機関車が先を行っているのが見える。そしてクラークの後ろにも、車が走っている。
……まさかこれほどまでとは思わなかった。つくづく、自分が刑務所に居る間に世界が大きく変わっているということを実感して、クラークは少々頭の痛いような気分になる。これは、オリヴィアに招かれて外にでて、良かった。あのままずっと刑務所に居たら、この現状を知らないまま過ごしていたかもしれない。
さて、そうして車を走らせていくと、やがて、丘を越えた先に森が見えてくる。
あれが、エルフの森だ。噂にしか聞いたことの無い、人間を拒む不可侵の森。聖なる森だと言う者もある、そんな森である。
……そして。
「町だ……」
その森の裾の方には、ぽつぽつと灯りが灯っており、簡素な家屋やテントが並んでいた。
どうやら本当に、町ができているらしい。
森近郊の町の更に端、そこに魔導機関車を停車させたクラークは、昼下がりの太陽の下を歩く。
初夏の陽光は少々暑いほどであったが、さわさわ、と揺れる木の葉の音や、森から吹いてくる爽やかな風が涼やかだ。不快な天気ではない。
さて、どうしたものか、と少し考えたクラークだったが、エルヴィスから教えられていた通り、真っ直ぐ森へ向かうことにした。オリヴィアがどこに居るのかは分からないが、ひとまず、『エルフの里へ来い』と書いてあった以上はエルフの里へ向かうことにする。
だが、森の中へ入るべく、足を踏み出してすぐ。
「おおーい!そこのお兄さん!駄目だよ、エルフの森に人間が入っちゃ!」
ばたばたと足音が聞こえて、クラークはそちらを向く。……すると。
「……久しぶりだな」
「あれっ!クラークだった!生きてたのか!」
なんと。森の門番の勤めを果たしていたのは……ブラックストーンを脱獄した囚人だったのである。
元囚人、現脱獄犯の彼が『クラークだ!クラークだ!』と騒ぐと、すぐ、わらわらと見覚えのある顔が集まってきた。そして『本当だ!クラークだ!』『元気だったか!?大丈夫だったか!?』『ところで私服で居るの初めて見た!』などと騒ぎ出す。
煩い。非常に煩い。更に何故か、しゃんしゃらしゃんしゃら、タンバリンの音まで聞こえてくる。幻聴だろうか。いや、幻聴ではないのだろう。幻聴だと思いたかったが……。
「クラーク、森の中に用か?」
「ああ。エルヴィスの紹介状を持ってきた。……エバニに会いたいんだが」
それから、囚人達の中にエバニの姿が無いか探したが、どうやらここには居ないようだ。
「エバニに会いに来たのか?なら、家族と一緒にエルフの里に住んでるから、すぐ行ってやれよ」
「エバニはすげえぞ。エルフと交渉して、俺達が森の傍に住む許可をもらってきた。今はエルフと俺達の橋渡し役を家族揃ってやってくれてるんだ」
成程。家族揃ってエルフの里に居るということなら、オリヴィアもそこに居るのだろう。
ならばやはり、クラークはエルフの森へと足を踏み入れなければならないようだ。
エルフの森の中は、静かだった。植物も小動物も、全ての生き物が沈黙することを選んだかのような、そんな気配に満ちた場所だった。
ここは人間達の森ではない、とすぐに分かった。ガラス細工のような百合の花が咲き、金の鈴のような実が実る茂みがあり、そして、エルフと同じかそれ以上に生きているのであろう巨木が群を成している。
どう見ても、ここはエルフの森だ。本来、人間達が踏み込んではいけない場所なのである。
クラークは微かに、緊張を思い出す。何か間違ったら、エルフに殺されても文句は言えない。ここは、そういう場所なのだ。
突如、静謐な空気を微かに震わせて、鋭い音がする。
しゅっ、と風が一陣吹き抜けた、と思ったら、どすり、と音がして……クラークの足元に、矢が突き刺さっていた。
「誰だ。ここはエルフの森だ。人間の立ち入りは許していない」
上の方……恐らく、木の上から声を掛けられて、クラークは只々緊張しながら……それでも、胸ポケットに入れていた紹介状を広げて掲げる。
「クラーク・シガー。エルヴィス・フローレイの紹介でここに来た」
どうか、矢の二発目が飛んでこないように、と祈りながら。