檻を壊すということ*5
「ええー……諸君。実に残念な、お知らせだが……」
所長は実に沈痛な面持ちで、話し始めた。
「囚人が1人残らず脱獄した」
そして、集められた看守達は、『もう知ってるよ』というような顔をしていた。
「異議あり!1人残らず、じゃなくて、『1人を残して』ですよ、所長!」
更に、挙手して発言するエルヴィスを見て、看守達は『なんでこいつもここに居るんだよ』というような顔をしていた。
「……ところで、エルヴィス。おめー、なんでここに居るんだ?」
「いや、ブラックストーンの危機だからさ。俺もブラックストーン一同の内、ってことで」
「確かにブラックストーンの中に居るけどな、お前は看守じゃねえだろうがよ」
「1人しか囚人が居ねえんだからいいだろ。硬いこと言うなよ」
アレックスとエルヴィスは小突き合いながらひそひそと言葉を交わす。周囲の看守達は黙っていたが、それでも『まあ、エルヴィスだしな……』『1人しか囚人、残ってないしな……』というような、ひとまずエルヴィスを許容するような顔をしていた。
「……えー、では、訂正しよう。囚人が、『終身刑のエルフ』を除いて全員、脱獄した、わけだ」
所長は改めて話を始める。エルヴィスはふんふん、と頷きながら神妙にそれを聞いていた。
「これについて、原因の究明を行いたい。最早、原因を見つけたところで何になるわけでもないが……」
幾分、否、多分に自棄になっている所長は、そうぼやいてから、看守達を見回す。
「だが、このままでは我々全員が処罰されることになるだろう。国へ申し開きをする程度の状況説明はできるようにしておきたい。誰か、何か事情を知っている者は?」
ぐるり、と所長が看守達とエルヴィスを見回す中、真っ先にクラークが手を挙げた。
「私がやりました」
クラークの言葉に、場がどよめく。『何を言ってるんだ』『クラークがやったって?嘘だろ?』と、囁きがあちこちから聞こえてくる。
「……クラーク・シガー。お前がやった、というのは?」
所長は大変に驚いた様子で、クラークへ恐る恐る聞いてくる。それにクラークは、堂々と答えた。
「全ての独房の鍵を開け、彼らを図書館経由で第一車庫に誘導し、そこで車に乗せて脱獄させました。裏門は錆びて支柱がぐらついていたので、魔導機関車が突撃すれば突破できると考えました」
クラークの淀みない回答に、また周囲がどよめく。『まさか本当にやったのか?』『クラークが?信じられない……』と囁く周囲から視線を向けられて、クラークは少しばかり、怯みそうになる。
だが、自分は犯罪者だ。納得して犯罪者になった者だ。だからせめて堂々と、真実を話して逮捕されるべきなのである。
自分の行いが必要なことだったとは思っているが、逃げようとは思わない。だからクラークは、堂々と周囲の視線を浴び……。
「おい、クラーク!てめえ……適当抜かしてんじゃねえぞ!」
だがそこで、邪魔が入った。
「俺達を守るためだってのか?ああ!?……舐めた口利いてんじゃねえ!」
アレックスは憤った様子でやってきて、クラークの胸倉を掴んだのである。
咄嗟にクラークは、怯んだ。アレックスの行動の意味が分からず、混乱する。
アレックスはクラークがやったと、知っているはずだ。知っていて、このようなことを言う理由が分からない。
そしてその間に、アレックスは怒りの表情のまま、自分のポケットに手を突っ込んで、言ったのだ。
「馬鹿言ってんじゃねえ。お前、車庫の鍵は今日の夕方からずっと、俺のポケットに入ってたんだぜ?どうやってお前が、車庫の鍵を開けるんだよ!」
アレックスは、チャリ、と、ポケットから鍵束を取り出す。
「それは……」
それは間違いなく、車庫の鍵束であった。今日、これを使ってクラークは車庫を開放したのである。ちゃんと、覚えている。……だというのに、何故、今、あの鍵束がアレックスの手にあるのだろうか。
青ざめながらクラークが自分のポケットに意識をやると……確かに、そこには鍵が入っている重みが、無い。だとすると、いつの間にかアレックスはクラークから鍵を奪ったというのだろうか。
「……アレックス・ワイルド。何故、お前は車庫の鍵を持っていた?」
「ああ?今日の外回りは俺の当番でしたよ、所長。ミュルナーに代わってもらったんでね。確認するってんなら、ローウェンに聞いてくださいよ。俺と一緒に外回りだったんだから!」
アレックスはクラークの記憶に無い……そしておそらく、事実ではない出来事をぺらぺらと話す。すると、ミュルナー、ローウェンという看守達も、『その通り』『アレックスの言うことが正しい』と頷くのだ。
クラークはぽかんとし、一方でアレックスは満足気に頷いた。
「それに、独房の鍵を全部開けて回った、なんつうのもおかしな話だ。そんな時間、どこにあった?1人で全部の独房を開けたっつうのは幾らなんでも無理があるだろうが。ああ?」
「それは、囚人達に鍵を渡して……」
「現実味がねえなあ!もうちょっとマシな嘘を吐け!」
現実味が無くとも、事実なのである。本当に、クラークは独房の鍵を今朝の時点で盗み出しており、それを1本ずつ、それぞれ囚人達本人に持たせておいたのだ。……だが、悲しいかな、現実味が無い。確かに、その通りだ。全ての囚人が1日、大人しく、他の看守に事が露見しないように動いていたなど……信じがたいことでは、ある。
実際のところ、エルヴィスとエバニ、そして他の賢い囚人達の働きによって、今回の脱獄計画は成功したのだ。彼らは他の囚人達を上手く誘導し、動かしたのだ。まるで革命家による民衆の先導のようであったが、確かに、現実味が無い。その通りだ。だが、これが現実なのである。
「それに、裏門が錆びついてたっつうのは確かだが、流石に支柱が折れる程じゃ、ねえだろ!馬鹿にしてんのか!?なあ、つい3日前、今月の点検で門扉の確認した奴、居ただろ!?」
アレックスが更に声を張り上げれば、おずおずと、看守が2人ほど手を挙げた。……クラークの知る限り、彼らは門扉の点検業務を行っていない。仕事をせずにのんびり煙草を吸っていたところを知っている。だが……彼らは当然ながら、『門扉の点検をサボりました』などとは口を割らないだろう。
「な?裏門が錆びてて、車で突進すれば破壊可能だったなんてのは嘘だ!そしてそんな細工をお前がやってる暇は無かった!」
……そして、これについてもクラークは反論できない。
というのも、裏門を突破するにあたって、『じゃあ俺が細工しとく』とエルヴィスが何かをしていたらしいのだ。本来なら、裏門の鍵も盗み出しておく予定だったのだが、流石に鍵を盗んでばかりいては露見が早まるだろう、とのことで、今回の突破方法を選んだのである。
よって、クラークは、実際の裏門に何が起きたかなど、知らないのだ。『何故か』裏門が急速に錆びた、というようなことが起きたとしか説明できないのだが……それを説明すると、エルヴィスに罪を被せることになってしまう。そんなことは、クラークにはできない。
それに、そうでなくとも……既に勝負は、ついている。
どちらが信用を得られるかの勝負は、間違いなく、アレックスの勝利だろう。
……そう。
クラークが真実を告白しても、誰も、『クラークが犯罪に手を染めた』などとは、信じてくれなかったのである!
「……ってことですよ、所長。こいつはどうせ何もやっちゃいねえ」
アレックスがそう言えば、所長は戸惑いつつも頷いた。周囲の看守達も、『そうだろうな』『ほら、クラークは責任感が強すぎるんだ』などと言って頷いている。
「そうか……いや、だが、このままだと我々全員が処罰されることになるのだが……」
「あの、ですから、私が」
「おいおい、所長!だからって、やってもいねえクラーク1人を生贄にするみてえなこと、するってのか!?ああ!?卑怯だぞ!」
所長は間違いなく、クラーク1人を国へ差し出したかっただろう。クラークもそれに乗るつもりでいた。だが、アレックスが邪魔をする。クラークが『どうしたらいいだろう』と混乱していると……。
「あのー、いいですかね」
エルヴィスがのんびりと、手を挙げた。
「誰かが処罰されなきゃならないんですか?」
エルヴィスの声は、不思議とよく通った。然程大声でもないのに、この場に居る看守達全員に、しっかりはっきりと届いたのである。
「元々、この国はおかしい。法だって、おかしい。なのに処罰されなきゃならないってのは、人間達も大変だよなあ」
首を傾げつつそう言うエルヴィスに、看守達は皆揃って、『まあそうなんだけど』というような顔をする。処罰されたい人間など居ないのだから、当然である。(自らの正しさに則って動くことが行動原理であるクラークを除くが。)
「……いっそのこと、全員でバックれちまえば?で、法の方を変えてもらえばいいんじゃねえかなあ。どうせ国だって、溢れた脱獄囚達で手いっぱいだと思うぜ」
そして、エルヴィスがそう言った途端……看守達は皆、期待の籠った目で、所長を見つめた。
所長は看守達の、そしてエルヴィスの視線に晒されて……そして。
「私はもう知らん。ああ、責任など知ったことか!諸君らも好きにするといい!」
実に所長らしからぬことを言って、看守達から喝采を浴びたのだった。
それから看守達はさっさと動き始めた。
自分の部屋に戻って荷造りを始める者。刑務所の中のものを持ち出して『亡命資金にしよっと』と逃げていく者。『折角だ、証拠隠滅してやるか』と笑う者。……それらの中で、クラークは只々、ぽかん、としていた。
「……正しさが死んだ」
「そうかぁ?まあ、そうかもな。でも、それなら、これから生まれ変わるってことじゃねえか?」
エルヴィスの前向きな発言はクラークには少々の反感を持って受け止められたが……感情を抜きにして考えてみれば、確かに、そうなのかもしれない。
今、ブラックストーンは大きく変わっている。これが間違いなく歴史に残る事件であることは間違い無い。そしてきっと……この国が変わる、きっかけになる。
そう。正しさは、『生まれ変わる』のだ。クラークは自分の正しさに殉ずるためにも処罰を望んでいたが、それもある種のエゴイズムだ。いつまでも古いものに縋りついているのは、正しいこととは言えない。
「よお、クラーク。何ぼんやりしたツラしてやがる」
そこへ、笑いながらやってきたのはアレックスである。吹っ切れたような笑顔の彼に対して、クラークは戸惑いを隠せない。
「アレックス……何故、こんなことを」
「ああ?言っただろ。俺も一枚噛みたかったんだよ」
アレックスは先程のように、クラークの頭をガシガシと撫でる。撫でて撫でて、気が済んだらしいところでふと、目を細めた。
「……この国の現状がクソだって思ってるのは、お前だけじゃなかったってこった」
クラークの頭からようやく手を離して、アレックスは自身の帽子を外す。そしてどこか遠い場所を見るようにして、言うのだ。
「何かあるまで、人は動かねえ。だが逆に言えば、何かありゃあ、人は動く。その『何か』をできるだけ大きくしてやれば、連鎖して、どんどんいろんなことが変わっていくだろうよ」
……これから、色々なことが変わっていく。
そう。これから。ここから。
「ははは。革命が起きちまった!」
エルヴィスはそう言って、けらけらと気楽に笑っていた。