檻を壊すということ*3
エルヴィスもエバニも、ぽかん、としていた。
「だつご……えっ」
「クラーク、お前もそういうこと言うんだなあ!」
そして発された言葉に、クラークは少しばかり、安堵する。2人の表情に『意外だった』というような感情しか浮かんでいないのを見れば、嫌悪も軽蔑もされていないと分かったから。
「ええと……理由を聞いても、いいかな」
少々の戸惑いと多くの優しさを合わせて、エバニがそう尋ねてくる。
「このままあなたを閉じ込めておくのは間違っていると、思ったから。そしてこの国の、今の在り様も。……だが、私には、この国の法ごとあなたを救う力は無いから」
今のクラークの言葉を、数か月前のクラークが聞いたら、どう思うだろう。『なんと軟弱な』と憤るだろうか。『そうだ、それでいい』と嘲笑うだろうか。
だが、今のクラークは自分の選択に、安堵している。
「だからせめて、あなただけでも救いたいと思った」
「それは……」
エバニはきっと、そんなことをする必要は無い、と言おうとした。だが。
「成程なあ。まあ、エバニが外に出たら、国も変わるかもしれないもんな」
エルヴィスが先に、そう言っていた。
「お、おい。エルヴィス。僕は革命家じゃないぞ。僕が出たところでどうしようも……」
「そうか?まあ、それはいいとして……エバニが外に出れば、これは大きな事件だからな」
エルヴィスはまるで緊張した様子の無い顔で、のほほんと明るく言った。
「何と言っても、ブラックストーン始まって以来の初の快挙だ!少なくともここ400年では脱獄なんて聞いたことはねえし、確実に、ここ100年弱の間には無かったからな!」
……エルヴィスの言葉を聞いて、エバニはぽかんとしながら、『……なるほど?』と首を傾げつつ曖昧に頷く。クラークは『快挙、なのだろうか……?』と首を傾げた。
「まあ、そういう訳で、話題には、なるだろ。注目も集めるはずだ。そうすれば国はますます圧力を掛けに来るし……民衆だって流石に、『脱獄が起こるようなところまでこの国の治安は落ちている』って気づくだろ。結局のところ、国を変えるには全員が変わらなきゃ駄目なんだ。国王を暗殺するんじゃなくて、全員を、変えなきゃ」
エルヴィスの言葉には、妙に説得力があった。同時に、クラークには遠く、希望が見えてくる。
「……荒療治だが、確かに、民衆を啓蒙するにはいいのかもしれない」
クラークはただ、エバニだけでも救いたい、と考えただけだ。国をどうにかすることなど、いかなる手段を用いても不可能だと考えていた。
だが……もしかすると、国すらも、変えることができるかもしれない。
「人を最も効率よく動かすものは、危機感だと思う。それを与えるきっかけになれば……」
「そう!『脱獄』なんて、何も知らない奴からしてみりゃ怖いだけだ!それも、歴史あるブラックストーンでの脱獄となりゃあ、話題にもなるだろ?『囚人が脱獄した!』ってだけなら、国の批判でもねえから新聞だって雑誌だって取り上げやすいだろうし」
無論、徒に国民感情を不安へ傾かせる、として、国からの圧力がかかる可能性はある。だが、圧力がかかる頃にはきっと、民衆へ事件が広まっているだろう。
「それに、エバニが幸せで居てくれたら俺も嬉しいし。……エバニなら、本当に何か、変えてくれるかもしれねえしな」
そして何より、『誰が』脱獄したか、が重要なのだ。
この国を正そうとした者が脱獄し、運動を起こしたなら……いよいよ、国に対して反旗を翻すことになる。共感してくれる者は多いはずだ。そして、共に戦おうとする者も、きっと。
「……そうだな。だからやはり、私はエバニを外に出したい。こんなやり方しか、私にはできないが」
クラークはずっと憧れていた未来に一歩踏み出す気持ちで、そう、エバニに告げる。
「無責任だということは承知の上だ。だから、これで国が正されなくともいい。ただ……あなたには、幸せであってほしい。それに、オリヴィアにも」
オリヴィア、と名を出せば、エバニは動揺したような様子を見せた。
エバニにとって、オリヴィアは可愛い弟子であり、それ以上に、最愛の娘である。会いたくないわけが、ないのだ。
「この状況じゃ、面会だって碌に許されない。ここにあなたが居たら、ずっと、オリヴィアはあなたに会えないんだ。もう一度、ちゃんと、オリヴィアと会ってくれ。多分、彼女にはあなたが必要だろうから」
オリヴィアが今、一人で戦っていることをクラークは知っている。そして自分が傷つけた分、どうか、幸せになってほしい、と思っている。
正しいやり方ではなくとも、彼女を幸せにしたかった。
「だが、クラーク……」
エバニは、クラークを見つめて、なんと言葉を掛けたらよいのか分からないような様子であった。
「その、君、当然だけれど、一緒にここを出るんだろう?」
「いや」
不安そうにも見えるエバニに、クラークは首を横に振ってみせる。
「私はここに残る。……多少の良心は、まだあるから」
クラークは全ての『正しさ』を捨てたわけではない。残った『正しさ』は、枷としてクラークをここに繋ぎ留めている。これが、クラークの決めたことだった。自分が罰せられるなら罪を犯してもよいということにはならないが、罪を犯した者は罰せられるべきだとは、考えている。
「それに……」
クラークは言葉を続けようとして、一度、口を噤む。口に出すのはあまりに惨めな気がしたから。
だが、結局は、口を開く。言わないのはあまりにも、不誠実だと思ったから。
「……一度疑問を抱いてしまった『正しさ』を貫く力が、もう無い」
要は、もう、疲れたのだ。
「……決意は固いんだね」
「ああ」
縋るようだったエバニの目が、ふと、諦めの色を宿した。諦めてもらえたことに、クラークは安堵する。
なんだかんだ、エバニは友人なのだ。こういう時も、ちゃんとクラークの話を馬鹿にせずに聞いてくれ、クラークの意思を尊重してくれる。
「僕は、君も一緒に外に出るべきだと、思っているけれど」
「すまない、エバニ。私はもう疲れた」
「それを言うと僕ももう結構疲れてるんだけれどなあ……。ブラックストーンで余生を過ごすのも悪くは無いと、思ったところだったんだけれど」
エバニは『仕方ないなあ』というようにため息を吐いて、それから、ふと笑った。
「でも、それじゃあ君が納得できないっていうなら、そうしようじゃないか」
「……うん」
エバニはクラークの帽子をそっと持ち上げると、もう片方の手で、いつかそうしたようにクラークの頭を撫でる。もう頭を撫でられる齢ではないクラークだが、今だけは、大人しく撫でられておくことにした。
それからクラークは、脱獄の経路などを2人に説明した。
一度きり。その一度を逃したら、もう二度と脱獄できないだろう。クラークも、エバニも、緊張の面持ちで互いに意見を出し合い、経路を組み立てていく。
「ま、これなら大丈夫だと思うぜ。ムショ歴100年を超えた俺が保証する。多少雑でもいけるだろ」
エルヴィスがそう太鼓判を押すまでになった計画の大筋は、至極単純なものだ。クラークが鍵を開けて、囚人を脱出させる。それだけのことである。それだけのことだが、非常に、強い。
「大丈夫だろうか」
「ああ、大丈夫だ。看守自ら手引きして脱獄だなんて、想定されてないだろ?ましてや、魔導機関車まで用意されるなんて、普通の脱獄じゃあり得ないしな」
そう。この作戦は、単純故に強い。何せ、脱獄に関しては、看守が裏切るなどということは想定されていないのだから。
牢の鍵が開けられることは無く、門の鍵が開けられることも無く、囚人達に灯りから魔導機関車まであらゆる道具が支給されるということも無い。だから看守達も、これには流石に対応できないだろう。
「それに、逃げ込む先があるっていうのがまた安心だね。エルヴィス、ありがとう!」
「まあ、エバニは元々エルフの里に行ってるだろ?俺が紹介状なんか書かなくたって大丈夫だとは思うけどな」
エルフの森は、不可侵の場所だ。人間が踏み入ることは、エルフ達が許さない。……看守やその他、国の追手がエルフの森に向かったとしても、その中に匿われた脱獄囚達に手を出すことはできないのである。
看守とエルフが手を組めば、斯様に安全な脱獄計画が生まれてしまう。
これにはクラークも、一周回って少々楽しくなってきた。あまりに不謹慎であるとは思うのだが……それでもどこかわくわくとしてしまうのは、ようやく希望らしいものが見えたから、だろうか。
「おー、クラーク。お前、なんだか楽しそうだ。まさかお前が脱獄幇助に前向きなんてなあ」
「……そうだな」
揶揄うようなエルヴィスの言葉に頷いて、クラークは笑った。
「久しぶりに、明るい気分になれた」
そうして計画の細部を詰め始める、というところで。
「……それで、クラーク。1つ、いいかな」
エバニがそわそわした様子で、言った。
「折角だし、もうちょっといっぱい脱獄させてもいいかい!?」
……そうして、翌日の夜。
「牢に誰も居ねえ!」
ブラックストーン刑務所はカンカンと警鐘を鳴らしての大騒ぎとなったのだった。