檻を壊すということ*4
「脱獄だ!」
「連中、揃って脱獄してやがる!」
「どうなってるんだ!?」
看守達が大騒ぎするも、その頃にはもう、囚人達はわらわらと中庭を横切り、わらわらと図書館へ向かい、そしてわらわらと、そこに駐車してあった魔導機関車に乗り込んでいるところであった。既に発車してしまった魔導機関車もある上、看守達が追いかけるための魔導機関車は悉く故障しているという有様だったので、もう、看守達にはどうしようもない。
「いやー、良い眺めだなあ」
エルヴィスとクラークは、脱獄の様子を見張り塔の上から眺めていた。
「こんなの100年に一度見られるか見られないかってモンだし、いや、中々いいな。一生の思い出になる」
「つまり1000年ものの思い出、か」
クラークが苦笑すると、エルヴィスも『その通り!』と楽し気に笑う。エルフの一生の思い出に残るとしたら、光栄なことだ。いや、不名誉なことかもしれないが。
……今、ブラックストーン刑務所からは囚人が1人も居なくなろうとしている。
そう。エバニの言うところの『もうちょっといっぱい脱獄させる』とは、『とりあえず片っ端から、全員』であったのだ。そのせいでこの計画も随分と大掛かりなものとなり……今、何台もの車が発進していっては、そこにぎゅうぎゅう詰めになった囚人達が歓声を上げて刑務所を去っていく、という光景が展開されている。
「これでブラックストーンも随分と広くなるなあ」
「広さは変わらないと思うが」
「うーん、えーと、じゃあ、ブラックストーンががら空きになる」
「そうだな」
エルヴィスがけらけらと楽しそうに笑う横で、クラークは事の成り行きを見守り……思う。
これでよかったのだな、と。
この後、世界がどうなっていくかなど、クラークには知る由もない。だが……きっと、上手くいく、と。そう、信じていたい気持ちが強い。クラークが取り戻した希望は、どこか狂気めいてクラークの中に根付いている。
「……ところで、いい加減お前も脱出してくれ」
そして、話していたクラークは、そっとエルヴィスを促す。
既に数台の車が発進している。最後の車が出るまで、もう、そう猶予は無いだろう。急がねば、エルヴィスが脱出できない。
……だが。
「いや、俺は脱獄しねえけど……?」
不思議そうに首を傾げるエルヴィスを見て、言葉を聞いて、クラークも首を傾げて……唐突にエルヴィスの言葉の意味を理解して、愕然とした。
「えっ、な、何故」
「えっ、一度も言ってねえぞ?脱獄する、なんて」
混乱しながらも思い返してみれば、確かにその通りである。エルヴィスは一度も、脱獄する、などとは言っていない。
それどころか、エルフの里への紹介状を書くなど、『自分がいなくても』脱獄が成功するように動いていた。あれは、万一の事態を危惧してのことではなく、初めから自分が脱獄しないつもりでの行動だったらしい。
囚人達は最早、エルヴィス以外全員が脱獄している。エルヴィスはただ1人、ここに残る囚人となってしまう。
「……理解できん」
「えー、そう言われてもなあ。俺、もうちょっとムショ暮らししたいし。ここ、気に入ってるし」
「理解できん」
「二回も言わなくても」
エルヴィスの行動は、クラークには理解できない。……とは言いつつも、クラークも多少は、理解できてしまう。
要は、エルヴィスも、自分は脱獄するに相応しくないと考えたのだろう。クラークと同じように。……否、単純に、本当に『ここ気に入ってるし』が理由なのかもしれないが……。
「そもそも、なんで俺を脱獄させたかったんだ?エバニについては、まあ、分かるけれどさ」
エルヴィスに少々じっとりした目で見られつつそう問われれば、理由を説明しようとクラークは口を開き、そして、閉じて……考え始めた。根気強く考え、考えて……。
「……何故だろう」
「あ、分かってねえのかあ……」
自分にもよく分からない、という不思議な現象に行き当たる。自分の思考くらい自分で説明できて然るべきだろうと思うのだが、どうにも、エルヴィスを脱獄させたい気持ちがどこから来ているものなのか、説明できない。自分で自分のことが分からないなど、随分と久しぶりの感覚である。
「ま、俺のことはいいんだけどさ。でも……なあ、クラーク」
尚もクラークが悩んでいると、エルヴィスは見切りをつけたらしく、次の問いを投げかけてくる。
「お前、後悔は無いか?」
エルヴィスは不安気であり、心配そうであり、そしてどこか、悲しそうでもあった。
「……後悔は無い」
これについてはすぐ答えられる。クラークの中で、もうすっかり固まった答えだったから。
「私は『正しくない』行いをした。法に背いて、囚人を脱獄させた。これは、間違いなく『正しくない』ことだ。だが……こうすることで、本当に私が守りたかった『正しさ』を守ることができる。だから、後悔は無い」
何度も繰り返して、何度も悩んで、それでようやく手に入れた答えだ。叩いて鍛えた鉄のように、クラークの意思は堅い。
「もっと正しいやり方で、私の正しさを貫く方法もあったんだろう。だが、私にはこれしかできなかった。単純に、能力の不足だ。それは、多少、悔しい」
「成程なあ」
後悔が欠片たりとも無いわけではない。あの時ああしていれば、と考えることは山のようにある。
だが、今、今のクラークにできる最善の行いがこれであった。それは間違いないと、クラークは胸を張って答えられる。
……そして、自分の『正しさ』に殉じることができる。それがクラークには、何より嬉しかった。
「……それから、まあ、犯罪者側の気持ちが理解できたからな。疑問が1つ、消えた。自らが成し遂げたいことがあり、かつ、碌なやりようがなくなった時、人は凶行に走る。自分でやってみてよく分かった」
ついでに、かつて弁護士を志し、法を愛した者としての感想なども述べてみる。苦笑混じりに言ってみれば、案外、こうしたものも楽しい。
「トレヴァー弁護士事務所は、エルフと囚人を専門にしている。他の弁護も請けているが、得意なのはそこ2つらしい」
「ああ、うん、アイリスの時代からそうだよなあ」
そうだそうだ、とばかりに頷くエルヴィスを見て、クラークは『歴史あるトレヴァー弁護士事務所の開設も、エルフにとってはつい最近の出来事なのか』と苦笑する。どうも、エルフの感覚はこれだから面白い。
「それについて、囚人の弁護など、と思ったこともある。『正しくない』行いをした者に対して、救済が必要だろうか、と。無論、法に定められた権利は万人に存在する。それが正しいことだとは、分かっていたが……今は、囚人を専門とした弁護士というものも悪くないな、と思っている」
「おおー、それ聞いたら、アイリスが……いや、アイリスだけじゃなくて、エリカも、エバニも、それにオリヴィアもきっと、喜ぶぜ」
「他にやりようが無くなって犯罪に走る人間の気持ちが、痛いほどよく分かったからな。……まあ、活用する機会は無さそうだが」
これから先、クラークが弁護士になることは、無いだろう。よくて終身刑、妥当なところを考えるならば死刑になるであろうクラークにそんな未来は無い。
だが、理解できたということには、意味がある。クラークは、そう思っている。
「さて、これで私はいよいよ、終身刑か……いや、死刑だろうな」
クラークは心から笑って、帽子を脱ぐ。放り捨てたそれはひらりと宙を舞って、地面に落ちた。
それがなんとなく、心地よかった。自分の役目を全うした時の達成感、終わりを迎える心地よさは、確かにここにある。
「……なあ、クラーク。お前、看守じゃなくなるんだよな?」
「そうだな」
唐突な、分かりきった問いに答える。エルヴィスは今更何の確認をしたいのだろうか、と首を傾げていると……。
「なら、友達ってことにしても、いいか?」
……唐突すぎて、咄嗟に答えられない。
だが、エルヴィスの言葉を噛みしめて、咀嚼して、飲み込んで……ようやく、クラークは理解する。
「……何故、お前を脱獄させたかったか、分かった」
天啓のようなそれに自分でも驚きながら、クラークはようやく理解できたそれを……恐らく、幼い頃から自分がエバニに対して抱いていた気持ちを、言葉にする。
「気に入っているからだ。それに加えて、尊敬もしている。……これを、友情、と言っていいのか、分からないが」
「ならお前はもう友達だ!やった!」
クラークの言葉を聞いてたっぷり一拍後、エルヴィスは宝探しに成功した子供のような顔で笑った。
「うん!やっとだ!いやあ、長かったなあ!お前、硬いから!」
「長かったか?エルフの寿命からしてみれば一瞬のことだろうに」
「でも長かったんだよ!不思議なもんだけど、そういうもんだろ?」
エルヴィスは飛び上がらんばかりに喜ぶ。そんなに喜ぶことなのか、と不思議にも思うが、それ以上に、クラークはどこか満ち足りて温かな気分でいた。
自分の人生の最後に、変な友人を得ることができた。自分の人生を否定せずに居てくれる変わり者だ。……これが幸福なことだと、クラークはよく、知っている。
否定されずに寄り添ってくれる者の温かさを、クラークはエバニから教えてもらった。そして今、最後にまた、感じている。
人生で最も幸福だった時の感覚を思い出すことができたのだから、これから死刑になろうとも、やはり、悔いは無い。十分、お釣りがくるほどだと思った。
「……エバニは上手く逃げられただろうか」
最後の友達の横で、最初の友達のことを考える。すると、エルヴィスは頷いて……それからふと、にやりと笑う。
「そうだなあ。じゃあ、友達のお前に3つ、忠告だ」
急に何だ、とクラークは警戒する。これほどまでに幸福なのだから、ここから先は落ちるだけだろう、と、無意識に身構え、先にあるであろう何かに恐怖する。
「まず1つ目。多分、エバニはお前のことを忘れちゃあくれない。オリヴィアだってそうだ」
……1つ目からして、中々に嫌なことを言われた。
優しいエバニはクラークのことを思い出しては何か、嫌な気分になるのではないだろうか。オリヴィアだってそうだ。……特にオリヴィアには、嫌な思いなどしてほしくないのだが。
「2つ目。エルフは生涯、恩を忘れない。あんたが支給してくれたコートのあったかさも、俺達に図書館を与えようと頑張ってくれたことも、生涯忘れない」
「……何?」
だが、続いた2つ目に、クラークは戸惑う。一体何を言っているのだろう、と。
「最後に3つ目だが……」
「おい、クラーク!てめえ、やってくれたな!」
唐突に、声が近づいてくる。……アレックスの声だ。
いよいよか、とクラークは緊張する。覚悟していたことだが……そして身勝手だと分かってもいるが、アレックスの信用を裏切ったと思い知らされるのは、少々辛かった。
……だが。
「……こわーいオッサンのお出ましだが、心配する必要は無さそうだぜ」
エルヴィスは耳元でそっと囁いて、離れていく。
そこへ、アレックスはずかずかずか、とやってきて……。
「……こういうことすんなら、俺にも一枚噛ませろよ!おい!」
そう言って、クラークの頭を乱暴にがしがしと撫で始めたのであった。