エルフの里*1
それから、半年。
ブラックストーンに残っていたクラークとアレックス、そしてエルヴィスは、幾度もの事情聴取を経て、元気に生活していた。
「ほれ、今日の新聞」
「……また脱獄か」
「もうこの国に脱獄が発生してねえ刑務所、無いんじゃねえの?」
「いや、まだ2つくらいはあったはずだが……いや、あったか?」
そして朝食を3人一緒に摂りながら、新聞を確認して生暖かい笑みを浮かべる。
「ついでに町が1つまた、国からの離反を表明したらしいぜ」
「これでそろそろ半分を超えるか……」
新聞は、この国の現状を嬉々として報じてくれている。新聞社も最早、この国を批判し、国家転覆を疑うことを憚らない。
……そう。今、この国は革命の最中にある。
『ブラックストーン刑務所の革命』は、国中を揺るがす大ニュースとなった。
囚人達が一人を除いて全員脱獄し、看守達も雲隠れしてしまった、という大きな事件を、全ての新聞や雑誌が取り扱い、国民は皆でそれを噂し合って、次々に話が広まっていったのだ。
……というのも、報道規制が入らなかったからである。
そう。『思想犯が脱獄した』というだけであったら、国が圧力をかけて報道しないようにしてきた可能性があった。それが『反乱軍』を鼓舞しかねないということは、国にも分かっていたからだ。
だが、ほぼ全ての囚人が脱獄し、ほぼ全ての看守が逃げたとあっては、流石に隠蔽しきることができない。ならば『凶悪犯への注意喚起』のためにも、国は先手を打ってこれらの報道を行い、脱獄した囚人達を指名手配するよう国中へ報せを出した。
……が、国の誤算は、既に国民の大半が非常に無気力であるか、既に国へ疑いの目を向けているか、そのどちらかだけであった、ということである。
報せを出したものの、指名手配犯を積極的に探す者は居なかった。なんと、警官でさえも、一生懸命に働く者がほとんど居なかった。
そして国民達のほとんどは、無気力だった。『ブラックストーンで脱獄騒ぎがあった』というニュースさえ、彼らには自らの日常を脅かす脅威として捉えられず、どこか遠い世界の話……しかし、それでいながら確実に日常の気配を変えてくれる何か、として受け止められたのだ。
そう。
怠惰な国民達にとっては、最早、変容こそが正義であった。
ただなんとなく、漫然と過ごしながらもそれが良くない方へ向かっていることだけはぼんやりと理解していた彼らは、『よく分からないけれど何かが変わりそう』という気配を、深く考えずに歓迎してしまったのである。
……そして、そうこうしている間に、クローバレー刑務所でも脱獄騒ぎがあった。こちらはブラックストーンのように大人しい脱獄ではなく、爆発物が飛び交い、刑務所が破壊されての脱獄騒ぎであったため、近隣住民からあっという間に噂が広まり、これもまた国中を揺るがすニュースとなった。
クラークは詳しく知らないが、アレックスが多少、クローバレーの事情を知っており……彼曰く、『あそこも全てがどうでもいい看守ばっかりだったからな』とのことである。要は、看守も真面目に脱獄を止める気が無いのである。
尚、エルヴィスはこれを大いに喜んだ。というのも、クローバレー刑務所というのが、ラウルス・ブラッドリーの収監されていた刑務所だったからだ。
これについては恐らく、エバニが何かしたのだろうな、と思われた。エバニが自分の兄を救うべく何か行動し、クローバレー刑務所も囚人のほぼ全てを外へ逃がすことになったのだ。
……それからの数か月で、国は大きく姿を変えた。
2つの刑務所の騒ぎに鼓舞されたように、他の刑務所でも脱獄騒ぎが起きたのである。
これについては国も無対策ではなかった。国が直々に『全刑務所は細心の注意を以てして業務にあたること』と通達を出したのだ。だが、逆に通達以外のもの……人員であるとか、資金であるとか、そういったものは全く出さなかったので、従う刑務所がどこにも無かった。
国に従っておけば安定した暮らしを続けられる、という保証は今やどこにも無いのだから、当然と言えば当然かもしれない。
さて。
そうして国が変わっていく中、クラークとアレックス、そしてエルヴィスは、国から直々に派遣された役人や警官達から事情聴取を受けていた。
これに対し、クラークとアレックスは『自分達は非番だったので当時の状況はよく分からない』『囚人達は皆賢く、看守を出し抜く能力は十分にあったのでそれが原因だと思う』と口裏を合わせて答え続けた。
……これについて、クラークは当然、反対した。真実を明かすべきだ、と。
だが、アレックスが『お前がゲロッちまったら俺の身もあぶねえなあ。あーあ、お前が正しさなんつうもんにしがみ付いちまうと俺は死刑だろうなあー。逆にお前がちょいと柔軟にやってくれりゃ、誰も困らずに俺の命が助かるんだけどなあー』と、自分自身を盾に脅してきたので、屈せざるを得なかったのである。
また、クラークが折れた理由の一つに、『賢い人間を大量に収監しておくことには脱獄などの危険が伴う』ということを国に理解させる手段が得られた、というものがある。
囚人達だけの力で脱獄が行われた、とすれば、知識人に難癖をつけて悉く投獄していく今の国の在り方に疑問を呈することができる。
……真っ直ぐなやり方ではない。だが、これもまた、大きな『正しさ』へ至るための道なのである。
クラークは、もうこの際、自分の誇りも信念も捨てることにした。ただ、自分に身近な人を守り、そして、この国の大局が正しい方へと向かうように、と、ただそれだけを目指して生きることにしたのだ。
……そうして、クラークとアレックス、そしてエルヴィスによる、3人だけの刑務所生活が始まった。
取り調べなどで初めの3か月はバタついていたが、それも『所長への贈賄であなた方を訴えてもいいんですがねえ』とアレックスが凄んで見せれば、やがて役人も警官も来なくなった。
そして、囚人であるエルヴィスが1人残っている以上、ブラックストーン刑務所を解体するわけにもいかず、更に、『絶対に何か知っているがまるで口を割らず、ただ飄々としている終身刑のエルフ』を他の刑務所に入れることでその刑務所でまで脱獄が始まるのでは、と恐れた彼らによって、エルヴィスもここに残され続けることとなった。
3人だけの刑務所暮らしは、気楽なものである。
毎朝、当番制で誰かが朝食を用意し、洗濯機を動かし、新聞を取りに行き、3人揃って食事を摂る。時々、図書館の司書が混ざることもあった。
食事が終わったら、作業……3人で刑務所内の掃除や整備を行ったり、中庭の手入れをしたり、中庭の植物を使って売り物を作り、図書館で販売する。
何せ、国は補助金を出すことをすっかり『忘れている』ので、多少なりとも稼がないとやっていけない。現金の形で保管されていたものがそれなりにあったのでそうあくせく働かずとも3人が生きていく分にはなりそうだったが、何もしないというのも暇なのだ。
そうして働いた後には、音楽室で演奏を楽しむこともあった。時には図書館で司書を手伝い、図書館を利用しにやってきた近隣住民と語らい、やってきた子供達に絵本の読み聞かせをしてやり……と、楽しく暮らす。
クラークは『最早これは刑務所ではないのでは』とアレックスに申し出たこともあったのだが、『バカヤロー、当然だろうが』と返されて以来、それもそうかと思ってこの不思議な生活を受け入れている。
エルヴィスはこれが楽しいらしく、『気の合う連中と自由に暮らすのって楽しいよなあ』と言っている。自由とはいえ、外出は制限されているので自由かどうかには疑問があるが、まあ、今までと比べれば格段に自由だな、とクラークは理解した。
そうして夜になったら食事を摂り、シャワー室を広々と使い、そしてそれぞれ勝手に眠った。
エルヴィスは最近、日替わりで色々な独房に入ることを楽しんでいて、『今日は100号室に入る!』といったように、毎日とっかえひっかえ寝床を変えていた。
……実はこっそり、クラークも独房に入ってみたことがある。本来ならば自分はここに居るべきだったのだが、と思いながら、鍵のかかっていない独房で一夜を明かしてみたのだが、3人しか居ない、見回りも無い静かな刑務所の独房は妙に落ち着いて、少々、これを気に入ってしまった。
それ以来、クラークは時々、自室ではなく独房で寝ていることがある。アレックスにこっそり打ち明けてみたところ、大変に笑われたが。
その日も皆で揃って中庭の手入れをして、中庭に丁度実った杏の実の収穫をしていた。
杏の実は煮てジャムにする。それを焼き物の瓶に詰めて売るのだ。売らない分は皆の朝食のパンに塗る分となる。エルヴィスは杏のジャムを気に入っているので、毎年杏が実る季節になるとうきうきそわそわと楽し気なのだ。
……が、そうして杏の木に向かっていると。
「おっ、来たな?」
ぴいぴい、と囀りが聞こえ、やがて、ぱさぱさと柔らかな羽音が聞こえてくる。見上げれば、白い鳥が何羽も何羽も、大量に集まって飛んできていた。
やがて鳥達はエルヴィスをすっぽり囲んでしまう。……こうなることが分かっていたのでアレックスもクラークも、鳥の囀りが聞こえてきた時点で、さっ、とエルヴィスから距離を置いている。うっかりエルヴィスの近くに居ると、一緒に鳥まみれになってしまうのだ。
鳥は一頻りエルヴィスを囲んでから、やがて駄賃に杏の実を貰って、それを啄み始める。そうしてようやくエルヴィスは鳥達の中から脱出してきて、笑いながら手に持ったものをふりふり、とやって見せてきた。
「手紙。ほら、クラーク。お前も読んどけ」
手紙は、素朴な紙にただ文章を書いて、それを鳥の脚に結び付けただけのものだった。封筒がある訳でもなく、ただそれだけだ。
だが、そこには見覚えのある筆跡が並んでいた。先に差出人を確認すると、案の定、『オリヴィア』とあった。姓を書いていないのは、途中で鳥に何か事故があった時のことを危惧してなのだろう。
オリヴィアからの手紙、というだけでクラークは緊張してしまうのだが、意を決して、中を読む。……すると。
『森に居ます。大分落ち着きました。こちら、全員無事。ついでにぼちぼち楽しいわよ。』そう、冒頭に書いてあった。
「……よかった」
クラークはその場に座り込みたい気持ちで、天を仰ぐ。
オリヴィアが無事で、しかも、『ぼちぼち楽しい』となれば、クラークはもう、望むことなど何も無い。オリヴィアがこう書いているのだから、エバニは無事なのだろうし、クローバレー刑務所から脱獄したらしいラウルスも無事なのだろう。
「おー、よかったのか。ならよかったなあ、おい」
アレックスも笑ってクラークの肩を叩く。クラークは笑顔で頷き……そして、ふと、目の前で笑いをこらえているような様子のエルヴィスを見る。
「……なんだ、その顔は」
「いや?まあいいんだ。気にせず続き、読んでくれよ」
エルヴィスの顔と言葉に一抹の不安が過ぎる。だがひとまずは言われた通り、手紙の続きに目を通して……。
『一度、会って話したいわ。自分のことを弟だと思っていない弟にでもこっちに来させて』と書いてあるのを見て、クラークは絶句した。